情けない話ですが。
全然知らなかった事があるのにビックリ。
①D1騒動
土屋圭市さんと稲田大二郎さんがD1運営会社の取締役を辞任していたんですね。
最初、「ああ、都合が悪くなって撤退したのか?」と思ったんですけど…
どうやら違うみたい。
D1SLの、もっとベーシックなクルマでの、それも昔ながらのドリフト大会を目指して
何か始めるようです。
何でも、出場チームと運営者たちとの軋轢が凄まじくなっていったようで、それが理由の一つということの様ですね。あくまで彼らの弁を信じれば、ですが。
まあ、このような新しい動きを出しているので、何かが違っていると思ったのも本当でしょう。
たあだね~。
彼らの言い分に、一つだけ、ワタクシには不明な点があります。
D1ってね、
ドリフトで飯を食えるようにしてやりたいってところからスタートしたんじゃなかったっけ??
プロ・モーター・『スポーツ』として成立させるつもりじゃなかったの?
だから、プロとしてのレベル維持となれば、どんどんクルマがレーシング・カーに近づくのは当たり前。何故なら、
そういう化け物みたいなクルマを操って初めてプロらしくなるからです。
ですが、彼らの主張は、何故か
完全にアマチュアリズムに振られたものなんですよね。
そりゃおかしい面があるでしょう?と。
彼らの「飯が食える」という考え方が、一体どのようなレベルで、どのような形なのかがよく分からないし、何に腹を立て、何が不満なのかが表明されていないから、ワタクシには、何が何だか分からない感じがします。
D1って、既にドリフトを楽しんでいる人たちから見捨てられ始めている観が、ワタクシのような鈍い人間ですら感じ取れていたんですよね。
それはね。
お祭りイベントとプロ『スポーツ』興行の違いが分かっていない人が育て損ねたと言う事なんですね。
実は、この問題は、モータースポーツではよく起きていることです。
日本だけでも無いです。
日本では、やはり
GT選手権問題が顕著でしょう。
あれは、グループAの消滅後、高橋国光氏を中心に、
ドライバーとファンのためのレースとして、本当にアマチュアの運営によって開始しました。
人気はあったものの、運営コストが莫大で借金が嵩み、現在のスーパーGTによって救済されている、という状態です。
つまり、ですね。
スポーツ興行というのは、そもそも長続きが難しく、運営側・出演側(出場側)双方のプロのレベルによって、いつでも失敗しやすいものなんです。
ただ人気があっても、定着しなければ単なる一時的なイベントで終わってしまいます。
お祭りだってそうです。継続しなければ、それが名物にまでなることはありません。
ワタクシは、その手のプロでは勿論ありませんが、会社や事業運営で、このような『スポーツ』興行が成立するには、五つ、少なくとも四つの要素があると思います。
①スポーツとして成立し、競技人口がまとまった数で存在する事=継続的な底辺育成が可能な事
②スポーツとして、出場・出演に必ずある種の公平性がある事(※条件を満たせば出られるという門戸がある事)=参加の障壁が少ない事
③「観戦」興行を通じて収益を必ず生む事(※ただし賭け事は除く)=スポーツそのものに価値が存在する事
④その収益を業界で分配する明確なルールが存在する事=継続的利益構造を必ず生む事
⑤これらの興行に対象スポーツについて、たった一つの統一的団体がある事=やたらと統括団体が存在しない事
残念ながら、日本でこれが可能となっているプロスポーツは、一つもありません。
え??
プロ野球??サッカー??
どちらも、これらの要素に照らし、上手く言っているとは言えません。
まずプロ野球ですが、日本の場合、これは
単なるスポンサー制度でしかありません。
収益を生むのも、各球団に委ねられ、球団個々の収益を上げる努力によって支えられているに過ぎないし、だから赤字球団が殆どです。
それを埋めているのは、スポンサー(オーナー)企業であって、野球をビジネスとして完全独立したものではありません。
逆に言えば、統一団体に権力が無いのはこのせいなのです。
独立した興行としての成功は全く無い状態のまま、一世紀近く続いている…というのが本当のところでしょう。
では、サッカーは?
これは、川渕元チェアマンが、プロ野球…というより野球界全体の無様さをつぶさに研究して作ったもので、プロ野球に比べ、はるかに優れたシステムを持っています。
しかし。
いかんせん、③収益が業界全体を支えるには少なすぎる。
育てるのに時間が必要ですね。
現段階では、長い発展途上と見るのが最大限良い見方でしょう。
このままの状態が定着してしまう事もありえるため、現段階での評価にとどまるものだと思います。
しかし、反対に言えば、世界的スポーツであるのは間違いないので、時間をかければ、日本で唯一、プロスポーツとして成功できる要素は揃っているとも言えると思います。
ああ、競馬その他の競技は、
公営ギャンブルに過ぎず、そもそもプロ・スポーツの範疇に入れて良いかどうか、迷うほどの物です。
何故なら、
ただ見るためにお金を払う人は皆無だからです。
今では、
無観客興行を提案されるなど、ただ結果の公平性があれば、観客を不要とする興行で、プロ・スポーツの「観戦」という価値はないのです。
あくまで
「お金の賭け事」の対象でしかありません。
これでは、プロ・スポーツ興行とはいえないと思います。
何故なら、プロ・スポーツ興行は、スポーツをただ見ることに全ての価値が発生している、反対に言えば、観客自身を含めて、みんながそのスポーツをすることに、価値を見出していることが大前提で、これら公営ギャンブルには、根本的に、このような価値はほぼ皆無だからです。
第一、どこでも競馬選手になれるよう、乗馬ができるような国ですか?
自転車はまだいいとして、オートレースは?モーターボートは?
底辺が常に発展できるような競技ですか?
これら公営ギャンブルは、競技ではあっても、全て
賭博興行に過ぎないのです。これは、プロ・スポーツの興行とは一線を画します。
スポーツの興行として成功していると言いうるためには、
ただ「観戦」一つに対し、万人に価値が認識され、生まれていることが絶対的に必要です。
今回の問題とD1に対して、色々な意見があるようです。
調べて見たら、大体以下のものに集約できるようです。
・クルマが凄いのか、ドライバーが凄いのか、どちらなのかが分からない
・クルマが化け物で親近感がない
・同じドライバーばかりでおかしい
これらの意見は、全て消費者からの大切な意見です。
この意見に、失敗しつつある全ての要素が詰まっている、とは感じませんか?
誰も触れていませんが、ワタクシには、このように感じます。
ドリフトは、スポーツ走行ではあっても、確たるモーター・『スポーツ』として確立されてはいないものに過ぎない。
モーター・『スポーツ』には、
競争結果としてのタイムという絶対的価値判断基準がある訳ですが、ドリフトには、
ただ滑らせて走るという走行方法でしかなく、競争原理によって決める確定的な判断基準が、現段階ではそもそも存在していないんですね。
角度?
煙?
追走?
ドリフトに、どうしても必要なものですか?
つまり、
ドリフトは、競争原理によるスポーツとしては、甚だ未熟な状態の、いわば『スポーツ然』としているもののような気がします。
今、D1という世界は、ワタクシに言わせれば、
現ドリフト選手に限定して利用した収益構造に過ぎません。
単なるイベントです。
プロ・スポーツとして成立していないのです。
スポーツと言いうるためには、②新陳代謝が約束されている事も必要なのです。
誰でも参加できる、そのトップに、どんどん入っていけるものでなければ、それは単なる閉鎖団体です。
では、何でこうなるのか。
今は、先に占拠した人たちが自分たちに勝手なルールを作り、居座っているようなものだからです。
いえ、少なくとも、ワタクシ以外にも、
観客はそう見始めているのです。
それは、何故か。
スポーツとして確立したものではないから。
追い出されたら食えない人たちで固められているのではないか?
疑われても仕方ありません。
とにかく。
元々、誰でも参入できるもので、しかもプロを作り出せるスポーツ興行には向いていないのは確かのようです。
②土屋圭市氏の離婚
…あんまり関係ないんだけどさ~。
彼の自伝も読んでいるワタクシとしては、奥さんの支えあっての彼がいたのも垣間見ているので、ちょっとショックだったなあ~。
ただね。
彼の三十代に出会った頃を考えると、
彼も人が変わったね。
それも、あんまり良い意味ではなくて、ですね。
まあ、それは置いといて。
ただ、この事を知った時、彼の今までの様々な噂と相まって、男性というものにおいて、
結婚とか夫婦生活というものに、色々と考えさせられたなあ。
ワタクシ、色々ありまして、この歳になって独身ですが(涙)、ワタクシの仕事をしていると、様々な人間を見る機会が生まれ、考えさせられることも多くあります。
一つは、男性の中でも結婚に向いていない人がいる、という事実ですね。
銀河英雄伝説にも出てくる台詞ですが、
男性の中には、結婚生活にある種の違和感を覚える人がいるのは、紛れも無い事実です。
違う言葉で言えば、
結婚=束縛or息苦しさと捕らえる人が多い。
…まあ、ワタクシなどは、経験がないので何とも言えませんが、目の前で、
「開放してくれ(汗)」などと発言する人も少なからず見てきたワタクシとしては、その事に違和感を最初は覚えましたね。
ええ、あくまで
最初はですけどね(汗)。
若い人に言えるとしたら…
結婚するなら、少なくとも、疑問に感じたら、その事をよく話し合い、共同で二人三脚で行くという気持ちをいつも持てることが大切…だなあということ。
これが無い人なんて、ワタクシたちの仕事では、夫婦の様々な問題の原因、それが更なる大問題の原因になっていることが大変多くあるんだわ。
それと、
現実を直視する勇気を必ず持つ事。
女性は、割とこれに強い…ただ、持っている性格と相まって、
単なるド近眼の視点しか持てなくなる事が多い生き物でもあるので、そこは男性もフォローしないといけないこともある。
反対に、男性は、
遠くを見て計画をしたり、夢を持ったり出来るけれども、足元をしっかり見ない人が大変多いので、特に現実を受け入れ、見直す勇気は男性にとって大切です。
まあ、どのように考えても。
結論としては、ワタクシのようなエキセントリックなどという言葉では言い表せない人間とは、一緒に暮らせる女性は、
アニメの世界にもいないのは間違いないので…
あれ?
何だか
悲しすぎる現実と向き合ってしまった(涙)。