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ディーゼルオート店のブログ一覧

2025年08月22日 イイね!

『渋谷区』の誕生まで

『渋谷区』の誕生まで[写真・画像]
渋谷スクランブル交差点(2018年10月1日)
 渋谷区(しぶやく)は、東京都の区部西部に位置する特別区[1]。渋谷駅周辺など中心部は西渋谷台地、代々木台地、東渋谷台地の3つの台地に囲まれた場所にある[2]。
 新宿区・豊島区とともに「副都心3区」とされる[3]。また、不動産業界においては千代田区・港区・中央区の「都心3区」に新宿区と渋谷区を加えて「都心5区」と称される[4]。区内全域が武蔵野台地上の高台にあり、東京の山の手地区を構成する。
■渋谷区の誕生
 渋谷区は1932年(昭和7年)に設置された。同年、それまで15区で構成されていた東京市に隣接する5郡82町村が編入され、豊多摩郡に属していた渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町の3町をもって東京市渋谷区が成立したのが始まりである[注釈 1]。
 渋谷区の成立には一悶着があり、必ずしも当時の住民の満足できる結果とはならなかった。渋谷町とともに渋谷区の一部となることになった千駄ケ谷町・代々幡町が、渋谷区になることに消極的であったからである。千駄ケ谷町は昔から四谷区や赤坂区との関係が深く、町域が都心に近かったこともあり、当時「郊外」のイメージが強かった渋谷町と一緒になることには消極的であった[9 a]。代々幡町も古来より新宿との結びつきが強かったため、新宿に近い淀橋町などと一緒の区を形成することを模索しており、渋谷町と一緒になることには反対の姿勢だった[10 a]。
 しかし、東京市編入の際には同じ郡に所属する町村同士で1つの区を形成するというルールがあったため、豊多摩郡の南端にあり互いに隣り合う渋谷町・千駄ケ谷町・代々幡町が合わさって一つの区を形成することは避けられず、千駄ケ谷町・代々幡町も渋谷町と一緒になることを渋々受け入れた[注釈 2]。
 その後、区の名称を決める際にも、千駄ケ谷町や代々幡町は明治神宮の所在地として全国的に有名だった代々木を採用し「代々木区」とすることを提案したが、渋谷町は「渋谷区」で譲らず3町の間で争いが起きた。妥協策として「宮区」(渋谷・千駄ヶ谷・幡ヶ谷の3つの谷、すなわち「三谷(みや)」と代々木にある明治神宮の「宮」をかけたもの)とする案も出たという[10 b]。最終的には東京府議会と関係の深い渋谷町議会議員にの圧力で新区名が強引に「渋谷区」とされることになったが、このような経緯は千駄ケ谷町・代々幡町の住民に怨念を残すことになり、千駄ケ谷町では大規模な反対運動も起こった[9 b]。
 渋谷町が他の2町に敬遠されたのは、当時の渋谷がまだ未発達だったことが一番の原因である[10 c]。後に東京を代表する繁華街として成長し、1970年代以降は若者文化の街として君臨する渋谷だが、昔から交通の要衝として栄え東京を代表する繁華街になっていた新宿と比べ、当時の渋谷はまだ発展途上であり、いまだ「郊外」のイメージがつきまとっていた。

■脚注
注釈
[注釈 1]^ 渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町のかつての町域は、それぞれ現在の渋谷警察署、原宿警察署、代々木警察署の管轄地域と一致する。
[注釈 2]^ この際、豊多摩郡の残り10町は、2 - 4町ずつまとめられ、「中野区」「杉並区」「淀橋区」として再編されることになった。
出典
[1]^ 『大辞林』第三版
[2]^ 渋谷駅周辺地域交通戦略 渋谷区 2024年10月4日閲覧
[3]^ 国土交通省 第6章 都市構造と鉄道利用に関する分析
[4]^ “都心三区 | 用語集|タウンハウジング”. タウンハウジング|賃貸マンション・アパートのお部屋探しはお任せください。. 2021年4月4日閲覧。
[9]^ a b 「祝はぬ千駄ケ谷」、『読売新聞』、1932 年 10 月 2 日、夕刊、p.2
[10]^ a b c 幡ヶ谷郷土史
■参考文献
東京都交通局編『東京都交通局60年史』東京都交通局、1972年。
渋谷区郷土博物館・文学館編『ハチ公の見た渋谷展図録』渋谷区郷土博物館・文学館、2005年7月。
渋谷区郷土博物館・文学館編『住まいからみた近・現代の渋谷』渋谷区郷土博物館・文学館、2007年10月。
渋谷区郷土博物館・文学館編『「春の小川」の流れた街・渋谷-川が映し出す地域史』渋谷区郷土博物館・文学館、2008年9月。
最終更新 2025年8月16日 (土) 14:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

■人口
1920年  80,799
1925年  99,022
1930年 102,056
■関連書籍
東京市臨時市域擴張部 『豊多摩郡澁谷町現状調査』 1931年
東京府豊多摩郡渋谷町 『渋谷町町勢一斑 昭和7年』 1932年
「上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ10豊島郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763976/80。
■渋谷町 (東京府) より
最終更新 2025年3月23日 (日) 14:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


≪くだめぎ?≫
 テキストの「消えた市区町村の謎」によれば、渋谷町は
1925(大正14)年時点で全国の市町村で22位の人口を誇っていた。
 旧2町の千駄ケ谷町や代々幡町の反対もあったとあるが、
逆に渋谷町の反対もあっても良かったと思う。
甲州街道が境であり、現在でもバスタ新宿が「渋谷区」にあり、
他県民でも?である・・。
 千駄ケ谷町や代々幡町で「代々木区」、渋谷町単独で「渋谷区」であっても成立する規模である。
Posted at 2025/08/22 07:42:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2025年08月20日 イイね!

「プリウス」(HEV)

「プリウス」(HEV)≪くだめぎ?≫
 2020年11月に「e:HEV」をホンダのハイブリッド車が採用。

 2023年01月10日・「5代目プリウス」に"フルモデルチェンジ"に併せて、
「HEV」エンブレムが装着・採用された。
 2024(令和6)年4月に「カローラ」一部改良から「HEV」エンブレムが装着・採用され、「HEV」=ハイブリッド車、になった。
Posted at 2025/08/20 08:59:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2025年08月20日 イイね!

最強機関車「本気を出していなかった」

最強機関車「本気を出していなかった」[写真・画像]
‘11.4.2 東海道貨物線 茅ヶ崎―相模貨物
 P:石井裕哉(鉄道投稿情報局より)

 1990(平成2)年3月、日立製作所でとある機関車の試作機が完成しました。それがこのEF200 900番代です。VVVFインバータ制御を採用するなど、国鉄時代の機関車とは一線を画す新機軸が多数盛り込まれていましたが、この機関車は何よりもその出力が他と桁違いであったことが特筆されます。
■最強電気機関車だったEF200
 この機関車は、落成当時バブル景気で好調だった貨物輸送において、更なる輸送力増強に対応するために定格出力を6000kWとし、1600tの牽引を可能としました。この数字がいかに凄まじいものだったかというと、国鉄時代の最強機関車として有名なEF66の定格出力は3900kWであり、その数字の凄さが分かるかと思います。
 もちろんこの6000kWという数字はそれまでに類を見ない最強のものであり、より大量の貨物を一気に捌ける機関車として期待がされていました。
■変電所が対応せず… バブル崩壊で貨物需要も低迷…
 前代未聞の大出力機関車として登場したEF200でしたが、あまりに出力が大きすぎたため変電所側に問題が発生。さらには1600tの牽引についてもバブル崩壊とその後の景気後退によって貨物需要が低迷したことから、変電所の増強計画や1600t牽引は見送りとなりました。最終的には1300t牽引までとし、出力もEF66などと同等程度に制限。さらには車両製造数も結局21両で打ち切られてしまい、本気を出すことができないまま営業運転に供されることとなりました。
■その後は?
 過剰性能となってしまったEF200。その後は1996(平成8)年にEF210の試作機が落成し、1998(平成10)年から量産が開始され、老朽化が進んでいたEF65などの国鉄型を置き換えていきました。EF210の1時間の定格出力は3390kWと、EF66のそれすら下回りますが、現在の貨物列車を牽引するにおいて必要十分な性能でした。事実、EF210はロングセラーとなり、100番代、300番代とマイナーチェンジを繰り返しながら今も増備が続けられています。
 EF200自体もしばらく活躍を続けていましたが、2010年代に入ると部品確保が難しくなってきたことなどを理由に検査期限が切れたタイミングで運用を外れる車両が出始めました。そして令和の改元を待たずして、2019年3月に全車が運用から外れました。
 現在は量産車の10号機が広島車両所で保管されているほか、900番代が生まれ故郷である日立製作所水戸事業所にて保存されています。平成と共に登場し、平成と共に去っていったEF200。後にも先にも例がない、大出力機関車は今静かに眠っています。
鉄道ホビダス より


≪くだめぎ?≫
 EF200=「日立」製である、1993(平成5)年まで製造。
EF500・ED500も制作したが、1994年(平成6年)末頃まで主に試験運用したが、ED500は除籍・返却された。以後、「日立」は電気機関車自体を製造していない。
 「1号機」は2008年に復旧工事が見送られて部品取り車となる。主要部品確保が困難であることから三全検は見送られ、検査切れの車両から順次運用を離脱する事となった。「日立」が部品供給しなくなったため、EF200の引退予定が決まった。
 2019年3月28日をもって全車運用離脱。"平成"時代だけの稼働となった悲運機。

 東海道・山陽本線の旅客JR3社東日本・東海・西日本が変電所の増強計画を見送ったため、運用出力をEF66形と同程度に制限して運用した。
 2007年3月18日のダイヤ改正から同区間で1,300 t列車の運転が開始され、本形式も当該運用には重点的に充当された。同時に関門トンネル-福岡貨物ターミナルにEH500が投入された。
 ただ、以後も東北本線EH500は交流区間ではフルパワーであるが、黒磯以南の直流区間ではEF210並に抑えられる状態は変わらない。

 個人的には「青函トンネル」での新幹線スピードアップには、
"6000kW"は是非必要な性能・能力だと思うが・・。
Posted at 2025/08/20 08:13:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 直流電気機関車史 | 旅行/地域
2025年08月17日 イイね!

「e:HEV」

「e:HEV」なぜ変えた? ホンダのハイブリッド車を「e:HEV」と呼ぶ理由
編集部(yoshikawa) 2020/11/24
[写真・画像]
e:HEVはEVに近いハイブリッドという意味で名付けられた

■メカは変わらなくても、名前を変える
 2020年11月にマイナーチェンジしたオデッセイ。2Lハイブリッド車の車両後部のエンブレムには、従来の「HYBRID」の代わりに新たに「e:HEV」というエンブレムが装着された。読み方は「イー エイチ イー ブイ」だ。
 e:HEVはハイブリッド車のグレード名にも使われているが、もともとは駆動用と発電用の2つのモーターを搭載した独自のハイブリッドシステムの名称である。従来は「SPORT HYBRID i-MMD(intelligent Multi-Mode Drive)」の名前で呼んでいたが、メカニズム自体に変更なく、名前だけが変わったのである。
 初めてこの名前がお披露目されたのが、2019年秋の東京モーターショーで、新型フィットとともに公開。市販車の発表日ベースでは2020年1月9日のステップワゴンの一部改良で、2モーターハイブリッドシステムを搭載した仕様を「e:HEV」と呼んだのを皮切りに、フィット(2月13日)、アコード(2月20日)、インサイト(5月29日)、CR-V(6月18日)と、新型や改良型になったタイミングで順次採用。そして今回のオデッセイにつながるわけだ。

ではなぜ、「e:HEV」に変わったのか、ホンダに聞いてみた。
「電動の乗り物ですよということが言いたくて『e:』という言葉を使っています。エネルギーを有効活用するホンダの高効率電動化技術として『Honda e:TECHNOLOGY』というネーミング(※)を使い始めていて、そのハイブリッド版ということで、ハイブリッド・エレクトリック・ビークル=HEVを組み合わせました。ちなみに、社内ではハイブリッド車のことを『HEV(ヘブ)』と呼んでいます。ホンダの電動化コア技術である高効率・低燃費な2モーターハイブリッドを設定しているクルマに関しては今後、そういう呼び方に変えていきます。ブランドのなかで統一的にやっていきます。
 これまで私たちが使っていた呼び方は『i-MMD』でしたが、他社さんのシステムの呼称に比べるとすごく覚えづらかったり、認知が浸透していないという点がありました。ただ仕組みとしては当然、採用を広げていきたいコア技術なので、ここで名前を一新して訴求をきっちり進めていくというような考えで変えています。
 じつはただバッジを装着すればいいというものではなくて、システム起動の際にメーターに『i-MMD』というシステム名が表示されていました。さすがにその名前が残っているのも都合が悪いので、変更をきっちりやれるタイミングで変えていったというわけです」

わずか5文字だが、名前はじつに奥が深い。
※Honda e:TECHNOLOGYの「e:」には、「electric(電気)」を「energy(原動力)」にして、みんなの笑顔と元気を力強く「energize(活気づける)」していくという意味が込められている
〈文=ドライバーWeb編集部〉


≪くだめぎ?≫
 以前は ハイブリッド車=HV
と表示していたはずだが・・。
Posted at 2025/08/17 19:40:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2025年08月12日 イイね!

『スーパーホワイトII』

『スーパーホワイトII』[写真・画像] スーパールーセント・2000EFI[スーパーホワイトII]
クレスタのカタログ(昭和61年8月) より

ハイソカーブーム。その火付け役となった、
トヨタの「スーパーホワイト」
5/17(土) 12:03配信
トヨタの名の下に ハイソカーの躍進【2】
 そして1980年代のハイソカーブーム。その火付け役となったのが、トヨタの「スーパーホワイト」のボディカラー。特徴はそれまでの白にはなかった「純白」で、X70系のマークⅡ3兄弟が爆発的な大ヒット。これが白い高級車ブームを決定的にした。以降は、最上級車のクラウンとソアラも巻き込み、トヨタのひとり勝ち状態。最大のライバルである日産は、セドリック&グロリア、スカイライン、ローレル、レパードなどが対抗馬となったが、いずれも販売面で後塵を拝した。
 1980年代後半のバブル景気でZ20ソアラやX80系マークⅡ3兄弟の勢いは増すばかり。1990年代に入っても高級車=白の図式は変わらず、純白よりもパールホワイトが好まれるようにはなったが、現代でもその傾向が続いている。
初出:ハチマルヒーロー 2019年 3月号 vol.52
(記事中の内容は掲載当時のもの主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部

ハイソカーとは、1980年代の日本で、日本産の高級乗用車や上級小型乗用車を指した自動車の俗称。語源はHigh society car(和製英語・ハイソサエティ向け車種の意)を略した造語である。特定メーカーの自動車を指した言葉ではないが、実際にハイソカーとしてカテゴライズされたのはトヨタの4ドア車が多い。
●車両概要
「ハイソカー」と呼ばれる車種の多くは、ほとんどが4ドアハードトップのボディを持つ。少数ながら2ドアクーペ(それもノッチバックに限られる)も含まれるが、スポーツカー然としたスタイルのものはハイソカーとして扱われず、セダンに近い形のクーペがハイソカーとして扱われた。内装はワインレッドやブルー、ベージュのモケット張りを基調とし、フルファブリックのルーズクッションシートを合わせた豪華絢爛なものであった。一方で先述したように当時は普通自動車(3ナンバー)に課せられる税金が非常に高かったことから[注釈 1]、大半の車種が車幅を小型自動車(5ナンバー)サイズに収めざるを得なかったことや、見た目のデザインを重視したゆえ「ボディサイズのわりに室内が狭い」と言われることが多かった。一部の上級グレードでは電子制御サスペンション(トヨタの商標は「TEMS」)やデジタルメーターなどを装備するものもあったほか、重い車体による出力不足対策としてターボチャージャーやスーパーチャージャーの過給機が装着された2Lエンジンが搭載されているものもあった。
 車体色はトヨタの「スーパーホワイトII」が人気を呼び、バーガンディー(ワインレッド)の内装を合わせたマークIIやクレスタ、ソアラが好調な販売を見せた。
「スーパーホワイトII」は1983年(昭和58年)に登場したトヨタ車純正の車体色で、この車体色を最初に導入したのは初代ソアラの後期型である。なお、「スーパーホワイトII」は2020年(令和2年)現在も、同社の一部車種に設定されている。またバブル景気(バブル経済)の絶頂期だった1988年(昭和63年)には上級車種に限り「スーパーホワイトIV」という車体色も存在していたが、こちらは現在姿を消している。
 トヨタの「スーパーホワイト」シリーズの車体色に対抗し、競合メーカーの日産も「クリスタルホワイト」シリーズなる車体色を一部の車種に設定し、販売合戦を繰り広げたという逸話も残っている
●実際にハイソカーとしてカテゴライズされたのはトヨタの6気筒FR車だった。
・トヨタ・クレスタ(X50系 - X80系)
「ハイソカー」ブームを牽引した代表的な車種であり、特にセダンの「ダサい」イメージを払拭したクレスタは女性からも人気があった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


≪くだめぎ?≫
 私個人的には"教習車"が『クレスタ』だったことが大きい。
今、考えてもバブリーな時代である。セダンがまだ基本の時代だ。
Posted at 2025/08/12 15:49:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ

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「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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