2013年01月27日
日曜洋画劇場を見た。
いや、見てしまったという方が正確かもしれない。
ドラえもんの声優が変わったときと同じような衝撃を受けた。
あいつ、ハンニバル・スミスって名乗りやがった。
「俺の名はジョン・スミス。通称ハンニバルだ」じゃなかったのか?
それに、コングがふつうにヘリに乗りやがった。
「飛行機だけはカンベンな!」のコングじゃないのか?
マードックは確かに病んでたけど、ああいう系統じゃなかった。
「猿人?変人?だからなに?」って絶対言いそうにない。
それよりなにより…
フェイスはいつから主役になった?
某米国は映画といえば必ず安いラブロマンスを放り込んでくる。
それが映画だ、と言わんばかりに。
情けない。
水戸黄門にも通じるところがある痛快な部分がどこにもない。
某パトレイバーの監督が言ってた。
テレビでは日常で構わない。でも、映画で日常はできない、と。
特車2課の日常の1コマを描いたあのアニメは、
あのまま総集編にしても映画にならんということらしい。
つまり、映画に求められるのは非日常性。
映画館という非日常的な空間に足を運んでおきながら日常を見させられたら、
客が逆上して映画館を破壊するということらしい(そこまで言ってない
それはわかる。
テレビとは違うものを見たい。という心理はあるだろう。
でも、後でテレビで見れる(地上波でもDVDでも)じゃん、というのはタブーなんだろう。
どんなにテレビを通して家庭で見られる映画が日常的であったとしても、だ。
映画監督にとって、テレビとは違うという部分でしかアイデンティティを保てず、
下手をすると放送作家以下という力量であったとしても、
映画監督であるがゆえに、放送作家とは舞台が違うと言いたいのだろう。
とりあえず何が言いたかったのかというと、
ハンニバルの中の人が銀河の歴史を語れる人じゃなかったのはあかん。
Posted at 2013/01/28 00:01:48 | |
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