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渋谷スクランブル交差点(2018年10月1日)
渋谷区(しぶやく)は、東京都の区部西部に位置する特別区[1]。渋谷駅周辺など中心部は西渋谷台地、代々木台地、東渋谷台地の3つの台地に囲まれた場所にある[2]。
新宿区・豊島区とともに「副都心3区」とされる[3]。また、不動産業界においては千代田区・港区・中央区の「都心3区」に新宿区と渋谷区を加えて「都心5区」と称される[4]。区内全域が武蔵野台地上の高台にあり、東京の山の手地区を構成する。
■渋谷区の誕生
渋谷区は1932年(昭和7年)に設置された。同年、それまで15区で構成されていた東京市に隣接する5郡82町村が編入され、豊多摩郡に属していた渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町の3町をもって東京市渋谷区が成立したのが始まりである[注釈 1]。
渋谷区の成立には一悶着があり、必ずしも当時の住民の満足できる結果とはならなかった。渋谷町とともに渋谷区の一部となることになった千駄ケ谷町・代々幡町が、渋谷区になることに消極的であったからである。千駄ケ谷町は昔から四谷区や赤坂区との関係が深く、町域が都心に近かったこともあり、当時「郊外」のイメージが強かった渋谷町と一緒になることには消極的であった[9 a]。代々幡町も古来より新宿との結びつきが強かったため、新宿に近い淀橋町などと一緒の区を形成することを模索しており、渋谷町と一緒になることには反対の姿勢だった[10 a]。
しかし、東京市編入の際には同じ郡に所属する町村同士で1つの区を形成するというルールがあったため、豊多摩郡の南端にあり互いに隣り合う渋谷町・千駄ケ谷町・代々幡町が合わさって一つの区を形成することは避けられず、千駄ケ谷町・代々幡町も渋谷町と一緒になることを渋々受け入れた[注釈 2]。
その後、区の名称を決める際にも、千駄ケ谷町や代々幡町は明治神宮の所在地として全国的に有名だった代々木を採用し「代々木区」とすることを提案したが、渋谷町は「渋谷区」で譲らず3町の間で争いが起きた。妥協策として「宮区」(渋谷・千駄ヶ谷・幡ヶ谷の3つの谷、すなわち「三谷(みや)」と代々木にある明治神宮の「宮」をかけたもの)とする案も出たという[10 b]。最終的には東京府議会と関係の深い渋谷町議会議員にの圧力で新区名が強引に「渋谷区」とされることになったが、このような経緯は千駄ケ谷町・代々幡町の住民に怨念を残すことになり、千駄ケ谷町では大規模な反対運動も起こった[9 b]。
渋谷町が他の2町に敬遠されたのは、当時の渋谷がまだ未発達だったことが一番の原因である[10 c]。後に東京を代表する繁華街として成長し、1970年代以降は若者文化の街として君臨する渋谷だが、昔から交通の要衝として栄え東京を代表する繁華街になっていた新宿と比べ、当時の渋谷はまだ発展途上であり、いまだ「郊外」のイメージがつきまとっていた。
■脚注
注釈
[注釈 1]^ 渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町のかつての町域は、それぞれ現在の渋谷警察署、原宿警察署、代々木警察署の管轄地域と一致する。
[注釈 2]^ この際、豊多摩郡の残り10町は、2 - 4町ずつまとめられ、「中野区」「杉並区」「淀橋区」として再編されることになった。
出典
[1]^ 『大辞林』第三版
[2]^ 渋谷駅周辺地域交通戦略 渋谷区 2024年10月4日閲覧
[3]^ 国土交通省 第6章 都市構造と鉄道利用に関する分析
[4]^ “都心三区 | 用語集|タウンハウジング”. タウンハウジング|賃貸マンション・アパートのお部屋探しはお任せください。. 2021年4月4日閲覧。
[9]^ a b 「祝はぬ千駄ケ谷」、『読売新聞』、1932 年 10 月 2 日、夕刊、p.2
[10]^ a b c 幡ヶ谷郷土史
■参考文献
東京都交通局編『東京都交通局60年史』東京都交通局、1972年。
渋谷区郷土博物館・文学館編『ハチ公の見た渋谷展図録』渋谷区郷土博物館・文学館、2005年7月。
渋谷区郷土博物館・文学館編『住まいからみた近・現代の渋谷』渋谷区郷土博物館・文学館、2007年10月。
渋谷区郷土博物館・文学館編『「春の小川」の流れた街・渋谷-川が映し出す地域史』渋谷区郷土博物館・文学館、2008年9月。
最終更新 2025年8月16日 (土) 14:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
■人口
1920年 80,799
1925年 99,022
1930年 102,056
■関連書籍
東京市臨時市域擴張部 『豊多摩郡澁谷町現状調査』 1931年
東京府豊多摩郡渋谷町 『渋谷町町勢一斑 昭和7年』 1932年
「上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ10豊島郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763976/80。
■渋谷町 (東京府) より
最終更新 2025年3月23日 (日) 14:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
≪くだめぎ?≫
テキストの「消えた市区町村の謎」によれば、渋谷町は
1925(大正14)年時点で全国の市町村で22位の人口を誇っていた。
旧2町の千駄ケ谷町や代々幡町の反対もあったとあるが、
逆に渋谷町の反対もあっても良かったと思う。
甲州街道が境であり、現在でも
バスタ新宿が「渋谷区」にあり、
他県民でも?である・・。
千駄ケ谷町や代々幡町で「代々木区」、渋谷町単独で「渋谷区」であっても成立する規模である。
Posted at 2025/08/22 07:42:26 | |
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