2013年04月08日
変わるということは、前とは違うモノになるということ。
前とは違うモノになるということは、以前の状態を100%キープはできないということ。
例えば、僕が前にエナセーブからDZ101に変えたことを考えてみると、
グリップ性能は向上したけれど、燃費性能は低下したという具合。
何かを得れば、何かを失うというわけではないけれど、
何かを得たら、他の部分でも前とは違ってしまう部分が出てくるということ。
すとらとたわばを入れたら、ボディ剛性は向上するけれど、
たわんで力を逃がしていた部分が失われ、別の場所に力がかかって歪んでしまう。
また、事故ったときに反対側へも影響が及びやすいということもある。
ほかのすべての事象においてもそうだと思う。
社会だって、モータリゼーションが進んだ結果、
もはや100%のカゴ屋の時代には戻れない。
限定的には戻れたとしても、他のモータリゼーション後の影響を完全に遮断しない限り、
100%のカゴ屋の時代はあり得ない。
変化するということは、それに伴って何か以前とは違う状態になるということ。
『本来あるべき姿』とか言われる幻想は、
『以前あった姿』でしかなく、
『変化した結果過去のものとなり、現在では適合できない姿』である。
ダーウィンの進化論や、ラヴォアジエの質量保存の法則とかって、
よくできているなと思う。
その状況に合わせられたものが生き残る(適者生存)というのは、
変化についてこられなかったもの、言い換えれば旧態を引きずっているものは環境から排除される。
新しい何かを得れば、それに合うように別の何かが変化してバランスを取る。
旧きを懐かしむ人たちもいるだろうけど、
新しきを得なければ環境から排除されるのみ。
その人たちを『弱者』と呼んで保護しようとする間は救いがあるけれど、
いずれはそれもできなくなるほど状況にかい離が進むのだろう。
チューニングによって変化することから、
社会の変化によってこちらも変化せざるを得ない状況に追い込まれることまで、
愛車を長く維持していこうと思えば、いろいろと考えなきゃならんことがある。
当面、昨日やろうとしていたことをやってみて、どんだけ変化するのか考えてみよう。
Posted at 2013/04/08 08:28:26 | |
トラックバック(0) |
よもやま話 | クルマ