
UDトラックス プレスインフォメーション 2010年10月29日
バス事業に関する合弁会社の設立協議打ち切りのお知らせ
UDトラックス株式会社は、三菱ふそうトラック・バス株式会社との間で続けておりましたバス事業に関する合弁会社の設立協議を、事業見通しと企業評価額について両社の考えが大きく異なり、妥協の余地が無いことが判明したため、打ち切りました。
また、この合弁会社設立協議の打ち切りに伴い、同社とのバスの相互OEM供給を打ち切ります。打ち切り時期は、現在商談中のお客様のご要望を尊重し決定します。
当社が販売しましたバスに関するアフターサービスは、部品の供給も含めて継続して実施します。
以 上
UDトラックス社とのバス事業に関する合弁会社の
設立協議交渉終了について
2010年10月29日 三菱ふそうトラック・バス株式会社
三菱ふそうトラック・バス株式会社(以下MFTBC)は、UDトラックス株式会社(以下UDトラックス社)とバス事業に関する合弁会社設立協議を行って参りましたが、この度、本協議の交渉が終了したことをお知らせいたします。
2009年8月31日に、UDトラックス社とMFTBCは、合弁会社設立協議の開始について、覚書を締結したことを発表し、2011年1月の合弁会社設立に向け、協議を行って参りました。
しかしながら、双方誠意を尽くして協議を継続してきましたものの、最終的な合意を得ることはできないとの結論に達し、交渉の終了を決定いたしました。
一方で、生産体制の再構築および新製品・技術の投入により、ここ数年、バス事業の強化を図って参りました。
2010年6月に大江工場から小型バス生産を三菱ふそうバス製造(富山市)に移管を完了し、生産の集約による効率化を実現しています。
また、2010年には、現在ダイムラーの最新環境技術である BlueTecRシステム を搭載した、大型観光バス「エアロクィーン・エアロエース」及び大型路線バス「エアロスター」の販売を開始しております。
MFTBCとしましては、引き続きバス事業の収益性を高めるべく、三菱ふそうバス製造の生産効率の向上や、小型バスの海外輸出の強化、ダイムラーバス部門との部品の共通化の強化などの取り組みを実施いたします。
MFTBCは、ダイムラーグループの一員として、バス事業の最適化を進めるとともに、国内外のお客様に対して、最適な高い品質の製品とサービスを提供し続けて参ります。
三菱ふそうとUDトラックス、バス事業の統合交渉決裂
2010年10月29日(金) 16時37分
三菱ふそうトラック・バスとUDトラックスは10月29日、バス事業を統合するための交渉が決裂し、交渉を打ち切った。
両社は2009年8月31日にバス事業を統合するための合弁会社を設立に向けて協議することで合意し、2011年1月の合弁会社設立に向け、協議を続けてきた。
しかし、最終的な合意を得ることはできないとの結論に達し、交渉の打ち切りを決定した。
UDトラックスは、バス事業の見通しと企業評価額について両社の考えが大きく異なり、妥協の余地が無いことが判明したためとしている。
三菱ふそうでは、バス事業での生産体制の再構築、新製品・技術の投入でバス事業を強化してきたが、引き続きバス事業の収益性を高めるため、三菱ふそうバス製造の生産効率の向上や、小型バスの海外輸出の強化、ダイムラーバス部門との部品の共通化の強化などに取り組むとしている。
国内のバス事業では、いすゞ自動車と日野自動車が統合しており、三菱ふそう・UDトラックス連合との2大勢力に集約されると見られていたが、三菱ふそうとUDトラックスのバス事業戦略は振り出しに戻ることになる。
一方、UDトラックスは、合弁会社設立協議の打ち切りに伴って、三菱ふそうとのバスの相互OEM供給を打ち切る。打ち切り時期は、現在商談中の顧客の要望を尊重して決定し、販売したバスに関するアフターサービスは、部品の供給も含めて継続する方針。
レスポンス編集部
UDトラックスと三菱ふそう、バス事業統合破談
掲載日 2010年11月01日
UDトラックスと三菱ふそうトラック・バスは、バス事業の統合協議を打ち切った。両社は2009年8月に協議を始め、11年1月に合弁会社を設立する方向で交渉を進めてきた。だが、事業見通しと企業評価額についての考えが大きく異なり「妥協の余地が無い」(UD)ため。これを機に両社はバスの相互OEM(相手先ブランド)提携を解消する。
三菱ふそうから大型バスの供給を受けてきたUDは、バスの受注活動を停止する。今後は親会社のボルボからのバス調達などを検討するが、アフターサービスを除きバス事業から完全撤退する可能性がある。生産の外部委託は8月に終了している。
一方、三菱ふそうは今年6月に大江工場から小型バスを三菱ふそうバス製造(富山市)に生産移管するなど、事業を再構築してきた。
UDへの供給を中止するが、輸出強化や親会社の独ダイムラーとの部品共通化などで収益力を高める。
日刊工業新聞
UDトラックス
UDトラックス株式会社(ユーディトラックス)は、日本の埼玉県を拠点とする大型車専業(トラック・バスなど)の自動車メーカー。2010年2月1日に、旧社名の日産ディーゼル工業株式会社(にっさんディーゼルこうぎょう)から社名変更した。
現在はスウェーデンのトラックメーカー・ボルボ社の完全子会社であり、旧社名の元である日産自動車との資本関係はなくなっているが、業務提携は継続して行われている。またボルボ社は日産自動車の筆頭株主(44%強の株保有)であるルノーと資本提携しており、日本国内においては社名変更後もルノー・日産グループのメンバーであることに変わりはない。
概要
主にトラック・バスの商用車を手がけており、旧会社名である「日産ディーゼル」(ニッサンディーゼル)の名称と共に、「UD」(ユーディー/ユーデー)の名称でも広く親しまれており、かつて、独自の単流掃気方式2サイクルディーゼルエンジン「Uniflow Scavenging Diesel Engine」を製造しており、その頭文字及び、その頭文字から取ったエンジンの商標だった。この他、自動車業界内では「日デ」(ニチデ)[1]、運輸事業の現場では単に「日産」の通称も用いられている[2]。UDの商標は2サイクルエンジンの製造終了後も継続して使われており、現在ではUDを、Ultimate Dependability(究極の信頼)の頭文字をとったものとしている。
1999年にルノーが日産自動車と資本提携を行った際に日産ディーゼルにも出資し、日産自動車に次いで第2位の大株主となり、ルノーの指揮下でリストラが進められることになった。また、2003年4月には従来日デ車の約6割に架装していた富士重工業伊勢崎製作所(群馬県伊勢崎市、現在のスバルカスタマイズ工房)がバス車体製造から撤退した。これに伴い、バスボディーの調達先を西日本車体工業(福岡県北九州市小倉北区)に集約した。
2005年3月に経営再建が完了したことから、ルノーが所有する株式を放出し、再び日産自動車の直接傘下となった。
2006年3月に筆頭株主だった日産自動車が保有する株式19%中13%を、スウェーデンのトラックメーカーボルボに売却し、ボルボが筆頭株主となる。同年9月に残りの6%もボルボに売却され、日産自動車との資本関係はなくなった。
2007年2月20日、ボルボが完全子会社化を目的とした株式公開買い付け(TOB)を実施すると発表、日産ディーゼルも賛同を決議。
前述のTOB成立に伴い、2007年7月23日付で東証上場廃止となった。
2009年11月、公式サイトにて2010年1月1日付で日本ボルボを吸収合併すると発表した。また、日産ディーゼルの100%子会社であるクリエイトセンターと、ボルボ・インフォメーション・テクノロジー・ジャパン[3]も同日付で吸収合併することが発表されている。
2010年1月19日付の各紙朝刊に、同年2月1日付けで、「UDトラックス」に社名をに変更することが報じられた[4]。その報道に対し、「2月1日に社名変更するのは事実だが、新社名については1月26日に発表する」と公式サイト上でコメントしていた[5]。そしてそのコメント通り、1月26日、2月1日付の「UDトラックス」への社名変更が正式に発表され、ブランドも「UDトラックス」に統一された[6][7]。
バス事業に関しては、2007年5月の三菱ふそうエアロスター-Sの販売開始以後、三菱ふそうとの相互OEM供給が開始された。2009年8月31日に三菱ふそうとバス事業に関する合弁会社の設立に向けた協議を開始するための覚書を締結している。その後、2010年8月には西日本車体工業の車体製造の終了及び会社解散に伴い相互OEM供給を事実上終了し、UDトラックス販売の車両は全て三菱ふそうからのOEM車種となっていた。しかし、2010年10月29日付けで合弁会社設立に関する協議の打ち切りと、前述の相互OEM供給の終了が発表される[8]。これにより、自社でバス車体の製造を行っていないUDトラックスは、事実上のバス事業からの撤退となる可能性がある。実際、2011年現在でUDトラックス公式サイト内の商品ラインナップのページにおいてバスに関する記述がデッドリンクとなっており(かつて扱っていた車種のページそのものは残されている)、バスの販売を行っていないことが伺える。
沿革
この節における出典:日産ディーゼル工業株式会社2009年版沿革 (PDF)
1935年12月1日 - 日本デイゼル工業株式会社として創業。
1936年 - ユンカース・クルップの特許を取得して上下対向ピストン式2ストロークディーゼルエンジンの開発を開始。社名を採ってND型と名づけられた。
1938年 - ND型発売。日本で最初の無気直噴エンジンとなる。
1942年 - 社名を鐘淵デイゼル工業株式会社へ変更。製品もKD型となる。
1946年 - 民生工業株式会社に変更。
1950年5月1日 - 自動車部門を分社、民生デイゼル工業株式会社として発足。
1953年 - 日産自動車が資本参加。
1955年 - GMからデトロイトディーゼル・シリーズ71ユニフロースカベンジングディーゼルエンジンに関するライセンスを取得、自社設計によるUD型2ストロークディーゼルエンジンとして発表。
1960年 - 社名を日産ディーゼル工業 に変更。
2002年2月 - キャブの色を高品位に塗装するサービス・「純正カスタムペイント」開始。
2004年6月 - 中型車のエンジンを日野自動車からのOEMに変更。これと引き換えに同社のキャパシタハイブリッド技術を供与。トラックは6月、バスは8月から変更された。
2005年6月13日 - 自社開発の尿素SCR(選択的触媒還元)システム・「FLENDS」に関する技術を、三菱ふそうトラック・バスにも供与すると発表。両社技術提携へ。
2006年3月27日 - ボルボ社が日産自動車より4000万株(13%)の取得が完了、筆頭株主となる。
2006年9月28日 - ボルボが主要株主からの優先株式並びに日産自動車より残りの株式約1800万株(6%)全ての取得を完了し、日産自動車との資本関係が消滅。
2007年3月29日 - ボルボの資産管理子会社エヌエー株式会社により日産ディーゼル株式公開買い付けを実施。全株式の96%(約2億9千万株)を取得し、筆頭株主並びに親会社となる。ボルボも親会社となる。
2007年5月21日 - 三菱ふそうエアロスター-Sの販売開始により、2006年7月13日に発表された三菱ふそうトラック・バスとの相互OEM供給[9]がスタートした。大型ノンステップバスや中型バスを同社が製造して三菱ふそうに供給、逆に大型観光バスや大型ワンステップバスなどを三菱ふそうから供給を受ける形になる。バス用エンジンについても、相互に供給する。これに伴い、バスに対する日野製エンジンの供給は取りやめになった(トラックについては継続)。
2009年1月1日 - 直系の販売会社を日産ディーゼルトラックスに統合、設立。
2009年8月31日 - 三菱ふそうトラック・バスとバス事業に関する合弁会社の設立協議を開始するための覚書を締結[10]。バスの企画・研究開発・生産・販売の事業を両社から合弁会社へ移管統合するために協議を続けるする方針。
2010年1月1日 - ボルボの100%出資会社「日本ボルボ株式会社」を吸収合併。
2010年2月1日 - 現社名のUDトラックスに社名変更。
2010年2月15日 - ボルボ製大型トラックの取り扱い開始(但し、大手企業向けのみ)
2010年8月24日 - 西日本車体工業製のバス最終生産車を出荷、以後バスについては三菱ふそうからのOEMとなる[11] 。
2010年10月29日 - 三菱ふそうトラック・バスとのバス事業に関する合弁会社の設立協議・交渉を打ち切りが発表される[8][12]。今後は現在行っている三菱ふそうからのOEM供給も終了する予定。
現行車種
トラック
クオン(大型トラック・25tクラス)
コンドルPK(9t)・PW(12t)(エンジンはボルボと共同開発した自社製)
コンドルMK(4t)・LK(5t)(先代モデル。エンジンは日野自動車製)
コンドル20・30・35(旧コンドルSS・日産・アトラスの姉妹車種。現在はいすゞ・エルフのOEM車種)
コンドル10(日産・アトラスの姉妹車種)
バス
前述のとおり、バス車種全ての販売を取りやめている可能性が高い。
大型観光バス(3軸車を除く)
スペースウィングA(AS系・スーパーハイデッカー・三菱ふそう・エアロクィーンのOEM)
スペースアローA(AS系・ハイデッカー・三菱ふそう・エアロエースのOEM)
9m大型観光バス
スペースアローA ショートタイプ(AM系・ハイデッカー・三菱ふそう・エアロエース ショートタイプMMのOEM)
大型路線バス
スペースランナーA(AP系・三菱ふそう・エアロスター2代目のOEM)
脚注
1 ^ 鉄道ジャーナル誌など一部では「日産ディ」の表記も見られる
2 ^ 大阪市交通局が一例で、同局が発行する「大阪トラフィック・ログ」における大阪市営バス保有車両一覧表において「日産」と表記している。同書では三菱ふそうトラック・バスについても「三菱」と略している。
3 ^ ボルボITジャパン、旧システムブレーン。ITサービス提供企業。
4 ^ 日産ディーゼル → UDトラックス(読売新聞、2010年1月19日)
5 ^ 当社の社名とブランドに関する報道について - 日産ディーゼル2010年1月19日付プレスリリース
6 ^ 日産ディーゼルが「UDトラックス」に 50年ぶり「日産」消える(産経Biz、2010年1月26日)
7 ^ 日産ディーゼル工業、会社名の変更とブランド名の統一 - 日産ディーゼル2010年1月26日付プレスリリース
8 ^ a b バス事業に関する合弁会社の設立協議打ち切りのお知らせ - UDトラックス2010年10月29日付プレスリリース
9 ^ 日産ディーゼル、三菱ふそう バスの相互OEM供給に関し基本合意 - 日産ディーゼル・三菱ふそうトラック・バス2006年7月13日付共同プレスリリース
10 ^ 日産ディーゼルと三菱ふそう、バス事業における協力を拡大 - 日産ディーゼル・三菱ふそうトラック・バス2009年8月31日付共同プレスリリース
11 ^ 最終生産車は西鉄バス壱岐自動車営業所配属の6265号車(スペースランナーRA)。バスラマ・インターナショナルSPECIAL10 西工の軌跡(ぽると出版) 2010年9月発行 ISBN 978-4-89980-017-0 P.9
12 ^ UDトラックス社とのバス事業に関する合弁会社の設立協議交渉終了について - 三菱ふそうトラック・バス2010年10月29日付ニュースリリース
関連事項
西日本車体工業(西鉄系のバスボディー指定メーカー、2010年10月解散)
スバルカスタマイズ工房(2002年3月までのバスボディー指定メーカー、旧・富士重工業伊勢崎製作所)
最終更新 2011年5月11日 (水) 10:47 フリー百科事典『ウィキペディア』
UDのホームページには新車のバスは掲載されていない。
3軸車の「スペースウイング」は伝説的な車体だった。上級車だけでも「ボルボ車」導入をするといいが・・・。
富士重、そして西工が車体製造を止めた時点で、バス市場が縮小しているからねー。