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ホームタウン急行(Express)のブログ一覧

2022年10月24日 イイね!

かつてのボルボよりもカクカクパキパキな直線デザインが印象的なタルボ・タゴーラ

かつてのボルボよりもカクカクパキパキな直線デザインが印象的なタルボ・タゴーラ※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


ええっと、本の名前は忘れましたが、
昔、世界の自動車を採り上げたMook本のフランス車の項に載ってました。
・・・で、印象的だったのが、まるで定規で引いたような直線デザイン・・・
正直、当時のボルボよりもカクカクパキパキな角張ったデザイン・・・

車名はタルボ・タゴーラ

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

日本には輸入されなかったらしいのですが、結構気になるクルマで・・・


いつものことですが…
『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用


タルボ・タゴーラ

タルボ・タゴーラ(Talbot Tagora)は、フランスの自動車メーカー・PSA・プジョーシトロエン (PSA)が1980年から1983年まで製造したフロントエンジン・リアドライブ(FR)の中型乗用車である。前身となったのはクライスラーの欧州部門が生産していたクライスラー・160/180/2リッターで、開発終盤段階の1979年に経営危機に陥ったクライスラーが欧州部門をPSAに売却したため、新ブランド(実際には以前に吸収合併した名門ブランドの復活)のタルボ(英国ではタルボット)のブランドネームで売り出された。同ブランドでは最初で最後の、白紙から新設計されたモデルであった。生産はパリ近郊のポワジーにあった旧シムカ工場で行われた。同じPSAグループのプジョー・505、シトロエン・CXと競合するモデルだった上、デビューが第二次石油危機と重なったこともあって販売は不振を極め、わずか3年後の1983年には生産中止となった。生産台数は19,389台に過ぎなかった。

概要
開発は1976年に開始され、コードネームC9と呼ばれた。アメリカ車的過ぎて不人気であったクライスラー・160/180/2リッターの後継車として、共にヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞して成功作となったシムカ・1307/1308とクライスラー・ホライズンの設計コンセプトの延長線上にある上級車種として企画された。機械部分の設計はフランス(旧シムカ)で、車体デザインはイギリス側(旧ルーツ・グループ)で行われた。当初考えられた名称は「シムカ・2000」であった。

当初のプロトタイプのボディスタイルはシトロエン・SMに似たフロント部分と長いホイールベースを持つ個性的なものであったと言われるが、クライスラー米国本社の反対で、最終的にはよりコンベンショナルな3ボックスの4ドアセダンとなった。それでも角張った車体、極端に大きなキャビン、低いベルトライン、大きなヘッドライトと縦線のフロントグリルなど、独特の個性があったが、上級車に必要不可欠な高級感や、万人受けする美しさは感じられなかった。またなぜかダッシュボードは大衆車のような質感の低い作りであった。

同クラスのライバルには従来の「クライスラー・2リッター」の直列4気筒よりも大排気量、もしくは多気筒のエンジンを持つ例が多かった。米国本社の経営難でエンジンの新設計を行う余裕のなかったクライスラー・ヨーロッパでは一時、三菱・デボネア用の「サターン6」6気筒エンジンまで検討したと言われるが、このエンジンはC7試作車のエンジンベイには大き過ぎた。この悩みはPSA傘下に入ったことで、PSAがルノー・ボルボと共同開発し、ライバルであるルノー・30・プジョー・604、後にはプジョー・505V6にも用いられたV型6気筒2664ccエンジン(PRVユニット)を搭載することが可能となって解決した。PSAとの合併によるもう一つの設計変更は、前後サスペンションがプジョー・505と共通化されたことで、このサスペンションは優れた設計ではあったが、505よりも車幅の広いタゴーラのトレッドを狭くし、操縦安定性とスタイリングに悪影響を及ぼした。

タゴーラは1980年のパリ・サロンで発表・発売された。価格はほぼライバルであるルノー・20やフォード・グラナダ並みで、グループ内ではプジョー・505の上級モデルと、構造が複雑でより高価なシトロエン・CXの下級モデルと匹敵する価格帯にあった。エンジンはシムカ設計の直列4気筒SOHC2155cc115馬力が「GL」と「GLS」に、プジョー設計の2304ccターボディーゼル80馬力が「DT」に、PRV共同開発のV型6気筒2664cc166馬力が「SX」 にそれぞれ与えられた。このPRV V6はトリプルバレルのウェーバー・キャブレターを2連で装備し、同じPRV V6を燃料噴射で搭載する他のモデルよりも高出力であった。SXにはミシュランTRXタイヤが装備され、当時の英国誌のテストでは0-60マイル加速7.9秒、最高時速122マイル(195km/h)という俊足を発揮したが、やはり狭いトレッドが災いして、特にウェットな路面での操縦安定性の不足が指摘された。なおV6エンジン搭載のタゴーラの生産はわずか1,083台のみ。

堅実でオーソドックスなプジョー・505と独創的なシトロエン・CX、ハッチバックスタイルで多用途性のあるルノー・30という、それぞれに個性的なライバルが居並ぶフランスの中・大型車マーケットに、タゴーラの居場所は無かった。1981年には116,000台の505と74,000台のCXが生産されたが、タゴーラは15,368台しか売れず、翌年には販売台数は2,566台にまで減少した。タゴーラは翌1983年、イギリスでの生産も開始しないままに消滅、タルボブランドの他の乗用車も、新型車の登場を見ることなく、1986年末には全て消滅することとなった。(商用車「タルボ・エクスプレス」だけは1992年まで生産された)


タゴーラSX

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

SXのコクピット

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

Talbot Tagora SX moteur V6 "L6"

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

引用終わり

・・・車体の長さの割に車幅やトレッドが狭いですねぇ~・・・

シートは座り心地が良さそうです。その反面、インパネが安っぽい・・・( ̄。 ̄;)

Posted at 2022/10/24 01:47:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ全般 | クルマ
2022年08月15日 イイね!

YouTubeの動画から…折角ですから『名神高速道路』

YouTubeの動画から…折角ですから『名神高速道路』
製作:日映新社 企画:日本道路公団
1964年 カラー 68分
音楽担当は團伊玖磨さん
そして解説は川久保潔さん

映像中、気になった物

ゴハチ(EF58)が牽く20系客車(『あさかぜ』か?)


名神高速バスのプロトタイプ車両か?


こ・・・コレは・・・日産セドリックのオープンカー!


オマケ!
開通後・・・



川久保潔さんと言われてもピンとこない方々へ
Posted at 2022/08/15 21:20:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ全般 | 日記
2022年08月06日 イイね!

YouTubeの動画から・・・『国道一号線』

YouTubeの動画から・・・『国道一号線』

・・・放送されたのが昭和43年(1968年)3月22日・・・
・・・ということは・・・私がまだ1歳過ぎの頃か・・・

・・・いや、それにしても・・・BGMの選曲が、中々素晴らしい・・・
・・・特に7:07あたりで流れてくるジョーン・バエズが歌う『The Lady Came From Baltimore』・・・
そして『人間は成長し、親の手を離れ、友達との語らいに中で道を歩き始める・・・』とナレーションで語られると、ジーンときて泣きそうになった・・・


ところで、『万能交通パトロールカー』とはコレ如何に?
愛知県警広報課のTwitterから画像1 画像2

Posted at 2022/08/06 22:55:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ全般 | クルマ
2021年12月02日 イイね!

タクシーの「運ちゃん」呼称は差別用語?

タクシーの「運ちゃん」呼称は差別用語?
こんな無謀運転をするタクシー運転手なんか
「運ちゃん」呼称でエエやん!
(`・ω・´)





このブログ記事はcarview!ニュース『タクシーの「運ちゃん」呼称は差別用語? 世の中に浸透する「●ちゃん」は時と場合で使用控えたほうが良い訳とは』について書いてます。

※以下引用

■昭和初期には登場していた「運ちゃん」という表現

 タクシーやバスなどの運転手のことを「運ちゃん」と呼ぶことがあります。
 
 ほとんどの場合、親しみを込めて使われるようですが、テレビ局などではいわゆる「放送禁止用語」として、原則として使用しない言葉に指定されているようです。

 放送禁止用語とは、法律などで定義されたものではなく、あくまで放送局などが独自に定めているものです。

 また、そのなかにもいくつかのランクがあり、絶対に使用すべきでない言葉や、番組の性格上必要があれば放送する場合のある言葉などに分かれていることが多いようです。

「運ちゃん」は、差別的な表現として捉えられる恐れがあるため、原則として使用しない言葉として扱われているようですが、そこにはどんな背景があるのでしょうか。

「運ちゃん」という言葉自体は、昭和初期には用いられていたようです。

 昭和初期に活躍した怪奇小説家である西尾正が1934年に発表した「陳情書」には、「それまで石の様に黙り続けて居た男が、運ちゃん、ストップ、と陰気なかすれ声を発しました」という、自動車の運転手に対して「運ちゃん」と声をかける様子を見ることができます。

 東京では1927年には都内を1円均一で走る「円タク」が登場しており、都市部で自動車を見掛けることが珍しくなくなってきた時代でした。

 また「運ちゃん」という言葉を分解すると「運転手」を意味する「運」と、人名に対する愛称・敬称の「ちゃん」に分けることができます。

 この「●ちゃん」という語は、「●さん」などと同様「●様」から転じたものといわれています。

「●様」は室町時代ころから、「●さん」は江戸時代中頃には見られていますが、「●ちゃん」の歴史は意外と浅く、明治時代以降に一般化したようです。

 現代と同様、「●ちゃん」は子どもや目下の人を相手に親しみを込めて使用される場合が多く、それ自体に差別的な意味合いはありません。

「運ちゃん」という言葉は、乗り物を運転・操縦する職業のなかでも、タクシーやバスの運転手に対して用いられることが多いのですが、電車の運転手は議論が分かれるところだと思いますが、たとえば飛行機のパイロットや宇宙飛行士などを「運ちゃん」と呼ぶことはまずありません。

 前述したように「●ちゃん」という表現は、親しみを込めて使用されることが多いため、絶対数も多く、一般の人々と触れ合う機会の多いタクシーやバスの運転手のほうが呼ばれやすいというのは必然のように思われます。

 ただ、人によっては、親しみとは別に上下関係を明確にするために使用するケースもあります。

 本来対等であるべき立場の人間が、「●ちゃん」と呼ばれることで不快感を覚えることは決して珍しいことではありません。

 つまり、「運ちゃん」が差別的とされる背景のひとつには「●ちゃん」という表現によって、運転手と乗客という関係のなかに、必要以上に上下関係が強調されることを嫌うということがありそうです。

 また、上司が女性の部下を「●ちゃん」と呼ぶことがセクハラに該当する可能性もあるように、たとえ親しみをもっていたとしても、TPOに即していない表現を使用することに嫌悪感を覚える人も少なくありません。

 一方で、「●ちゃん」という表現すべてが放送上問題であるとされているわけではありません。

 そう考えると、「運ちゃん」が差別的なニュアンスを含むのには、それ以外の部分にも理由があることが考えられます。

■「運ちゃん」の背景にある「雲助」の歴史が存在!? 雲助とはどんな役割?

 前述の通り、日本にタクシーが登場したのは1912年のことでしたが、人を運ぶという仕事時代はさらに古くからありました。

 江戸時代中頃には、川や山間部などの通行が困難な場所で、人や物を運搬する「人足(にんそく)」と呼ばれる人たちが存在していました。

 幕府によって許可された人がこの人足として働いていましたが、そのなかには許可を得ていない「ならず者」も一定数存在していたとされています。

 そうした一部の人足のなかには、窃盗や恐喝のようなことをおこなう者がいたといい、決して評判の良い職業ではなかったといわれています。

 人足は「雲助(蜘蛛助)」とも呼ばれ、その由来には、「雲のように不安定であること」や「蜘蛛のように網をもって客を張っている」などの説があります。いずれにせよ、ネガティブな意味合いを含んでいる言葉といえます。

 明治時代には人力車が多く見られるようになりましたが、当時の様子を描いた小説などを見ると、人力車を引く車夫も「雲助」と呼ばれることが多くあったようです。

 実際に人足から車夫に転じた人も多かったといい、昭和初期に活躍した小説家坂口安吾の「(明治開化)安吾捕物」では、人力車の車夫を「客によっては酒手をたんまり強奪しようという雲助稼業である」と表現している部分があるなど、ならず者文化は継承されていたと考えられます。

 さらに後年、車夫がタクシー運転手へと転じていったことで、タクシー運転手も「雲助」と呼ばれるようになりました。

 また、かつて、タクシー運転手が乱暴な運転をするケースもあり、ならず者文化も一部では継承されたと感じ、タクシー運転手をネガティブにとらえる人がいたようです。

 戦後は、単に愛称としてタクシー運転手を「雲助」と呼ぶ人もいたようですが、その歴史的背景から、「雲助」を差別的な表現だと感じるタクシー運転手も少なくなかったでしょう。

 近年ではほとんど見なくなりましたが、1999年にはある裁判官がタクシー運転手のことを「雲助」と表現したことが職業差別的な意味合いを含んでいるとして、問題となったことがありました。

 明治時代に入り、少なくとも法律上の身分社会は撤廃されましたが、現実的にはさまざまな差別が根強いのも事実です。

 そのひとつに職業差別がありますが、「運ちゃん」という言葉自体に職業差別的な意味合いはなくても、タクシー運転手に対して上下関係を強調する言葉であることから、視聴者に対して職業や身分の上下を意識させるおそれがあり、公共放送では好ましくない表現とされているようです。

※ ※ ※

 現代において、「運ちゃん」という表現を使用する人の多くは、差別的な意味合いではなく、親しみを込めて呼んでいる場合がほとんどでしょう。

 差別的な発言をすべきでないのは当然ですが、時として意図せず差別的な表現としてとらえられてしまうこともあります。

 また、同じ言葉でも、TPOによって受け取られ方が変わることもあることを理解してことが重要といえそうです。


引用終わり

記事を読んでみて思ったこと・・・
乱暴な運転をする運転手のタクシーに乗ったことは今までありませんでしたので、『昔は必ずしも良い時代というわけでもなかった』と思いましたよ・・・

まあ、それよりも・・・コメント欄が・・・なんだかなぁ~・・・

carview!ニュースとか、Yahoo!ニュースとかのコメント欄の『使徒』達・・・
所謂『ヤフコメ民』、なんでこうも上から目線なんだろう・・・
『我々"選ばれし者"』つまり『上級国民』とでも思っているのかな?

やれやれ ┐(´д`)┌ ・・・


Posted at 2021/12/02 03:30:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ全般 | クルマ
2020年09月11日 イイね!

免許取得間もない頃、フィアット・ウーノを買ってみようかな…と、思ったこともありましたよ…

免許取得間もない頃、フィアット・ウーノを買ってみようかな…と、思ったこともありましたよ…



・・・と、判りやすい解説付き動画で、お解りかと・・・
フィアットウーノとは、このようなコンパクトカーです・・・

まあ、イタリア語ですので・・・(^_^;)
・・・名古屋弁だったら、判るんですけど・・

ということで・・・
『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用

フィアット・ウーノ
ウーノ(UNO)は、フィアットによって製造・生産されている自動車である。

初代(1983-1995年)
前期型
フィアット・127の後継機種として開発され、3ドアと5ドアハッチバックの2種類が販売された。ベースグレードは45で、999cc 45PSエンジン。60Sはボアφ80mm×ストローク55.5mmで1,116cc、圧縮比9.2で58PS/5,700rpm、8.9kgm/3,000rpmエンジンを積み車重770kg。70SLはボアφ86.4×ストローク55.5mmで1,301cc、圧縮比9.5で65PS/5,600rpm、10.2kgm/3,000rpmエンジンを積み車重780kg。燃料供給はいずれもウェーバー製ダウンドラフトキャブレターによる。また燃費の良さも人気の一因であった。

1984年にはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。

1985年に高性能版であるターボieが追加された。ブースト圧0.6バールの石川島播磨重工業(現IHI)製VL-2型ターボチャージャーとボッシュ製LE2ジェトロニックを装備したボアφ80.5mm×ストローク63.9mmの1,301cc、圧縮比8.0で最高出力105PS/5,750rpm、最大トルク15.0kgm/3,200rpmのエンジンを搭載。車重は845kg。最高速は200km/h、0-100km/h8.3秒。

後期型
1989年9月に登場した大幅改良版は車体前方と後方のデザインが変更され、より低い空気抵抗を実現した。車内デザインも変更され、前期型の欠点であったダッシュボードが震える現象も解消された。

イタリア国内での生産は西ヨーロッパ一帯での売上数が減少するとともに1995年に終了した。後継車はフィアット・プントである。

ラリー競技
メインストリームであるグループBをフィアット・グループであるランチアチームに重点を置いていた1985年、グループAエントリーをグループ2時代より131アバルトのサポートカーとして参戦させてきていたフィアット・リトモをリトモ・アバルト130TCにまでスープアップしてきており成績的にも限界が来ていた。

そこで、55SをグループN仕様としてポルトガル・ラリーより投入し、完走。次年のラリー・モンテカルロでは地元プライベータであるもののジョリークラブがターボを3台体制で投入するも、3台ともリタイヤと余り良いところがなかったように見えたが、ポルトガルではグループBのフロントランナーであるトップランナーが続々リタイアしている関係上3位入賞は果たすものの他の2台はドライブシャフトとアクシデントでリタイアしており、戦える信頼性確保にはまだまだ時間が必要であった。

そこでアバルトと共同で1986年、ウーノターボ・アバルトをプロトタイプとしてコルシカ島でのテストを行った結果、フィアットからは同じ市販車ベースでのツインキャブレターを装備した100馬力の70SXグループA仕様をA112アバルトの後継モデルとしつつも採用はされず、メインストリームをグループAとした1987年にポルトガルでジョリークラブのターボが総合10位と初のクリーンコンディションでのポイントを獲得したが、1987年後半よりウーノでのグループA参戦を、中型車であるレガータへ徐々にバトンタッチした。

その後の製造と販売
初代ウーノはイタリア本国での製造・販売を終了したのちも、諸外国では長期にわたり生産が継続された。

南アフリカ共和国 - 日産自動車のライセンス下で2006年まで「ニッサン・ウーノ」及び「ミッレ」として製造。
ポーランド - ポーランド国内でのフィアット製造工場による生産は1995年6月から2002年10月まで行われた。
ブラジル - 1988年4月から2013年12月ともっとも長期にわたり生産されてきた。現地では比較的安価なエントリーモデルとして知られ、2005年以降はエタノール対応となりその後約200万台を突破した。2010年に南米向け2代目ウーノが投入されて以降は1.0L車のみにラインナップを縮小し「ミッレ」と名を変えて引き続き販売されていたが、2014年以降のブラジル生産車へ義務付けられるABS及び両席エアバッグの装着が困難となり生産終了。
アルゼンチン - イタリア系移民の子孫が多いアルゼンチンでは1989年から2000年まで約18万台が生産された。他に派生車である4ドアセダンの「ドゥーナ」およびステーションワゴンである「エルバ」が1988年から2000年まで製造されフィアットの本拠地となるイタリア本国へも輸出していた。
パキスタン - ラジャ自動車が2001年からノックダウン生産していたが、2004年の工場閉鎖に伴い生産終了。
モロッコ - 2003年に生産終了しているが現在でも小型タクシー用の車両として人気が高い。
フィリピン - 地元メーカーのフランシスコ・モーターズとの合併会社であるイタルカー・ピリピナスにより1992年から2000年まで現地生産。

逸話
ダイアナ元妃が事故死した際、追走していたパパラッチは白いフィアット・ウーノに乗っていたという証言がある。しかしながら確証は取れていない。

1990年代初頭にイタリアで悪名を馳せた犯罪グループ「ウーノ・ビアンカ」(イタリア語で白いウーノの意)の名は彼らが好んで盗んだフィアット・ウーノに由来するが、これは当時のウーノがイモビライザー非装備であり盗みやすかったことに起因する。

2代目(2010年-)
当代モデルはブラジルをはじめとするラテンアメリカ専売モデルとなり、欧州市場へは投入されない。

直線的な外観の初代に比べ丸みを帯びたスタイルへと変化した。ブラジルフィアットとトリノのチェントロスティーレによる共同開発モデルであり、プラットフォームはニューパンダ用をベースにコストダウンを図ったものを採用している。

エンジンはガソリン・エタノールの両方に対応したフレックス燃料車タイプの1.0Lと1.4Lの2種でどちらも5速MTのみとの組み合わせである。なお、2015年モデルからはどちらのエンジンにもアイドリングストップ機構が標準化され、デュアロジックのオプション設定も追加された。


引用終わり


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

CM・・・







・・・なんだか、『これは当時のウーノがイモビライザー非装備であり盗みやすかった』ということを暗示するかのようなCM・・・(^_^;)\(・_・) オイオイ

日本版CM・・・

ガレーヂ伊太利屋かな?・・・


・・・まだ二十歳になる前だったかな・・・

名古屋輸入車ショーを見に行ったときに、『ドアロックされていない展示車』のうちの1台がフィアット・ウーノでしたよ・・・

で、カタログ(ただのパンフレットだったかも・・・)を貰い、フィアット・ウーノに乗ってみたら・・・
『ちょうどエエガヤ!』
・・・危うく、買いそうになりましたよ・・・(^_^;)
コンパクトカーとはいえ、輸入車ですので、免許取りたてで買うのは・・・
ちょっと・・・

でも・・・もし買っていたら・・・

泥沼にハマっていたかも・・・

デンキケイトウガー!・・・サビガー!・・・と・・・
まあ、それはそれで、『楽しい(苦しい?)カーライフ(笑´∀`)』だったかも・・・

====================================================

流石です!
フィアット・ウーノは
こ~~~んなドライビングも出来るんです!(`・ω・´)






・・・西部警察かよ!・・・(^_^;)



…ということで…
Posted at 2020/09/11 23:46:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ全般 | クルマ

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「テレビで交通事故のニュースでよく登場する交通事故鑑定人の中嶋博史さん・・・

🧐モノクル(片眼鏡)と言うらしい・・・
テレビで見る度、このメガネがどえりゃあ気になって気になって、話の内容が全然頭に入らあへん!

#中島博史 

#交通事故鑑定人 

#モノクル 

#片眼鏡
何シテル?   05/14 03:19
ハンドルネームはTVドラマ『鉄道公安官』のオープニング&エンディング曲だった、 サーカスの『ホームタウン急行(Express)』が由来です。 旧ハンドルネー...
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