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Byu@新潟のブログ一覧

2011年03月16日 イイね!

被災体験記21:罹災証明なるもの

被災体験記21:罹災証明なるもの

ここでは被災者が必ず関わる実務的な事に触れておきます。

災害などで自宅が被害を受けると赤紙、黄紙、緑紙を玄関付近に自治体の方が貼っていきます。これは建物応急危険度判定といって、地震による建物の構造的損傷の程度から余震などによる倒壊の危険性を判定することで、二次災害の発生を避ける目的で行われるものです。そのため、外観上問題の無いように見える建物であっても赤紙(倒壊の危険有り)が貼られ立ち入りを制限されたりします。

これとは別に罹災証明というものがあります。
自然災害などにより住家などが破損した場合、その程度を規定の基準に基づき判定し、証明するものです。この証明は、保険の請求や税の減免などの手続きに必要とされます。また、大規模災害が発生した場合に行われる各種救援措置もこの罹災判定により行われます。

簡単に言うと危険度判定は見た目のザックリ判定・・・、たいして罹災証明は屋内外を細かくチェックリストに沿って判定する公的な証明書。

現在はどういう区分けになっているか分かりませんが、当時は『全壊』、『大規模半壊』、『半壊』、『一部損壊』の4段階に分かれていました。
これにより県、国からの応急修理費や救済措置の額、つまり復旧救済金の金額が決まってきます。
これも当時の規定なので今とは違っているかもしれませんが、『全壊』のトータル数百万円から『一部損壊』の5万円まで幅がかなりあります。

罹災判定は基本的に家の持ち主立ち会いのもと行われ、不服がある場合は再判定を申し立てる事も出来ます。結構な方が再判定を申し立て一時役所は異常に混雑していました。うちも結果に納得がいかず再判定を申し立てました。

お金じゃないと言う方もおりますが、復興復旧にはかなりの費用負担を被災者は追わねばなりません。ぶっちゃけ1円でも多く頂ければ助かります。

また国民金融公庫など災害復興用に条件の良い貸し出しもしていて、商工会議所等で融資説明会なんかも開かれたりします。
また民間の銀行や信金などでも同様に条件の良い貸し出しプランも出されるので気軽のご相談される事をお勧めします。

Posted at 2011/03/16 23:46:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 被災 | 日記
2011年03月16日 イイね!

被災体験記20:全国自治体からの贈り物

被災体験記20:全国自治体からの贈り物ちょっと後半はオブラートに包まずリアルに書き過ぎたかな・・・、少し反省しきりです (・。・;

でも出来るだけ事実に則した内容の方がこれから起こりうる困難に立ち向かえると思いもう少しだけ直球勝負で行きたいと思います。

民間レベルの救援物資が届くと同時に全国の各自治体が備蓄している防災品が被災地に送られてきます。なかでも一番助かるのが圧縮されてペッチャンコな状態でやってくる防災毛布・・・、これは必需品です。

乾電池やラジオ付き手まわしライト、マスク、下着、他にもいろんな物が届きます。
いろいろある中で一番多いのが長期保存食と水です。

断水時にはこの水は本当に助かります。
しかし、しかしなんです・・・、よーく見ると賞味期限が後1週間とか最短だとあと4日で切れるものとか、そういう期限ぎりぎりのものが大半だったのです。
もちろん水がなければそれを使いますが、全国の自治体から大きな贈り物が到着したのです・・・、それは給水車!
自衛隊の給水車もありましたが台数が少なく地域全域をカバーしきれなかったのでこれは嬉しかったです。

給水車による飲み水の確保が出来ると今度は誰もPETの水を使わなくなります。
理由はPETボトルのゴミが大量に出るからです。
必要が無くなった救援物資の水は行き場が無くなり、保管庫の奥に押しやられていました。送ってきた自治体に送りかえしたという話は聞かないのでおそらく私が住む自治体が費用をかけて処分したのだと思います。

みんなこんな陰口を叩いていました。
『これを送ってきた自治体の管理者、自前で有償処分するのがアレなんでうちの自治体をゴミ捨て場に選んだんじゃないか?』
勘ぐり過ぎだとは思いましたが、それにしても期限切れ間近の物が多かったのは事実です。

これは書かなかった方が良かったかもしれませんね。
Posted at 2011/03/16 23:06:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 被災 | 日記
2011年03月16日 イイね!

被災体験記19:民間ボランティアの有難さ、大変さ、軋轢、問題点その2

被災体験記19:民間ボランティアの有難さ、大変さ、軋轢、問題点その2ここからはちょっと良くない話に触れないといけません。

こんな事件がありました。
ボランティア本部に調理補助として2名を要請しました。関東から来られた若いご夫婦が派遣され、あいさつを交わし早速調理開始。
ご主人がイタリアンレストランの厨房でお勤めの経験があると言う事で、素人の僕からしたら心強い味方が来たと素直に喜んでおりました。

ところが彼が暴走しまくるのです・・・、暴走と言うかカラ回りと言うか・・・。
自前で持ってきた大量のパセリを持ち出し、これを生かした物を作ると言いだしたのです。つまりイタリアンの腕前を披露したいと・・・。
僕は、『ちょっと待って・・・、ここにいる方たちは平均年齢が80歳を超えている方たちばっかりでそういうハイカラなものは求めていないと思いますよ』
彼:『パセリは栄養価が高くて体にイイんだぜ!』
僕:『いやいや体にいいのは分かるけど普段食べ慣れた普通の・・・、優しい料理を心がけてここまでやってきているのでその路線は変えない方がいいと思います』
彼:『一回俺に任せてみてくれよ、超美味いイタリアンを振舞うわ!』

彼の勢いに押されてその日は彼に任せてみました。
ライスボール、パセリのきいた緑色のポタージュ、冷製トマト・・・。
配膳してみなさんを食堂に誘導して席についてもらいました。
みんな目がテン・・・、けどみなさん僕が作ったと思ったのか何も言わずに食べ始めました。
結果はいうまでもありません。完食した人はゼロ・・・、半分も食べない人もおりました。僕は皆さんの寝床まで行ってひとりひとりに頭を下げ謝って歩きました。
そして多くの方から『今夜のおかずは変わっていたねぇ~、私らあんなハイカラなものを食べた事が無いのでちょっと面喰っちゃって・・・、せっかく作ってくれたのに残しちゃってゴメンね』と逆に謝られてしまいました。

彼を止められなかった自分に腹が立ち、厨房に戻り残った料理を片付けながら隠れて泣いた事を覚えています。
避難所と言う非日常的な空間で窮屈な生活を強いられている高齢者にとって食事は何よりの楽しみで、また体調管理のベースにもなるものを結果的に完食させる事が出来なかった・・・、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

翌日も彼は同じ調子・・・、疲労も溜まっていた僕はキレてしまいました。
厨房の騒然とした様子に食事中のお年寄りはビックリ・・・、彼を引きずり出しボランティア本部に連れて行きました。
『悪いけどこの人はうちでは必要ないです!他の人が回せないなら今後調理補助は一切いりません!』

本部は異常な空気に包まれました。
副本部長に奥に通され事の成り行きを説明・・・、僕の言い分を全て受け入れてもらいました。
彼らもやる気満々で被災地に乗り込んできたのだとは思います。
けど完全にカラ回り・・・。


ボランティア本部としても長期滞在して活動できる人はホントに微々たるもので、大概の人は土日のお休みを利用してこの地に来られるので週末はボランティアの方々の車で尋常じゃない渋滞が起き、被災者から移動に支障が出るとクレームが出たり・・・、仮に長期間滞在できるボランティアの方が来ても、特に若い方に多かったのですが明らかにナンパ目的なカン違い野郎、ナンパされるのを待っている女子・・・、長期間滞在できるという事は大半がプーさんなんです。
それが悪いとは言いませんが、活動なんてよそに出会いを求めてやって来る連中がかなりいたのも事実です。

最後にしますが実際僕が体験したトラブルです。
民間レベルの救援物資の管理はボランティア本部の仕事です。
必要なものがあると所属避難所と理由を書いてもらうのですが、保管しているところが寒く、盗難防止のためにボランティアの方々が24時間見張っています。
中には寒さを紛らわすためにアルコールを摂取している者もおり、時々被災者とトラブルを起こしたりもしていました。

僕があるお婆ちゃんに頼まれた靴下を支給してもらいに行った時、明らかに出来上がっている奴に当たってしまい、僕も言わなければいいのに、『酒が飲みたかったら誰にも見られない自分のテントで飲んでろ!』
と言ったらそいつが激高 (@_@;)

飲んでいた缶を投げつけてきて、その後殴りかかってきたのを振り払ったら近くにいた他のボランティアの連中にそいつは取り押さえられて・・・。
翌日、この事が大問題となり彼は帰されてしまいました。
売り言葉に買い言葉だったのかもしれませんが、酔い潰れている姿をわざわざ気が張り詰めている僕らに見せなくても・・・。


ちょっとリアルな事をあえて書き記しました。
今後大震災の被災地には多くの民間ボランティアが訪れると思いいます。
双方が非常時の環境で神経が尖っているのもあり、こういう問題はきっと起こりうると思い書かせて頂きました。

けどそういう人はほんの一握りの人間なんです。
実際自宅の片付けで東京から来られた4人のグループの方々には大変お世話になりましたから・・・。
こういう事も含めて被災地、被災者って言うのは苦労が絶えないものなんです。
Posted at 2011/03/16 22:19:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 被災 | 日記
2011年03月16日 イイね!

被災体験記18:民間ボランティアの有難さ、大変さ、軋轢、問題点その1

被災体験記18:民間ボランティアの有難さ、大変さ、軋轢、問題点その1被災地での陰の主役はやはり民間ボランティアの皆さんだと思います。

被災後1週間から10日目ぐらいから徐々に集まり、地元の社会福祉協議会(以下社協)が窓口となり形だけのボランティア本部長は社協の支部長が兼務します。
形だけと言ったのはピラミッドの頂点に一応いるだけで実際は副本部長が陣頭指揮にあたります。
この方は同年夏に起きた県央を中心とした水害の時も先頭に立っていた方で非常に頼りになります。

ところが被災直後に来られたボランティアの方々ですが、被災家屋はまだ危険すぎるとして近づく事を禁止され、実際は何も手が出せずに歯がゆい思いをされていました。

まだ被災状況の調査が終わっておらずそれが完了するまで家屋の片付けなどに狩り出せないと言うジレンマがかなりの期間続きました。

また彼らは寝泊りするところ、食事関係は自前で用意しないといけなく吹きっさらしの河川敷にテントを張ってそこを拠点に活動していましたので、ある意味被災者より悲惨な生活を余儀なくされていました。

もちろん救援物資に手を付ける事も出来ません、自衛隊のテント風呂に入る事も許されません、マジで厳しい環境でボランティア活動をされていて、後々僕はボランティアをケアする部隊を作るべきだと進言した事もありました。

ボランティアセンター本部には沢山のノートパソコンが持ち込まれ、日々の情報を外部に発信したり、情報誌をマメに発行して、被災者が欲している情報をまとめて定期的に配ったり、ホントにかゆい所に手が届く働きをしていました。

各部隊にはそれぞれ愛称が付けられていました。
過去の情報がネットに残っていればいいのですが・・・。

あった \(◎o◎)/!

【ネットの情報を引用します】
・子どもの心のケア『のびのび隊』
・お年寄りのケア『まごころ隊』
・それらを合体させた『元気もりもり隊』

・一番危険な家屋の片付けに向かう『突撃隊』
・車の通れない所に医薬品や水などを届けるバイク部隊『ブンブン隊』(これはうろ覚え・・・、ぶんぶん行ったり来たりする働き蜂と排気音のから取ったはず・・・)

他にもたくさんありましたが当時の情報がほとんど残っていなくて全部紹介できないのが残念です。

僕がまだ厨房で炊き出しを続けていた頃、ポリタンクで給水車からお水を運ぶのが結構重労働で、そういう大変な部分をサポートしてくれて調理に専念できるだけでスゴク助かりました。

本来被災地に届けられる食材を含めた物資をボランティアの方が食すのはタブーなんです・・・、ところが高齢者の方々が多いこの施設ではその日によって体調がすぐれず食が細かったり、自衛隊からの炊き出しの量が多かったりするとどうしても余ってしまいます。
それをどうせ捨てるくらいならと、ボランティア本部には内緒で彼らに食べさせていました。ルール違反は知っていましたが、彼らが過酷な環境で活動をしている事を知っていましたのでやっちゃいました (^^ゞ

結果、これがきっかけになって彼らをケアする部隊を新設して欲しいと進言する事になった訳です。
Posted at 2011/03/16 21:41:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 被災 | 日記
2011年03月16日 イイね!

被災体験記17:不埒なメディア

被災体験記17:不埒なメディア損壊した道路も次々に修理が進み・・・、場所によっては崩落した道路の補修に時間がかかると判断すると、もちろん住民の了解をとってだと思いますが、その家の庭を潰しまるでサーキットのシケインの様な迂回路をこしらえたり・・・、そんな尽力もあり次第に物流も正常化するに従い救援物資が加速度的に増えてきました。

高級な新高梨が来たり(完全にデパートなんかで取り扱うレベルの物・・・、傷物で十分なのに・・・)、各地からミカンの箱が次々と運ばれてきます。
震災のあった10月が毎晩肌寒く過ごすのが大変だったのですが11月に入ると異常気象とも思えるくらいの暖かい日が続き、施設で一番冷暗所だった非常階段下に保管していたのですが結局消費量に対して供給量が多く、食べきれずに半分以上がカビて処分する事になりました。

バナナなども大量に送られてくるのですが、当初3時のおやつ時間にそのままお年寄りたちに配っていましたが、さすがに生のフルーツが続くと胃腸の弱い高齢者にとってはかなりの負担らしく、バナナはスライスしてバターでソテーして、お皿に移し、空いたフライパンにオレンジジュースを入れ煮詰めソースを作りバナナの周りに流し、最後にカラメルを作ってバナナにかけて出す・・・、なんて言う救援物資スイーツを作ったりして何とか食べて頂き消費をしていました。

ところがある時明らかに過剰とも思えるコッペパンが各地区、施設に配布されました。
80人の施設に約300本のコッペパン・・・、なーんだ4回の食事で消費出来るじゃん、と思うでしょ?
自衛隊からの炊き出しの食事が毎食届くようになっていたので出すタイミングがありません。何回か炊き出しのごはんだけを断りコッペパンを出したりもしましたがとにかくお米が大好きな新潟のお年寄りはコッペパンを口にしない人もいます。

戦中の物の無い時代ならそんな事も無いのでしょうが、飽食の時代を生きてしまったがためにこういう状況になったのかもしれません。
そして高齢者が詰める施設なのでどんなに大丈夫だと訳っていても賞味期限の過ぎた物は出さないで行こうとルールを決めていましたので益々消費出来ずに苦しくなっていきます。

そうこうしているうちに半分上のコッペパンが賞味期限切れとなり、他に食べるものがなければこれは有難い食料なのですが、どうしても食すのが高齢者と言う事もあり健康管理の観点から職員の方と相談して処分する事に決めました。

然しながら震災の影響でゴミ焼却場は稼働しておらず、ゴミが溜まる一方でした。
致し方なく裏の土地に穴を開けそこに処分して土をかぶせる事にしてみんなでスコップで穴を掘り、袋から出したコッペパンを捨てました。

後で分かった事なのですが、ある写真週刊誌がその光景を隠し撮りしていたらしく、『貴重な救援物資を捨てるとんでもない被災者』として全国の方の目に留まる事になりました。
僕らとしては貴重な救援物資とは分かっても、期限を切れた物を高齢者に与える事は出来ず苦渋の選択だったと、当時の首長経由で抗議と訂正を申し入れましたが受け入れて貰えませんでした。

過酷な惨状のありのままを伝えるがメディアの責務なのは承知しています。だからと言って被災者の行動をあざとく撮影して、悪意に満ちた記事を掲載するのは、一般の方の目にとめて部数を少しでも稼ごうと言う幼稚な意図を感じホントにがっかりさせられた事がありました。

ほとんどのメディアの方々は自らも過酷な環境に身を置いて取材をしているので頭が下がる思いですが、一部の写真週刊誌はここが被災地と言う事は関係なく、ただネタを探しているだけのハイエナの様な存在と僕らは受けとめました。
Posted at 2011/03/16 19:37:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 被災 | 日記

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