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ホームタウン急行(Express)のブログ一覧

2021年05月22日 イイね!

保線・機能保全運転・錆取り列車・・・あっ!・・・Nゲージの事ですが・・・(^_^;)

保線・機能保全運転・錆取り列車・・・あっ!・・・Nゲージの事ですが・・・(^_^;)
10年ぐらい前に・・・
TOMIX『マイプランDXII(F)』と言うレールセットを買い、しばらくは運用してましたが、それから5年ぐらいたってから、いつの間にか『休止路線』に・・・
そして、忘れ去られ・・・
月日がたった・・・

しかし、それではあまりにも勿体ないので・・・












・・・と言うことで、『保線』(?)と保有車両の『機能保全運転』をかねて・・・
錆取り列車を走らせなければと・・・

オッと、その前に用地買収・・・部屋の片付けをしなければ・・・

と言う今日この頃です・・・
2021年05月04日 イイね!

私が好きな豪華客船・・・SS Normandie・・・※現存してませんが・・・

私が好きな豪華客船・・・SS Normandie・・・※現存してませんが・・・※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用




・・・すでに現存していない豪華客船ですが・・・
私は1935年に建造されたフランスの客船ノルマンディー(SS Normandie)が大好きです。

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

なんと言っても、巨船なのに船体デザインがスマートでカッコイイ!
"建築家ル・コルビュジエの思想から簡素にも見える機能美デザイン"
そう、クリーンなデザインです。

また、
前甲板の途中でV字型の『波除け』がまるで豪華なモーターボートのようなデザインでモダンです・・・




いつものことですが…
『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用

ノルマンディー (客船)

ノルマンディー(SS Normandie)は、1935年に建造されたフランスの客船。「洋上の宮殿」と謳われた華麗さと、不幸な末路により短期間で失われたことから、神格化すらされた伝説的な存在の客船である。1942年にアメリカ海軍により接収され「ラファイエット(USS Lafayette)」と改名。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ノルマンディー(SS Normandie)


概要
ノルマンディーはCGT(Compagnie Générale Transatlantique, カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク, 「大西洋横断総合会社」、英語圏では「フレンチ・ライン」の名で知られるフランスのフラッグキャリア、現・CMA CGM)の発注により1931年に起工され、翌年1932年に進水・命名。全長がはじめて300mを超えた、世界最大の巨大客船であった。

CGT社はニューヨーク・ル・アーヴル航路の急行サービスで老朽化したフランス(1910 en)の代替船案を計画した。この航路では年間輸送人員実績首位のキュナード・ラインより下位で多くの定期航路を持つCGT社ではその代替船を数年置いて一隻ずつ更新する方針で、速度が異なる高速船のパリ(1916 en)、イル・ド・フランスと新造船は1週間1便航海する計画で進められ姉妹船は存在しない(ただし、老朽化したパリ代替で本船就航後姉妹船として「(仮称)S.S.ブルターニュ」を建造する予定だったが、財政難とヨーロッパにおける第二次世界大戦勃発の為中止)。

建造にあたってはフランスの威信をかけ、計画提出はフランス政府とCGTが締結した郵便運送協定助成金をもとに開始した。その後、CGTは(ウォール街)大恐慌以降の資金調達事情から、国策の民間企業から国営管轄に移行、計画は国家的な援助のもとで建造された。CGTの豪華客船フランス(1910 en)から3隻の集大成でノルマンディーの原案「T6計画」にブルーリボン賞を狙うべく最高速船計画が盛り込まれ、見積基礎設計の早い段階で高出力エンジンとこれに応じた巨大な船体が算出されていた。この建造案が認証されると即座にサン・ナゼールベノエ造船所は世界最大の専用船台を建築し 、いくつかの推進機関案から、ターボ・エレクトリック推進という、タグボートでは広く用いられていたものの1万トン超の客船では前例のないものを採用、ペノエ3胴水管ボイラー29基とタービンに、高さ 6.4m、幅 5.8m、長さ 7.9mのモーター4基の構成で4軸合計最大定格出力160,000馬力を発揮するものとした。

船内アメニティを追求しエスプリ客船を印象づけ、「T6計画」を立ち上げながら急逝したCGT社長ジャン・ドール・ピアズ (John Dal Piaz) (fr) の遺志を継ぐべく、CGTのピエール・ロマノ主任設計技師監督の下、亡命ロシア人技師ウラジミル・ユルケヴィッチ (en) 提案の船体設計など当時最新の造船理論を採用[6]。1931年1月26日船体番号No.534、T6B-Sとして起工、翌年10月29日にはフランス大統領アルベール・ルブラン夫妻出席で進水式が行われ大統領夫人は船名「S.S.ノルマンディー」を授けた。ロワール川を挟んで約二十万人が見物するなか行われ、潮位の計算不足や船体が起こす逆流で予想外の高波を呼び冠水災害を引き起こし見物人の足下を洗ったが怪我人はいなかった。1935年2月29日パリ元船長ルネ・ピュニエのもと処女航海に就いた。

船室の配置とインテリアではイル・ド・フランスで成功したキャビンレイアウトやアール・デコ様式満載の豪華な内装を引き継ぎ、根底にある建築家ル・コルビュジエの思想から簡素にも見える機能美デザイン、当時の最新鋭高速客船では冗長な解放空間を旧式船のカウンター・スタンにならい敢えて広いリドデッキに、その階下には軍艦・戦艦のスタンウォークを真似たプロムナードを設け(その後のクルーズ客船がサロンを設ける先駆)、船体外観には広く様々な角度で俯瞰しても調和のとれた均整な船形デザインを保つためダミー(偽装)の第三煙突を設置するなど外観には細心を払い「洋上の宮殿」の異名を取った。貨物船を多く所有し大型客船は他社模倣で特徴薄いCGTの船形デザインを刷新し、緻密に計算された船形デザインは世界に衝撃を与えのちに不朽の豪華客船と讃えられた。また建築や工業デザイン分野において高く評価されている。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
縮小立体化したT6B-Sの模型から討議するウラジミル・ユルケヴィッチ


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
建造中のノルマンディー


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ルアーブルに入港するノルマンディー


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
一等船室のプール


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ノルマンディーのグランド・ダイニング・ルーム

世界最速の客船
1935年の試運転で31,9ノットを記録し、処女航海では5月29日ル・アーブル出帆の西航で29.94ノット、東航 平均30.35ノットの平均速力でブルーリボン賞に輝いた。試運転から航路で記録樹立以降しばらくは速度を抑えて運行している。船体振動が後部に集中しある客室では床に置いた旅行かばんが振動で弾み移動し原因は外側スクリューの廻流とされ直上の船体構造を補強する応急処置を施し暫定で速度を落とし運用し、冬期オフシーズンにはスクリューを換装しそのスラスト軸とブラケット形状を変更した。翌1936年4月の点検ではスクリュー4基の一つに原因不明の破損が見つかった。1936年5月就航のクイーン・メリーに8月西航で平均速力30.14ノットで抜かされる。大掛かりな修繕改善工事が計画されキャビンレイアウトの改装も立てられ定期便を外れ冬期入渠時にはエンジンの改良も実施しタービン・ノズルの変更から最大定格出力180,000馬力に向上した。ノルマンディーは入渠修繕後の1937年7月西航で同じく30.58ノット、8月東航 31.2ノットで新記録を打ち立てブルーリボン賞を奪取。しかしクイーン・メリーが翌年奪い返したあと1939年8月31日、139次航海を終えニューヨーク到着、復航準備中の9月3日朝フランスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦の始まりだった。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
海を行くノルマンディー(モノクロ写真をカラー化したもの)

火災
戦争勃発でCGTはノルマンディーの中立国避難を選択、その後ニューヨーク港の88番埠頭に係留された。1940年にフランスがドイツ軍の占領下におかれノルマンディーは事実上抑留へ、さらに1941年12月11日にドイツがアメリカに宣戦布告したことから、アメリカに接収の上兵員輸送船に改装される事になった。名前もラファイエット(USS Lafayette)に改名され、船内の装飾品を撤去する工事を行っていた1942年2月9日14時32分、作業の不手際から工作機器の火花が装飾品に引火して火災が発生、1時間ほどで船体全体に広がった。翌日には鎮火されたが、消火の際の不用意な放水によって船内に大量の水が入った結果、バランスを崩し、翌日14時32分に転覆した。

戦争中で優秀な船舶を必要としていた為、直ちに引き上げが検討されたものの、狭い埠頭で転覆した事と、巨船でもあり作業は困難を極め、結局上部構造物を撤去して引き上げに成功した。しかしながら、火災による損傷と引き上げ時の作業によって船体は大きく損傷し、客船への復旧や、一時は航空母艦への改装も検討されたものの、いずれも費用などの問題で実現せず、結果として第二次世界大戦終了後の1946年に解体された。

マンハッタンのアワー・レディー・オブ・レバノン・マロナイト・カソリック大聖堂(英語版)に本船のドアが移設されて保存されている。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
炎上する本船


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
転覆した本船を引き上げる作業が行われた


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
教会に移設された本船の扉
引用終わり



それにしても、失火による火災で損傷してしまい、解体されてしまったのは残念でなりませんね・・・
惜しい!

オマケ!

アルフレッド・ヒッチコック監督による1942年のアメリカ映画『逃走迷路』で
造船所にて進水式の際に破壊工作により爆破転覆した戦艦アラスカ号』としてヒッチコック監督がチャッカリ撮影して利用・・・

Posted at 2021/05/05 00:34:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 船舶 | 日記

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