2013年12月03日
現代の人々の車離れは、メーカーの責任。
魅力的な車を作らないばかりか、
それを運転するドライバーを育てることすら放棄した結果、
車を動かすことへの魅力は薄れ、
車というものに興味がわかなくなり、
スマホと連動するだのばかげた仕組みを用意しなけりゃならなくなったのです。
人にやさしくなるための技術は、
いつの間にか、人を堕落させるための技術に成り下がり、
踏めば出る、切れば曲がるの上げ膳据え膳まで作り出してしまったのです。
あぁ、日本の自動車メーカーよ。
車を白物家電化させ、その先に待つのは陳腐化しかない状況に追い込み、
お前たちはどこに向かおうというのですか。
その昔、車は特別だった。
サラッと運転できるのはかっこよかった。
だが、技術の進歩とともに敷居が下がり、
誰でも運転できるようになってしまった結果、
導き出されたのは運転する資格すらなさそうな連中による交通事故の頻発です。
それもこれも、
車というものをどうやって育てていくのかを誤った結果です。
誰でも運転できる=多くの人に買ってもらえる
こんな安直な方程式に目がくらみ、
車のあり方を誤らせた日本の自動車メーカーよ。
企業の本質が経済活動であることを否定はしないが、
恐竜的進化の先に未来はないけどいいの?
今、四苦八苦してるのは、その時の選択が誤りだったことの表れなんだと思う。
いつそれに気づいて、
いつ舵を切りなおすのかなぁ。
それとも、もう舵を切りなおす気持ちすらないのかなぁ。
悲しいなぁ。
もう、ドライバーを育ててくれるような車は、
日本じゃ生まれないのかもしれないね。
ハチロクやロードスターが人気だったのは、手軽さだけじゃない。
ドライバーが運転のイロハを勉強しやすかったからだと思う。
あの当時車に乗っている人は、運転が上手な気がするもの。
まだ、車がユーザーアンフレンドリーだった時代w
操作ミス1つでエンストこいてたあの時代www
確かに、車も、それに使われてた技術も未熟だった。
でも、だからこそ人がそれを補おうとしていた。
もう一度、その辺を考える必要があるんじゃないかな?
自動車メーカー全体でさ。
と、街中や上り坂で毛が抜けそうなくらいにストレスを感じる車に乗って、
つくづくそう思った次第であります。
この、毛が抜けそうなぐらいのストレスを与えるATこそ、
メーカーの誤った目標設定によって生み出された結末ですからねぇ。
さ、セル子さんはいつ帰ってくるかなぁ…。
<12/4追記>
不快な思いをさせてしまうような内容のブログおよびコメントの返信で申し訳ありません。
削除することは簡単ですが、自分が書いたものとして、このままさらしておきます。
Posted at 2013/12/03 01:02:16 | |
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