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2019年12月31日

「九州島内の交流電化」と"関門トンネル" の建築限界

「九州島内の交流電化」と"関門トンネル" の建築限界 関門トンネル (山陽本線)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関門トンネル(かんもんトンネル)は、関門海峡をくぐって本州と九州を結ぶ、鉄道用の水底トンネルである。九州旅客鉄道(JR九州)の山陽本線下関駅 - 門司駅間に所在する。単線トンネル2本で構成され、下り線トンネルは全長3,614.04メートル、上り線トンネルは全長3,604.63メートルである。

[写真・画像] JR九州下関変電所、関門トンネルに電力を送る直流変電所 作成: 2012年8月10日

7 運用
7.3 九州島内の交流電化
 第二次世界大戦後は、石炭の節約の観点から国鉄の主要幹線の電化を推進する方針となった[438]。しかし連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の民間運輸局 (CTS) は、戦災復興を優先するべきという理由で電化の推進に否定的な態度を取り、占領期には電化はあまり進捗しなかった[438]。1955年(昭和30年)9月26日に発足した日本国有鉄道電化調査委員会では、早急に主要幹線3,300キロメートルの電化を推奨する報告書を11月29日に提出した[439]。これを受けて1957年(昭和32年)度からの第1次5か年計画では、第1次計画として1,665.8キロメートルの電化を推進する方針となり、この中で関門トンネルの両側にあたる山陽本線の西明石 - 幡生間、鹿児島本線の門司港 - 鳥栖間が取り上げられた[440]。
 ちょうどこの時期、国鉄では交流電化の技術にめどを付けて採用を進める方針となっていた[441]。国鉄の交流電化調査委員会では、交流電化の経済性を検討し、電車運転および交直接続の費用を考慮しなければ、常に交流電化が有利であると結論付けた[442]。しかし、この検討は直流電化の技術の進歩を適切に考慮しておらず、また交流電化に必要となる建築限界の拡大に要する費用も評価されていないという問題があり、これに加えて既に直流電化されている東海道本線の延長となる山陽本線では交直接続の費用が交流電化の経済性を帳消しにしてしまうことから、交直接続をどこで行うのがもっとも経済的かということが検討された[442]。
 この検討の際に大きなポイントになったのが関門トンネルの建築限界の問題で、トンネルの断面は本来は設計上5,100ミリメートルの高さがあるはずであり、交流電化には大きな問題はないと考えられていたが、1957年(昭和32年)12月に実測してみたところ、戦時中の材料不足による工事方法変更の結果として短区間ではあるものの4,970ミリメートルの高さとなっている場所があることが判明した[443]。この高さでも、特別な架線吊架方式を採用し絶縁方法を工夫することで交流電化も不可能ではないとされたが、将来的に大きな貨物の輸送に支障をきたす恐れがあった[443]。これに加えて、関門トンネル内は海水の漏洩が激しく、直流電化においても絶縁の保持に苦労している現状があり、交流20,000ボルトに変更すればより一層保守が困難になるものとされた[444]。
 また交直接続箇所においては、地上切替方式を採用しないのであれば、高価な交直両用の機関車を必要とする[445]。交直接続箇所から西側をすべて交直両用機関車で牽引すれば、機関車の総所要両数は減るが、高価な交直両用機関車の所要数が増加する[445]。一方、交直両用機関車による牽引を交直接続箇所を跨ぐ区間に限定して、西側では交流専用の電気機関車を使うものとすれば、交直両用機関車の所要数は減るが機関車の総所要両数が増加となる[445]。しかし、関門トンネルは急勾配の長大トンネル区間であり、もともと高速運転をしない上に、電動機に電流を流して走る時間も短く、加えてトンネル内は一定の気温であることから発熱の観点で有利になる[445]。さらに短区間であることから蒸気暖房用の蒸気発生装置を搭載する必要もないとして、この区間に限れば交直両用の機関車としては安価な専用機関車を設計できるものとされた[445]。こうした点を考慮し、最終的に山陽本線を直流、鹿児島本線を交流で電化し、門司駅構内を交直接続点とする方式が決定された[442][444]。
 こうして電化が推進されることになった。通常は既存の電化区間をそのまま延長していくが、そうなると九州への電化の到達はかなり先のことになり、日本有数の重工業地帯で当時輸送量が急増していた北九州地区の輸送需要に応えることができないという問題があった[446]。そこで飛び地となるが、山陽本線の小郡以西と九州島内を先に電化する方針となった[446]。
 こうして1961年(昭和36年)6月1日に山陽本線小郡(後の新山口駅) - 下関間と、鹿児島本線門司港 - 久留米間の電化が開業した[447]。このために交直両用の421系電車が製作・配置され、関門トンネルを通過して山陽本線と鹿児島本線を直通する運転を開始した[448]。北九州の通勤輸送対策のためにこの電化開業では、交直両用電車を投入して一部の客車列車を置き換えあるいは増発することが先行することになり、この時点では客車や貨車を牽引する機関車については従来のEF10形が引き続き用いられた[449]。EF10形は直流専用であるため、門司駅構内の内側の関門トンネルから列車が出入りする線路から門司操車場に至る区間はこの時点では暫定的に直流電化のまま残され、外側の鹿児島本線の線路が交流電化され、交直デッドセクションは暫定のものが小倉側の山陽本線と鹿児島本線の分岐部に設置された[450]。
 関門トンネル区間用の交直流電気機関車としては、EF30形電気機関車が開発された[451]。1961年(昭和36年)8月から10月にかけて、量産形のEF30形が門司に配置され[452]、8月から順次営業運転を開始し、10月1日から本格的に運用を開始した[451][453]。代わって、EF10形は関門間の運用から外れ、直流電化区間へ順次転出していった[452]。これにより、交直デッドセクションを本来の位置に移設する工事が行われ、1962年(昭和37年)3月2日から門司駅構内は全面的に交流電化となった[454]。本来の交直デッドセクションの位置でも、下り線の旅客線と上り線の旅客・貨物線はともに関門トンネル出口付近のシーサスクロスポイント付近にあるが、下り線の貨物線は上下ホームの間をさらに進んだ小倉側に設置されており、これはトンネル出口の上り勾配で列車が停止してしまった場合に、再発進しても十分加速できないままデッドセクションのために惰行しなければならなくなる危険を回避するためだとされている[452]。
 1964年(昭和39年)10月1日には、山陽本線の全線電化が完成した[455]。この時、東海道新幹線も同時に開業したことから、在来線の東海道本線での運用を終えた151系電車が山陽本線での運用になり、特急「はと」「つばめ」として九州まで直通で乗り入れることになった[456]。しかし151系は直流専用であったため、電源車としてサヤ420形を連結した上で、九州島内では電気機関車で牽引されて走ることになった[456]。この運行は1年で終わり、交直両用の特急電車として481系電車が1965年(昭和40年)10月1日から使用されるようになった[456]。同時に急行用の475系電車も投入されて、関門トンネルを往来するようになった[456]。

12.2 出典
[438]^ a b 『日本国有鉄道百年史』14 p.213
[439] ^ 『日本国有鉄道百年史』14 p.214
[440]^ 『日本国有鉄道百年史』14 p.218
[441]^ 『日本国有鉄道百年史』14 p.219
[442]^ a b c 「山陽・鹿児島本線の電化方式について」p.13
[443]^ a b 「山陽・鹿児島本線の電化方式について」pp.15 - 16
[444]^ a b 「山陽・鹿児島本線の電化方式について」p.17
[445]^ a b c d e 「山陽・鹿児島本線の電化方式について」p.14
[446]^ a b 「鹿児島本線及び山陽本線の電化工事概要」p.14
[447]^ 「関門トンネル30周年」p.37
[448]^ a b 「関門トンネル70周年と交直接続」pp.28 - 29
[449]^ a b c 「関門トンネル70周年と交直接続」p.29
[450]^ a b 「関門トンネル70周年と交直接続」pp.29 - 30
[451]^ a b c d e 「量産EF30形交直流電気機関車」p.14
[452]^ a b c d 「関門トンネル70周年と交直接続」p.30
[453]^ a b c d e 「交流電気機関車 誕生の記録」p.32
[454]^ a b c d e 「関門トンネル70周年と交直接続」p.31
[455]^ a b 「関門トンネル30周年」p.38
[456]^ a b c d e f 「関門トンネル30周年」p.39

13 参考文献
13.1 書籍
『関門隧道』運輸省下関地方施設部、1949年3月31日。
田村喜子『関門とんねる物語』毎日新聞社、1992年8月30日。ISBN 4-620-30888-9。
黒川寛『海底死闘六年 関門トンネル』関門日報社、1943年2月25日。
『日本国有鉄道百年史』5、日本国有鉄道、1972年7月28日。
『日本国有鉄道百年史』6、日本国有鉄道、1972年10月1日。
『日本国有鉄道百年史』8、日本国有鉄道、1971年12月15日。
『日本国有鉄道百年史』9、日本国有鉄道、1972年3月25日。
『日本国有鉄道百年史』11、日本国有鉄道、1973年3月31日。
『日本国有鉄道百年史』14、日本国有鉄道、1973年12月1日。
吉村恒・横山章・下河内稔・須賀武『トンネルものがたり』山海堂、2002年4月30日、第1版第3刷。ISBN 4-381-01437-5。
長船友則『山陽鉄道物語』JTBパブリッシング、2008年2月1日、初版。ISBN 978-4-533-07028-0。
斉藤哲雄『下関駅物語』近代文藝社、1995年7月10日、第2刷。ISBN 4-7733-3980-2。
古川達郎『鉄道連絡船100年の航跡』成山堂書店、2001年6月8日、二訂版。ISBN 4-425-92141-0。
弓削信夫『明治・大正・昭和 九州の鉄道おもしろ史』西日本新聞社、2014年6月12日、初版第一刷。ISBN 978-4-8167-0885-5。
青木栄一『鉄道の地理学』WAVE出版、2008年10月15日、第一版第一刷。ISBN 978-4-87290-376-8。
今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 12号 九州沖縄』新潮社、2009年4月18日。ISBN 978-4-10-790030-2。
『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1、JTB、1998年10月1日。ISBN 4-533-02980-9。
『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、JTB、1998年10月1日。ISBN 4-533-02980-9。
須田寛『昭和の鉄道』交通新聞社、2011年4月15日。ISBN 978-4-330-20811-4。
『鉄路の闘い100年 鉄道防災物語』国鉄防災100年史編纂会、山海堂、1972年9月1日、初版。
沖田祐作『機関車表 フル・コンプリート版DVDブック』ネコ・パブリッシング、2014年3月1日、初版。
『JR貨物時刻表2011年』鉄道貨物協会、2011年3月。
『JR貨物時刻表2012年』鉄道貨物協会、2012年3月。
高松宮宣仁親王『高松宮日記』第四巻、中央公論社、1996年7月25日、627頁。

13.2 論文・雑誌記事
松村憲勇「土木遺産の香 第42回 世界初の海底トンネル「関門鉄道トンネル」 (PDF) 」 『Civil Engineering Consultant』第236巻、建設コンサルタンツ協会、2007年7月、 58 - 61頁。
広井勇「下関海峡横断鉄橋設計報告 (PDF) 」 『土木学会誌』第5巻第5号、土木学会、1919年10月、 965 - 988頁。
田辺朔郎「海底隧道に関する報告 (PDF) 」 『土木学会誌』第5巻第6号、土木学会、1919年12月、 1281 - 1293頁。
平井喜久松「関門海峡水底隧道地質調査 (PDF) 」 『土木学会誌』第7巻第4号、土木学会、1921年8月、 605 - 638頁。
大井上前雄・佐伯謙吉「関門連絡線に関する第一回調査報告 (PDF) 」 『土木学会誌』第14巻第3号、土木学会、1928年6月、 387 - 417頁。
大井上前雄「関門隧道の調査及計画に就て (PDF) 」 『土木学会誌』第15巻第7号、土木学会、1929年7月、 479 - 493頁。
釘宮磐・星野茂樹・加納倹二「鉄道関門隧道工事に就いて (PDF) 」 『土木学会誌』第32巻第1号、土木学会、1947年1月、 1 - 8頁。
高坂紫朗・坂本貞雄・小竹秀雄「丹那トンネルから関門トンネルへ」『土木学会誌』第60巻第1号、土木学会、1975年1月、 43 - 47頁。
藤田雅弘「関門トンネルと青函トンネル」『土木学会誌』第71巻第5号、土木学会、1986年5月、 12 - 15頁。
三浦基弘・前田研一「フォース鉄道橋の隠された歴史 片持梁と渡邊嘉一 (PDF) 」 『土木史研究講演集』第24巻、土木学会、2004年、 215 - 218頁。
江村康博・福元俊国「50年を経過した海底トンネル 関門トンネルの健全度調査」『トンネルと地下』第23巻第2号、土木工学社、1992年2月、 113 - 119頁。
小野田滋「関門トンネルの立坑を探る(1)」『トンネルと地下』第38巻第10号、土木工学社、2007年10月、 26 - 27頁。
小野田滋「関門トンネルの立坑を探る(2)」『トンネルと地下』第38巻第11号、土木工学社、2007年11月、 44 - 45頁。
小野田滋「関門トンネルの立坑を探る(3)」『トンネルと地下』第38巻第12号、土木工学社、2007年12月、 44 - 45頁。
吉江一雄「関門トンネル30周年」『鉄道ファン』第142号、交友社、1973年2月、 32 - 41頁。
谷口良忠「関門時代のEF10形」『鉄道ファン』第142号、交友社、1973年2月、 42 - 46頁。
門司機関区OB生「関門の思い出」『鉄道ファン』第260号、交友社、1982年12月、 86 - 88頁。
原田勝正「関門トンネルものがたり」『鉄道ジャーナル』第313号、鉄道ジャーナル社、1992年11月、 84 - 88頁。
「JR貨物EH500形が関門間で走行性能試験を実施」『鉄道ジャーナル』第456号、鉄道ジャーナル社、2004年10月、 93頁。
「関門トンネルを通過する気動車列車廃止」『鉄道ジャーナル』第469号、鉄道ジャーナル社、2005年11月、 103頁。
松久恒三「鹿児島本線及び山陽本線の電化工事概要」『鉄道ピクトリアル』第119号、電気車研究会、1961年6月、 14 - 18頁。
丹沢貞吾「関門電化と運転従事員の養成」『鉄道ピクトリアル』第324号、電気車研究会、1976年9月、 49 - 52頁。
「EF30形のお別れ運転」『鉄道ピクトリアル』第482号、電気車研究会、1987年7月、 80頁。
日本貨物鉄道(株)技術部運用車両課「JR貨物交流・交直流電気機関車の現況」『鉄道ピクトリアル』第563号、電気車研究会、1992年8月、 19 - 23頁。
久保敏「交流電気機関車 誕生の記録」『鉄道ピクトリアル』第563号、電気車研究会、1992年8月、 26 - 35頁。
杉田肇「交流電気機関車の系譜」『鉄道ピクトリアル』第563号、電気車研究会、1992年8月、 41 - 52頁。
杉田肇「EF81形電気機関車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』第760号、電気車研究会、2005年4月、 16 - 24頁。
春日雅之「JR貨物 EF81形の配置と運用」『鉄道ピクトリアル』第760号、電気車研究会、2005年4月、 42 - 45頁。
大塚孝「関門トンネル70周年と交直接続」『鉄道ピクトリアル』第876号、電気車研究会、2013年6月、 22 - 31頁。
加島篤「昭和28年西日本大水害で水没した関門鉄道トンネルについての電気工学的考察-初期の電気設備と列車脱出事件-」『北九州工業高等専門学校研究報告』第40巻、北九州工業高等専門学校、2007年1月、 29 - 38頁。
加島篤「関門鉄道トンネルをめぐる電気技術史-変電所の変遷と西日本大水害時の列車脱出事件- (PDF) 」 『北九州工業高等専門学校研究報告』第41巻、北九州工業高等専門学校、2008年1月、 25 - 34頁。
朝倉俊弘・久楽博・鶴英樹・瀧口将志「関門鉄道トンネル」『コンクリート工学』第46巻第9号、日本コンクリート工学会、2008年9月、 71 - 75頁。
川野輝信「世界初の海底トンネルのメンテナンス-関門鉄道トンネル(在来線)-福岡県・山口県」『土木施工』第47巻第12号、山海堂、2006年12月、 63 - 68頁。
石丸勇「関門トンネルの管理保守」『鉄道土木』第21巻第1号、日本鉄道施設協会、1979年1月、 54 - 59頁。
山中文雄「関門トンネル50周年を迎えて」『日本鉄道施設協会誌』第31巻第1号、日本鉄道施設協会、1993年1月、 23 - 25頁。
岩垂定男「関門トンネルの水没」『日本鉄道施設協会誌』第42巻第6号、日本鉄道施設協会、2004年6月、 2 - 4頁。
吉田朝次郎「関門トンネルの復旧排水工事」『科学朝日』第13巻第9号、朝日新聞社、1953年9月、 82 - 85頁。
石岡米彦「山陽・鹿児島本線の電化方式について」『交通技術』第13巻第10号、交通協力会、1958年9月、 13 - 17頁。
真宅正博「量産EF30形交直流電気機関車」『電気鉄道』第15巻第10号、鉄道電化協会、1961年10月、 14 - 17頁。
宮崎健一「関門トンネル内電車線設備の変遷と保全について」『電気鉄道』第37巻第4号、鉄道電化協会、1983年4月、 11 - 15頁。
兼山證「関門トンネルの保守」『新線路』第30巻第5号、鉄道現業社、1976年5月、 30 - 31頁。
小山幸則「日本のシールドトンネル覆工設計法の変遷と課題 (PDF) 」 『トンネル工学論文集』第14巻、土木学会、2004年11月、 招待論文1-8。

最終更新 2019年10月15日 (火) 10:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 関門トンネルも含め神戸-門司がJR山陽本線である。でも下関-門司がJR九州、下関以東がJR西日本の承継している。
 関門トンネルの建築限界で"交流電化"としても高さ不足により、直流電化維持・門司駅構内デットセクション設置となった。結果、省線山陽本線全線が直流電化線となる。なぜ、JR西日本の担当を門司までにしなかったのか。不思議だ。JR九州としても交流専用電車ばかりで、JR北陸線で交直流電車と共用出来るJR西日本の担当が良かったと思うのは私だけでないはず。
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Posted at 2019/12/31 16:59:58

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