2013年07月31日
このブログでも何度か出てきた、若者の車離れのネタ。
車好きだと、ちょっとゆゆしき話題ではあります。
で、ちょいとのぞいたブログでこれについて書いていたんですが、
「おりょ?」と思ったことがあったので、改めて車離れについて考えてみようと思った次第です。
車離れというのは、
たぶん、『車に興味がなくなる』ということであり、
『車を買わない』ということではないと思うのです。
興味がなければ、結果として買わないという選択肢に至るかもしれませんが、
もう少しカバーしている範囲は広いと思います。
車が好きだと、
車にまつわるエトセトラにお金を突っ込むかもしれません。
燃料代?なにそれ、おいしいの?という具合に炭化水素を燃焼させまくるかもしれません。
たとえ車を持っていなくても、車の話を友達とするかもしれません。
こういう状態の人でも、
車はそうそう買い換えられない経済状況かもしれませんし、
家族に用途を限定されていて自由に車を買い換えられないかもしれませんし、
1台の車をこよなく愛し続ける紳士かもしれません。
これを車離れというのでしょうか。
たぶん、こういう人たちは車がなくなったら悲しみますw
こういう人たちの気持ちは、車に寄り添っていると思います。
でも、車離れしちゃった人たちは、
車がなくなってもたぶん悲しまないでしょう。
移動手段が1つなくなった、程度に思うだけかもしれません。
もしくは、そもそもなくなったことに対してなんら感情を抱かないかも。
よしんば、車がなくなったことを悲しんだとしても、
それによって経済的、物理的、精神的に不利益をこうむらないでしょう。
『○○離れ』という言葉は、きっと『○○から自立する』『○○に依存しない』ということだと思います。
『親離れ』したからって、親が嫌いなわけではないでしょう。
『活字離れ』したからといって、活字に触れない生活をしているわけではありません。
依存しなくなるだけ、なくなっても困らなくなるだけ。
そういうもんじゃないですかね。
Posted at 2013/07/31 08:01:28 | |
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