先日訪れた、「スーパーオートバックス東雲店」での戦利品である「プロジェクトX]のDVDを見てみました。
色々、感じ入る事があったのでブログしてみます。
歴史を振り返ってみれば、私の愛車であるブルーバードの製造元である、日産自動車はその発祥を戦前にまでさかのぼります。
時に社名を変え、または大きな動乱や経営危機を経験しながらもそれを乗り越え現在まで存続している老舗のメーカーで有る事は今更私がご紹介するまでもありません。
しかし、その躍進の影に「プリンス自動車工業」と現在までその名が受け継がれている、「スカイライン」という一台の車の存在はあまり意識されていないかと思います。
そもそも、プリンス自動車は戦前の国産飛行機メーカー「中島飛行機」を母体とする映写機や、ミシンの製造メーカーである「富士精密工業」と「立川飛行機」を前身とする「たま電気自動車」の統合により生まれた会社です。
生産規模では、当時のトヨタの9分の1程度でしたが、構成メンバーの多くは現場叩き上げの飛行機技術者達。
しかも彼らを率いるのは、かの「零戦」のエンジンの主任設計者でした。
後発メーカーでありながら、戦闘機のエンジン設計のノウハウを生かし独自開発の車両を発売していきます。
当時から有力メーカーであった、トヨタや日産でさえノックダウン生産による技術の蓄積を余儀なくされていた時代に、独自に車両開発を行っていたのはプリンスと現在のスバルのみです。
そんな彼らの元に衝撃の知らせが届いたのは昭和40年。
前々年、前年の日本グランプリでの敗退、車両開発のコストなどの問題から販売不振に喘ぐプリンスに対し、外国車の輸入自由化に伴う国内メーカーの共食いを危惧した当時の政府の主導による、日産への吸収合併の決定。
そして、今年も届いた日本グランプリへの招待状・・・。
宿命のライバル、「ポルシェ904」への雪辱を晴らすため、プリンス最後のレースで意地を見せると誓った彼らは、会社の総力を注いで作り上げたレーシングマシン「R380」で更なる進化を遂げた「ポルシェ906」へ挑みます。
レースは、他社の車両を大きく引き離し2台の独走状態。
ポルシェのコーナーでのスピンによるリタイアにより、R380は他社車両を実に3周程引き離してのゴールとなりました。
最後のレースで優勝と言う快挙を成し遂げ同年8月、プリンス自動車は日産へと吸収合併されました。
通称ハコスカと呼ばれる3代目PGC10型・KPGC10型GT-RVSロータリーとの対決の方がメジャーかとおもわれますが、通算50勝を成し遂げたR
(レーシング)の王者にも厳しい下積み時代が有った事を覚えて置いて戴きたいです。
初代スカイラインがデビューしてから、実に30年以上の時が過ぎようとしています
設計思想や形は変わっても、現在まで「スカイライン」が存在している背景には、
単純なブランドネームの利用に留まらず、「スカイライン」の名を人々の心に鮮明に焼き付け、その「名」を印象付けたのは、技術者たちの「妥協をしない心持ち」と自分たちの持つ「技術への矜持」が有ったからのように思います。
同時にそれは、今の日本人に最も欠けている物のように感じました。
人の一生にせよ、仕事にせよ、企業の在り方にせよ・・・
何処かに妥協を強いられるのは、仕方の無い事だと思います。
しかし、「妥協の産物」の先に有る物はやはり「妥協の産物」以外の何物でもありません。
特に、某実質おフランス資本の日を産む自動車会社さまの「2.5リッター以下の車種はみんなマ○チベース」なんて作り方は量産効率は上がると思いますが、消費者の足元を見過ぎです。シルフィだってそうです、4枚ドアがあればセダンだと思わないで頂きたい。
先日行われたモーターショーのインパルブースで「シルフィSSS」がお披露目した様です。
ただのコンセプトカーで終わるかもしれませんが、今後の動向を気にしつつ今回は指を置きたいと思います。
Posted at 2009/01/17 03:04:42 | |
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