(※ちょっとダメージの強い写真あります。)
2011年3月11日
あの時・・・
皆さんは覚えていますか?
今日で、あれから6年が経過しました。
ほんとうに月日というのは早いものです。
6年たったけれど、あの時のことがまだまだ鮮明に覚えています。
私は東京で仕事中で、急に大きな揺れが襲い、慌てて棚の隙間から飛び出たら、その直後に棚が崩れ。。。
あの時少しでも遅れていたら・・・。
もしかしたら私は今ここでこうやってブログ書いていなかったかもしれません。
テレビつければ、宮城で震度7だの、大津波警報だの・・・。
そして、見たことある宮城県の仙台空港がある周辺の映像が映り、大津波が民家や畑を飲み込むのが映し出されて。
津波の映像を見て、止まってくれー!そっちには人がいる!止まれー!!っと、テレビ見て祈ることしかできませんでした。
電話かけてもつながらない、気仙沼や大船渡にいる友人に電話かけてもダメ。
まさか、あんなに壊滅的になっているなんて、その時は考えもつかなかった。
そして、さらにテレビで私の実家から近い映像も出て、さらに不安になってました。
おまけに原発が放射能もれてって。
最悪でした。
たまたま義理の兄と電話がつながった時の感動は今でも忘れませんね。ほんと奇跡だと思いましたもん。
親と連絡取れたのは1週間後でしたね。
突然電話かかってきて驚きました。
それからは、とにかく東京中を走り回って物資を調達し、宅急便で送るってことをしてました。
東京はホントものいうものがなくて、スーパーやコンビニの棚は空っぽ。
買占め行為が横行していたのです。
いま考えても腹が立ちます(怒)
ほんと東京の人間は酷いな!って思ってましたが、もしかしたら俺と同じことしていた人もいたのかな。
まぁ、私は食うものなくても、菓子パンとたまたま買いだめしていたカップ麺食って凌いでいましたがww
あの時ほど少食でよかったと感じたことはないですなw
そして、震災から2か月がたち、ようやく実家へ帰れる許可が下りて。
なぜ許可なのか。
実は、親からメール来て「電気も何もかも止まってるし、周りもまだ混乱してる。いま帰ってきても邪魔になるだけ。だから帰ってくるな。大丈夫、生きてる。」ってことでした。
なるほど。確かにそうだ。そう思いましたね。
慌てて帰るのではなく、無事なのだとわかったなら落ち着いてからっていうのは当然ですね。
5月、実家へ戻り、高速を走っている時に絶句しました。
名取周辺を走っていた時、周囲は真っ暗で、街灯が1つもなく。
多賀城近くのインターで降りると、ひっくり返った車がゴロゴロ・・・。
せ・・・戦争でもあったんか?ってくらいで、映画の中に入ったような変な感覚でした。
夜が明け、自転車で町の中をみに行くと
まだ新車だったスイフト。
このへんって確かスズキディーラーないはずなので・・・
ってことは、海の方の置き場から流されてきたってことになります。
海から何kmだろ?けっこう距離あるはずなんだけど??
津波の力は想像を絶します。
横倒しになる機関車と貨車
ここは臨海鉄道の基地でした。
あんな重たいものまで・・・
ランエボも見るも無残な姿に。
ぐちゃぐちゃ・・・
これは8かな、9かな。
オーナーさんが無事であったことを願うしかない。
教習所も跡形もなくなってました。
私が通ってた自動車学校だったりします。
この教習車のランサーは私が卒業してからの後の車両なのでまだ新しい車種だったはず。
住宅地の中に入ると、クッキリと残る水の跡。
ここまで水が来たのです。
子供だったら完全に水に浸かってしまいます。
皆さんは考えられます??
自宅の部屋にいるなら、いま周り見てみてください。そこがみんな水の中になるんです。
ぞっとしますよね・・・。
そして、特に衝撃的だったのがこれ。
川の中にトラックが・・・
実はこれ、川の河口から流されてきたものらしいです。
え?!海からそうとうな距離あるよ??
って、驚きました。
津波が川を逆流して、ここまで運んできたんだとか。
津波の力のすごさ、川があることの津波に対する考えが生まれましたね。
ただ堤防を越えてくるとか、港の岸壁を超えてくるのが津波ではないんです。
っと、かなり衝撃のある写真をアップしてしまいました。
アップするかしないか考えましたが、震災のことを忘れてほしくないことと
6年も経つと絶対に気がゆるんでると思うし
災害の恐ろしさを伝える意味でも、アップしました。
でも、あくまでもこれは私の地元だけです。
特に被害が深刻だった南三陸町とか、石巻とか、大槌町とか、大船渡とか、そっちの写真ではないですけど。
多賀城は、「都市型津波被害」ってことで、全国の学者やらテレビから注目されました。
その「都市型津波被害」の一部ということで見てもらうといいかもです。
あれから6年ですが、かなり復興は進みましたけど、失われた命、まだ見つかっていない方々もおられます。
あの時のことは、もうどうにもならないのです。
時間がたつと、人というのは絶対に昔のことを軽く見るようになります。
人はそういう生き物だからです。
だから人はミスをするんですから。
どうか皆さんも、あの時のことを今一度思い出し、家族や職場や友人や、身の回りでいいので、話題にあげてください。
そして、蓄えは万全か?避難ルートは?災害用伝言版の使い方は・・・とか、簡単なことでいいです。災害のことを少しでも意識していただければ。
過去の記憶が、未来にいる私たちに教えてくれていますよ。
命を守るため。
簡単なことでいいので、防災の意識をお願いします。
ガソリンは常に満タンにしておく、お風呂には水を入れておく、非常食など。
私が特におススメするのは、お風呂の水は常にためておいたほうがいいことですね!
これは親から学んだのですが、電気ガス水道、ライフラインがすべて寸断され、何にイチバン困ったかって、トイレなんだそうです。
意外でしょ?
でも、男ならそのへんで~ってできますが、女性となるとね。
飲み水ってみんな意識するけど、確かにそういうのって困るよなぁって。
食べ物って、実際はどうにでもなるみたいなんです。
それ食べ物のことに意識をむけるのも、東京とかの都心での防災意識としてはアリかもしれませんね。
家が全壊した家庭は避難所入れます。そこでは食べ物も提供されます。
でも、運よく家は無事だった。
でも、避難所入れない。食べ物もらえない。
スーパー行って並ぶしかない。
家を失った人が優先されるのは当然なこと。
家が無事なら、今度はそっちでもう1つの避難生活が始まるわけです。
家ない人も、無事だった人も、ようは全てが大変なんです。
それが震災。災害。
今は熊本の震災に目を向けるべきだと私は思いますが
東北出身者として、どうしても東日本大震災の方が・・・ってなってしまいます。
でも、震災に規模とかそういうのはないです。
今日の節目で、また日本が1つになってほしいな、そう思いますね。
過去の災害を見直し、今日からまた防災を始めましょう。
最後になりますが(長くなったのでそろそろ、すみません)
いまだ避難が続く地域もあります。
特に、原発事故によっての風評被害。いまだ根強く残っています。
福島って聞いただけで避ける人がいる。
そんなのオカシイ。
原発は日本にたくさんある。
みんな同じ状況。
今回はたまたま福島だった。
それ以外のところだって、同じなはずなのにさ。
福島はよくドライブ行ってたので、私は好きなんですよ。
だからなんとも思わないのかもしれないけど。
今一度、震災について、防災について、考え直してください。
次は・・・・・アナタに襲い掛かるかもしれませんよ。
明日は我が身。
では。
長くなり申し訳ないです。
頑張れ東北!
頑張れ福島!
頑張れ熊本!