※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ここ最近は・・・大阪⇔名古屋は近鉄特急を利用している・・・
そして、必ず通るトンネル・・・
新青山トンネル
このトンネル辺りになると、ついつい車窓で探してしまうものがある・・・
それは・・・
西青山駅~榊原温泉口駅の区間の旧線跡
なぜ、探してしまうのかというと・・・
それは・・・
1971年10月25日に・・・
東青山駅(旧駅時代)~ 榊原温泉口駅間の
総谷トンネル内で・・・
数多くの犠牲者と負傷者を出した・・・
列車衝突事故
(近鉄大阪線列車衝突事故・・・通称『青山トンネル事故』)が発生していたからだ・・・
※まあ、その当時、私は、まだ5歳の幼稚園児だったので、事故そのものを知ったのは、小学生になってからだが・・・
ただ、新聞の写真かニュース映像で、衝突してひしゃげた車両を見たのをなんとなく覚えていた気がする・・・
現場となった総谷トンネル
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
その近鉄大阪線列車衝突事故・・・通称『青山トンネル事故』・・・とは?
もうお判りかとお思いでしょう・・・
例によって例の如し・・・
『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用(まるっきり引用・・・大汗)
近鉄大阪線列車衝突事故
近鉄大阪線列車衝突事故(きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ)では、1971年(昭和46年)10月25日に三重県一志郡白山町(現・津市)にある近鉄大阪線垣内(かいと)東信号所(現在複線化により廃止)付近の総谷トンネル内で発生した列車衝突事故について記す。
概要
1971年10月25日15時37分頃、近鉄大阪線の西青山駅 - 東青山駅(両駅は現在とは全く別の場所にあった)間の青山トンネル東口手前200mの同トンネル内で、上本町発近鉄名古屋行き特急電車(12200系・12000系4両編成)114列車(主要駅停車の通称「乙特急」)が、自動列車停止装置 (ATS) 故障のため誤停止した。運転士はATS解除操作を行ったがブレーキが解除できず、停止地点は下り33‰の急勾配であったため、運転士は止むを得ず車輪に手歯止め(ハンドスコッチ)を挟み、各車輌の供給コック(ブレーキ装置からブレーキシリンダーへエアを供給するコック)をカットしておいて、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置(制動不緩解故障の際の基本手順通り)を行った。
ところが、列車停止を聞いて東青山駅から駆けつけた助役が、運転士との何らかのやりとりの後に手歯止めを外してしまい、運転士は運転室に戻ってブレーキを解除した。その結果列車は走り出し、また供給コックがカットされているのでエアの再充填も出来ず、ブレーキが効かない状態で連続33‰の下り坂を暴走した。
この時、当該車両の乗客は後部車両へ避難するよう指示をされていたことから、乗務員では手が下せない状態になっていたとみられている。東青山駅を通過し、15時58分頃東青山 - 榊原温泉口間にあった垣内(かいと)東信号所の安全側線を120km/h以上で突破し脱線転覆、左カーブであったため本線の切り通しへ転落した。3両目以降は総谷トンネル入り口付近の壁に激突して止まったが、先頭の2両が横転した状態でトンネル内へ突入し、直後に対向してきた賢島発京都・難波行き特急電車(12200系・10100系・18200系7両編成)1400N(1400K) 列車と正面衝突した。これにより死者25名(1400Nの運転士・車掌と東青山駅助役の計3名含む)、重軽傷者227名を出す大惨事となった。
対処した助役や乗務員が死亡したため、助役や運転士を取り調べたり逮捕することも物理的にできなかったことから、供給コックをカットしたまま運転士が運転室に戻った理由や、手歯止めを外すに当たって運転士と助役の連絡状況などは解明できなかった。
なお、京都・難波行き列車は先頭5両が難波行き編成であったが、折しも京都で行われることになっていた医療関係者の学会のため、医師が後部の京都行き編成(18200系2両)に多数乗車しており、その医師等により応急治療が行われた。その模様は、事故現場に唯一直接辿り着くことのできた報道機関であったNHKのテレビ取材クルーによって、全国に伝えられた。
影響
山間のトンネル内での事故であったため復旧に時間がかかり、10月29日午前1時に復旧した。
この事故をきっかけに、近鉄はかねてより予定していた大阪線の完全複線化を前倒しして着工した。まずは、事故区間を含む榊原温泉口駅 - 垣内東信号所間に新総谷トンネル、新梶ケ広トンネルの2つの複線トンネルを開通させ、この区間を先行して複線化した。
この工事は1975年11月、青山トンネルに替わる新たな複線用トンネル(新青山トンネル)が開通したことで完成し、西青山駅・東青山駅も同時に移転。かつての青山峠越えの旧駅などは廃止された。
実際は垣内東信号所付近の総谷トンネル入口で起こった事故であるが、一般には「青山トンネル事故」とも呼ばれる。また、この事故で特急車両は大破した12200系12202編成と12000系12001編成の4両が廃車となっている。事故廃車となった4両は製造から2年 - 4年程度しか経過していなかった。
発端
本事故が起こる発端となった自動列車停止装置 (ATS) 故障であるが、その日は事故が発生する1時間ほど前から青山トンネル内の現場付近でATSの故障が発生しており、事故列車以前に現場を通過した上り5本、下り1本の列車がATS誤指示により青山トンネル内で緊急停車していた。原因究明のために現場に派遣された信号保守要員が地上子関連の検査を行ったが故障原因が特定できなかった為、中川信号区に計測器その他を持ってくるように電話で連絡を行った後にこの事故が発生した。
その後の調査では、このATSの故障の原因は、ATS電源装置のヒューズの端子締め付けナットの緩みからくる接触不良によるものと判明した。事故当日は、停止した7本の列車以外に現場を通過した列車は多数あったが、接触不良で通電している時としていない時があり、列車によっては正常に通電していたのでATSが正常に動作して停止せずに現場を通過できていたと推測されている。
※引用終わり
もう一つ、参照したいサイトがある
時の鉄路
第9話
近鉄青山峠(総谷トンネル)事故の記録-S46.10.25
※↑↑↑リンクを貼っておきました
・・・それにしても・・・悲惨な事故だ・・・
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
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列車の車窓から・・・それも特急電車だと、旧線跡を探すのは
・・・ちょっと難しい・・・
有り難いことに・・・
ちょうど、事故現場となった総谷トンネルを含めた廃線跡が・・・
東青山四季のさとの敷地内を通っている・・・
トレジャーハンター紛いにオフリミットな所にまでは入る・・・・・・って事まではせず・・・
近づけるところまで近づけたら良いなぁ~・・・
・・・ハチが活発じゃない季節にでも・・・
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鉄ちゃん通信&“旅と歴史” | 旅行/地域
Posted at
2015/05/19 19:03:31