2013年09月09日
とある、「銀の匙」について書いてあるブログで、
『男の価値は金の使い方で分かる
艦これに数千円課金したり
全然遊ばないドラクエXの為に毎月1000円ドブに捨て続けたり
ゲームを遊ばずに100本以上積んだり
バカはそういう金の使い方をするんですよね。』
と、書かれていたのにかっちーんと来た。
で、思いっきりこのブログで論破したろーかと思ったけど、
そんな欠席裁判みたいなことしても意味ないだろうし、
同じ土俵に落ちるのはすごく面白くないことに気づいて、
落ち着いて考えてみた。
ゲームをバカにする人は多いけれど、
本を読むのとそう大差ない趣味だと思う。
外食に金かけるのでも同じ。
結局は刹那的な、その場で消費されるものにお金を使っているということ。
いずれにしても、一服の清涼剤みたいなものです。
適量を使うには気分転換やストレス発散などの効用が期待できるけど、使いすぎればマズい。
別に本やゲームに限ったことではないけどね。
仕事も同じ。
責任が付きまとうけれど、やりすぎて身を滅ぼしたら何のための仕事かわからないです。
結局、
「何のためにそれをやってるの?」
この問いに答えられるんだったら、
艦これに数千円つぎ込もうが、
やりもしないゲームを100本積もうが、
読まない本を100冊買おうが、
稀にしか行かないフィットネスジムの会費を払おうが、
1樋口のステーキ食いに行こうが、
意味はあるんだと思う。
それをバカだと断じることは、よほどの反社会的なことでない限り他人にはできない。
だって、その価値は本人にしかわからないんだから。
自分はすっぱいリンゴだと思っても、他の人が食べたら甘いと感じるかもしれない。
自分は面白いマンガだと思っても、他の人が読んだらつまらないと思うかもしれない。
その価値観の相違を認めずに自分の価値観で断じる人って、どうなんでしょうね。
もっとも、最初の引用部分に列挙された部分は、
実に断片的であり一部分でしかないため、
そんなもので全体を評価されたらたまったもんじゃないですけどね。
金遣いで性格の一部分は見えるでしょうが、それがすべてではないはず。
あたかもそれですべてを見通せるかのような物言いは、いささか行き過ぎだと思います。
そもそも、金に執着している時点で、僕なんかはどうかと思ってしまいますが。
ケチと思うか、堅実と思うか。
太っ腹と思うか、浪費と思うか。
そんなもんは見た人のさじ加減ひとつです。
その程度で価値を決められたら、たまったもんじゃないですね。
…逆に考えると、
この程度のことで人の価値を決めるような世の中だということですか?
おー、くわばらくわばら。
Posted at 2013/09/09 00:36:04 | |
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