
宮城北部 震度5弱 三陸沖、M7.3
八戸は4 久慈港、津波50㌢(2011/3/10)
写真・津波を警戒し、潮位を確認する消防団員
=9日午後0時25分ごろ、八戸市江陽4丁目の市第2魚市場付近
9日午前11時45分ごろ宮城県北部で震度5弱の地震があった。気象庁によると、震源地は牡鹿半島東沖約160㌔で震源の深さは8㌔。マグニチュード(M)7 ・3と推定される。その後も余震とみられる地震(最大M6.3、震度3)が相次いだ,
気象庁は青森県太平洋側、岩手県、宮城県、福島県に津波注意報を発令。青森、盛岡両気象台によると、岩手県大船渡で60㌢、久慈港で50㌢、八戸やむつ市関根浜、むつ小川原港(六ケ所村)などで20㌢の津波を観測した。津波注意報は午後2時50分に解除された。
岩手県大船渡市で避難しようとした女性復しが自宅で転倒、頭に軽傷を負ったか、宮城県栗原市で市立中学の女子生徒(14)が避難途中に足首を捻挫した。
宮城県気仙沼市や岩手県大船渡市などでカキやコンブの養殖いかだが一部流される被害が出た。昨年2月のチり大地震の津波による打撃に続く被書が懸念され、各地の漁協が確認を急いでいる。
政府は、官邸危機管理センターに情報連絡室を設置。気象庁は、今回の地震は震源の位置などから「想定される宮城県沖地震との直接の関係はないだろう」との見解を示した。
青森県内 岩手県内 大きな被害なし
洋野、三沢で避難勧告(2011/3/10)
9日に三陸沖で発生した地震で、青森県内と岩手県北では人的被害や建物などへの大きな被書は確認されなかった。津波注意報を受け、洋野町は沿岸住民に、三沢市は三沢漁港区域にそれぞれ避難勧告を出し、各市町で最大約20人が避難した。また、八戸圏域水道企業団は、八戸市南郷区島守地区の約400世帯に水道水を配給する水源が濁ったため、取水を停止した。配水池には1日分の水があり、住民の水道の利用に影響はないという。
八戸市のまとめでは、八戸駅含と連絡通路をつなぐ補強カバーが落下したほか、小中学校6校で外壁が剥がれるなどした。
同市南郷区島守地区の取水停止について、同企業団は配水池の水位低下に備え、同市の白山浄水場から給水車で水を運搬する方針。取水の再開は「水源の
濁度を見ながら判断する」としている。
日本原燃によると、ガラス固化体製造試験再開に向け作業中の使用済み核燃料再処理工場と、遠心分離機が停止中のウラン濃縮工場は共に被書がなかった。むつ小川原国家石油備蓄基地も地震後に職員がタンクを点検、異常は見られなかっ
た。
東北電力によると、定期検査中で原子炉の運転を停止している東通原発1号機の設備に影響はなく、外部への放射線漏れはない。
地震発生後、一部の携帯電話の通話が規制され、つながりにくい状況が続いた。
JR東日本青森支店によると、東北新幹線で停電が発生、一時運転を見合わせた。はやてと、はやぶさの上下計5本が最大約1時間遅れ、約2700人に影響した。JRの在来線と青い森鉄道でも運休や遅れが相次いだ。
宮城県北部の地震で、青森県などの震度は次の通り。
▽震度5弱=栗原金成、登米米山、登米迫、美里木間塚(宮城)
▽震度4=八戸内丸、七戸森ノ上、六戸、東北町役場、五戸、南部苫米地、階上、おいらせ中下田、東通小田野沢、久慈、普代、野田、二戸浄法寺、一戸
▽震度3=青森、五所川原、弘前城東中央、六ケ所
▽震度1=風間浦
天鐘(2011/3/10)
最初はめまいかと思った。昨日の昼前の地震。「静まれ、静まれ」と、祈ったが、揺れは次第に強くなった。1994年の三陸はるか沖地震のような縦揺れはなかったが、けっこう長く揺れた
▼先ごろのニュージーランド地震が頭をよぎり、恐怖を覚えた。津波注意報が出され、予想到達時刻は間もなくだった。しばらくはテレビにくぎ付けになった
▼昨年2月の南米チリ巨大地震による津波はまだ記憶に新しい。久慈港では120㌢、八戸で90㌢だった。太平洋沿岸は、常に津波への即応体制を問われていると言える。
▼1960年のチリ地震津波では、野田村で8 ・1㍍、八戸で約1 ・5㍍。八戸海上保安部で発見された当時の写真を見ると、破壊力の凄まじさに驚かされる。1896年の明治三陸津波は震度3程度ながらも、大船渡で最大38・2㍍、八戸では3㍍だった
▼藩政時代にも何度も大地震と津波があった。『八戸藩史料』(伊吉書院)によれば、1856年の津波では、湊村の多くの家屋が流失、小中野新町は全て浸水。湊
橋は崩落、漁船は左比代まで、家財道具の類は類家まで流されたとある
▼今回、大きな被書がなかったのは幸いだ。昨年2月の大津波警報で、避難勧告や避難指示に従わなかった住民が6割弱に上ったという調査結果もあった。50㌢の予報が地形によって1~2㍍に達する場合があると専門家は指摘している。津波を侮っていては過去の教訓は生かせない。
以上全て、デーリー東北3月10日一面掲載記事
毎週金曜日「14時46分」は意識する。半年経った今でも思い起こされる、それだけ東日本大震災は強烈だった。だた、その
二日前の「前震」から一連の震災は始まったと言える。地震は本震の後に必ずほぼ同じ大きさの余震がある、と今までの経験から言える。あれだけの大震災である、「前震」が"準備体操"に結果的になった。「本震」で計測機器も狂う位である、何事でも備えることは必要である。
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検証・東日本大震災 | クルマ
Posted at
2011/09/10 06:04:48