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ホームタウン急行(Express)のブログ一覧

2021年05月04日 イイね!

私が好きな豪華客船・・・SS Normandie・・・※現存してませんが・・・

私が好きな豪華客船・・・SS Normandie・・・※現存してませんが・・・※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用




・・・すでに現存していない豪華客船ですが・・・
私は1935年に建造されたフランスの客船ノルマンディー(SS Normandie)が大好きです。

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

なんと言っても、巨船なのに船体デザインがスマートでカッコイイ!
"建築家ル・コルビュジエの思想から簡素にも見える機能美デザイン"
そう、クリーンなデザインです。

また、
前甲板の途中でV字型の『波除け』がまるで豪華なモーターボートのようなデザインでモダンです・・・




いつものことですが…
『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用

ノルマンディー (客船)

ノルマンディー(SS Normandie)は、1935年に建造されたフランスの客船。「洋上の宮殿」と謳われた華麗さと、不幸な末路により短期間で失われたことから、神格化すらされた伝説的な存在の客船である。1942年にアメリカ海軍により接収され「ラファイエット(USS Lafayette)」と改名。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ノルマンディー(SS Normandie)


概要
ノルマンディーはCGT(Compagnie Générale Transatlantique, カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク, 「大西洋横断総合会社」、英語圏では「フレンチ・ライン」の名で知られるフランスのフラッグキャリア、現・CMA CGM)の発注により1931年に起工され、翌年1932年に進水・命名。全長がはじめて300mを超えた、世界最大の巨大客船であった。

CGT社はニューヨーク・ル・アーヴル航路の急行サービスで老朽化したフランス(1910 en)の代替船案を計画した。この航路では年間輸送人員実績首位のキュナード・ラインより下位で多くの定期航路を持つCGT社ではその代替船を数年置いて一隻ずつ更新する方針で、速度が異なる高速船のパリ(1916 en)、イル・ド・フランスと新造船は1週間1便航海する計画で進められ姉妹船は存在しない(ただし、老朽化したパリ代替で本船就航後姉妹船として「(仮称)S.S.ブルターニュ」を建造する予定だったが、財政難とヨーロッパにおける第二次世界大戦勃発の為中止)。

建造にあたってはフランスの威信をかけ、計画提出はフランス政府とCGTが締結した郵便運送協定助成金をもとに開始した。その後、CGTは(ウォール街)大恐慌以降の資金調達事情から、国策の民間企業から国営管轄に移行、計画は国家的な援助のもとで建造された。CGTの豪華客船フランス(1910 en)から3隻の集大成でノルマンディーの原案「T6計画」にブルーリボン賞を狙うべく最高速船計画が盛り込まれ、見積基礎設計の早い段階で高出力エンジンとこれに応じた巨大な船体が算出されていた。この建造案が認証されると即座にサン・ナゼールベノエ造船所は世界最大の専用船台を建築し 、いくつかの推進機関案から、ターボ・エレクトリック推進という、タグボートでは広く用いられていたものの1万トン超の客船では前例のないものを採用、ペノエ3胴水管ボイラー29基とタービンに、高さ 6.4m、幅 5.8m、長さ 7.9mのモーター4基の構成で4軸合計最大定格出力160,000馬力を発揮するものとした。

船内アメニティを追求しエスプリ客船を印象づけ、「T6計画」を立ち上げながら急逝したCGT社長ジャン・ドール・ピアズ (John Dal Piaz) (fr) の遺志を継ぐべく、CGTのピエール・ロマノ主任設計技師監督の下、亡命ロシア人技師ウラジミル・ユルケヴィッチ (en) 提案の船体設計など当時最新の造船理論を採用[6]。1931年1月26日船体番号No.534、T6B-Sとして起工、翌年10月29日にはフランス大統領アルベール・ルブラン夫妻出席で進水式が行われ大統領夫人は船名「S.S.ノルマンディー」を授けた。ロワール川を挟んで約二十万人が見物するなか行われ、潮位の計算不足や船体が起こす逆流で予想外の高波を呼び冠水災害を引き起こし見物人の足下を洗ったが怪我人はいなかった。1935年2月29日パリ元船長ルネ・ピュニエのもと処女航海に就いた。

船室の配置とインテリアではイル・ド・フランスで成功したキャビンレイアウトやアール・デコ様式満載の豪華な内装を引き継ぎ、根底にある建築家ル・コルビュジエの思想から簡素にも見える機能美デザイン、当時の最新鋭高速客船では冗長な解放空間を旧式船のカウンター・スタンにならい敢えて広いリドデッキに、その階下には軍艦・戦艦のスタンウォークを真似たプロムナードを設け(その後のクルーズ客船がサロンを設ける先駆)、船体外観には広く様々な角度で俯瞰しても調和のとれた均整な船形デザインを保つためダミー(偽装)の第三煙突を設置するなど外観には細心を払い「洋上の宮殿」の異名を取った。貨物船を多く所有し大型客船は他社模倣で特徴薄いCGTの船形デザインを刷新し、緻密に計算された船形デザインは世界に衝撃を与えのちに不朽の豪華客船と讃えられた。また建築や工業デザイン分野において高く評価されている。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
縮小立体化したT6B-Sの模型から討議するウラジミル・ユルケヴィッチ


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
建造中のノルマンディー


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ルアーブルに入港するノルマンディー


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
一等船室のプール


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
ノルマンディーのグランド・ダイニング・ルーム

世界最速の客船
1935年の試運転で31,9ノットを記録し、処女航海では5月29日ル・アーブル出帆の西航で29.94ノット、東航 平均30.35ノットの平均速力でブルーリボン賞に輝いた。試運転から航路で記録樹立以降しばらくは速度を抑えて運行している。船体振動が後部に集中しある客室では床に置いた旅行かばんが振動で弾み移動し原因は外側スクリューの廻流とされ直上の船体構造を補強する応急処置を施し暫定で速度を落とし運用し、冬期オフシーズンにはスクリューを換装しそのスラスト軸とブラケット形状を変更した。翌1936年4月の点検ではスクリュー4基の一つに原因不明の破損が見つかった。1936年5月就航のクイーン・メリーに8月西航で平均速力30.14ノットで抜かされる。大掛かりな修繕改善工事が計画されキャビンレイアウトの改装も立てられ定期便を外れ冬期入渠時にはエンジンの改良も実施しタービン・ノズルの変更から最大定格出力180,000馬力に向上した。ノルマンディーは入渠修繕後の1937年7月西航で同じく30.58ノット、8月東航 31.2ノットで新記録を打ち立てブルーリボン賞を奪取。しかしクイーン・メリーが翌年奪い返したあと1939年8月31日、139次航海を終えニューヨーク到着、復航準備中の9月3日朝フランスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦の始まりだった。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
海を行くノルマンディー(モノクロ写真をカラー化したもの)

火災
戦争勃発でCGTはノルマンディーの中立国避難を選択、その後ニューヨーク港の88番埠頭に係留された。1940年にフランスがドイツ軍の占領下におかれノルマンディーは事実上抑留へ、さらに1941年12月11日にドイツがアメリカに宣戦布告したことから、アメリカに接収の上兵員輸送船に改装される事になった。名前もラファイエット(USS Lafayette)に改名され、船内の装飾品を撤去する工事を行っていた1942年2月9日14時32分、作業の不手際から工作機器の火花が装飾品に引火して火災が発生、1時間ほどで船体全体に広がった。翌日には鎮火されたが、消火の際の不用意な放水によって船内に大量の水が入った結果、バランスを崩し、翌日14時32分に転覆した。

戦争中で優秀な船舶を必要としていた為、直ちに引き上げが検討されたものの、狭い埠頭で転覆した事と、巨船でもあり作業は困難を極め、結局上部構造物を撤去して引き上げに成功した。しかしながら、火災による損傷と引き上げ時の作業によって船体は大きく損傷し、客船への復旧や、一時は航空母艦への改装も検討されたものの、いずれも費用などの問題で実現せず、結果として第二次世界大戦終了後の1946年に解体された。

マンハッタンのアワー・レディー・オブ・レバノン・マロナイト・カソリック大聖堂(英語版)に本船のドアが移設されて保存されている。



※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
炎上する本船


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
転覆した本船を引き上げる作業が行われた


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
教会に移設された本船の扉
引用終わり



それにしても、失火による火災で損傷してしまい、解体されてしまったのは残念でなりませんね・・・
惜しい!

オマケ!

アルフレッド・ヒッチコック監督による1942年のアメリカ映画『逃走迷路』で
造船所にて進水式の際に破壊工作により爆破転覆した戦艦アラスカ号』としてヒッチコック監督がチャッカリ撮影して利用・・・

Posted at 2021/05/05 00:34:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 船舶 | 日記
2017年12月13日 イイね!

そう言えば・・・1970年代に『さんふらわあの唄』って、有りましたよね♪・・・(※昭和40年代生まれじゃないと判らないかも・・・)

そう言えば・・・1970年代に『さんふらわあの唄』って、有りましたよね♪・・・(※昭和40年代生まれじゃないと判らないかも・・・)※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用







・・・またしても・・・
貼っただけ・・・
"貼りっぱなしのハリー・ポッチャリ"・・・
ですが・・・
何か・・・問題でも・・・?


さて、本題ですが・・・今日、ピックアップするのは・・・

さんふらわあ (初代)


※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

詳しくは・・・
Wikipediaの・・・
さんふらわあ (初代)と・・・
さんふらわあの・・・
引退したさんふらわあ
ご参照お願い致します。


・・・まあ、九州方面に親戚が無かったのと子どもの頃、我が家は貧乏で、
『さんふらわあ』でさえも『クイーンエリザベス号』並みに高嶺の花でしたので・・・
”一生、縁の無い船で或る”(・・・と思っていた・・・)

まあ、今はなんとか稼げるようになりましたので・・・

『九州行くなら新幹線』ならぬ『九州行くなら"さんふらわあ"』もありかと・・・

・・・たぶん、ホテルみたいにオンライン予約できる筈ですので、
寝台列車よりも簡単に予約できるのでは?(JRも少しは見習え!・・・特に東海!)

そんな・・・さんふらわあ・・・

1970年代には・・・各メディアで(CMとか・・・)『さんふらわあの唄』が流れたので、
ご存じのことかと・・・
あ、昭和40年代生まれじゃないとご存じないか・・・(^_^;)

と言うことで・・・
日本高速フェリー時代の『さんふらわあの唄』

Posted at 2017/12/14 00:28:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 船舶 | 旅行/地域
2017年10月14日 イイね!

ご存じの方は少ないと思いますが・・・実際に解体される仏船籍の老朽船を利用して作り上げたパニック映画『最後の航海』(1960年 アメリカ)

ご存じの方は少ないと思いますが・・・実際に解体される仏船籍の老朽船を利用して作り上げたパニック映画『最後の航海』(1960年 アメリカ)








・・・私が生まれる6年ぐらい前の映画なので、当然、リアルタイムでは見てません・・・

もっとも、一番最近見たのは・・・
1970年代、テレビの映画劇場(月曜洋画劇場だったかな?)で見たぐらいなので、記憶が曖昧・・・(^_^;)

ただ、判っていることは・・・
実際に解体予定の客船を使用して、日本の鳴門海峡で撮影されたと言う事ですね・・・

とりあえず・・・本国(アメリカ)版の予告編から・・・

これをご覧になれば、『・・・ああ、あの映画か・・・』とお判りかと・・・
但し、50歳以上じゃないと・・・以下自粛・・・


まあ、ストーリー等の詳細は・・・

Wikipedia(但し、英語版)『The Last Voyage』

又は・・・

最後の航海 | 映画-Movie Walker

今時なら、『CらじらしいGラフィック』・・・略してCG((^_^;)\(・_・) オイオイ)により撮影するんでしょうが、やはり、実物の客船を使用した方が手に汗握る緊迫感が有りますよね♪(^_^)b

さて、その撮影に使用された実際に解体される仏船籍の老朽船とは?・・・

つづく・・・・・

ヒントは・・・この動画・・・
Posted at 2017/10/14 04:04:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 船舶 | 音楽/映画/テレビ
2017年08月02日 イイね!

今は無きフランスのオーシャンライナーの豪華客船フランス (SS France)

今は無きフランスのオーシャンライナーの豪華客船フランス (SS France) ※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用








そういえば・・・
1969年のフランス映画"Le Cerveau (The Brain)"(邦題:『大頭脳』)のラストシーンに登場した
豪華客船・・・

"Le Cerveau (The Brain)"(邦題:『大頭脳』)のラストシーンの
メイキング映像を見てみよう♪(^_^)b





「よい旅を」と言う意味で使われるフランス語の・・・
Bon Voyage!・・・
「よい航海を」という意味でもある・・・

そんなフランスで1960年代に登場したオーシャンライナーの豪華客船・・・
その名も・・・『フランス (SS France)』

・・・その船名と姿は小学校低学年の頃から知っているんだよね~♪(^_^)b
・・・と、言っても、港町に住んでいるわけでもなく、
ましてや、フランスに住んでいたわけでもない・・・

実は・・・それを知ったのは・・・
学研の図鑑 『自動車・船』(1973年版)から得た情報で・・・

まあ、説明が大変ですので・・・

『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより引用

フランス (客船・2代)

フランス (SS France) は、カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク(CGTもしくはフレンチ・ライン)が運用した遠洋定期旅客船(オーシャン・ライナー)。サン=ナゼールのアトランティーク造船所で建造、1962年2月に就役した。建造途中の1960年時点で最長の旅客船であり、これは2004年に全長345mの「クイーン・メリー2」が建造されるまで世界最長の船であった。

「フランス」は1979年にノルウェージャン・クルーズラインによって購入され、「ノルウェー」と改名、改造が施された。2006年にスクラップとして売却され、2008年後半に解体が完了した。

データ
・運行会社 ノルウェージャン・クルーズライン
・就航 1961年
・全長 315.5m
・全幅 33.7m
・総トン数 70202トン
・船客定員 1961–1974 First class: 407人
Tourist class: 1,637人
1980–1990 - 1,944人
1994–2003 - 2,565人
・乗組員数 1961–1974 - 1,253人
1980–1990 - 875人
1994–2003 - 875人

「フランス」時代
「フランス」は、フレンチ・ラインの客船として、1957年10月7日にて起工された。船台は「ノルマンディー」が建造されたのと同じ場所である。1960年5月11日に進水式を迎え、シャルル・ド・ゴール大統領により「フランス」と命名された。1961年11月19日に完成し、翌1962年2月3日に北大西洋航路に就航した。

試運転時の最高出力は17万5千馬力、速度は35.21ノットを記録したが、ブルーリボン賞を獲得していた「ユナイテッド・ステーツ」には及ばなかった。処女航海では平均速度約31ノットを記録している。

「フランス」は、2月~11月までル・アーブル~サウサンプトン~ニューヨーク間の定期航路に就航し、12月から1月にかけては、入渠整備やカリブ海でのクルーズを実施していた。

「フランス」の船内サービスは評判となり、特に古典フランス料理を提供していたレストランは、当時の料理評論家から「種類が豊富で優れた料理の数々には驚嘆する。これほどの最高の味を堪能させてくれる場所は他にはない」との高い評価を得ていたが、1960年代には大陸間の移動手段はすでに航空機の時代となっており、夏の旅行シーズンを除いて満室になることはなかった。一方で1航海に要する燃料は6000トンに及び、また多くの乗組員に対する人件費などの諸経費も膨大な額となることから、年間を通して巨額の赤字を記録し、フランス政府から多額の運航補助金を得て運航を続けていた。

フレンチ・ラインでは、新たな乗客層獲得のため、1972年と1974年のオフシーズンに3ヶ月間の世界一周クルーズを実施する。しかし、本船はそのサイズからパナマ運河の通行ができず、ホーン岬経由にしたため航海距離が長くなった。結果、クルーズスタッフや消耗品を輸送するために、本国~寄港地間に航空便を仕立てたり、タンカーをチャーターし燃料補給を行うなど、大変な手間と時間、経費がかかり、さらなる赤字を招いた。ついに1974年には、長年運航補助金を支払っていたフランス政府より、補助金支給打ち切りが通告された。フレンチ・ライン単独では巨額の赤字に耐えられず、ついに「フランス」の運航中止を決断した。1974年9月11日に最後の北大西洋航路での運航を終了し、運航停止に反対する乗組員と諍いがあったものの、1974年12月をもってル・アーブルに係船された。

「ノルウェー」時代
「フランス」は、1977年にいったん買い手が付いたものの、再利用されずにそのまま係船されていたが、1979年になってノルウェーのクルーズ企業であるノルウェージャン・クルーズライン(NCL)が購入し、カリブ海クルーズ用客船に改造されることになった。工事のため、長年の母港であったル・アーブルから西ドイツのブレーマーハーフェンに回航され、船名にもなったフランスに別れを告げた。

クルーズ客船化により2400人定員に変更するため船内は大幅に改装され、客室が増設された。一方、31ノットの高速は不要なことから、ボイラーの半数は撤去されて最高出力は4万馬力に、速度は17ノットとなった。島巡りに使用する大型ランチも搭載され、塗装も従来の白黒から白と青のツートンカラーに変更された。

1980年4月14日に改装工事が完成し、船名も「ノルウェー」(SS Norway)となった。総トン数は7万トンに及び、これまで世界最大のクルーズ客船であったP&Oの客船「キャンベラ」を抜いて、当時世界最大のクルーズ客船となった。

その後、数回にわたり改装を受けた。特に1990年に行われた改装では、最上部デッキの上に客室を新たに増設した結果、「フランス」当時の姿から大きく変化してしまった。

晩年
2003年5月25日、機関室のボイラーが爆発し、死者8名・負傷者17名を出す事故が発生した。幸い船客には負傷者は発生しなかったが、NTSBによる事故原因調査の結果、事故は老朽化したボイラーの点検・整備不良によるものと発表された。調査中、「ノルウェー」はマイアミに係船されていたが、調査終了後の2003年6月27日、修理のためドイツに回航する事を決定し、マイアミを2003年9月6日に出航。途中いくつかの港を経由して、17日後の9月23日にブレーマーハーフェンに到着したが、結果的にこれが最後の航海となった。

NCLでは、破損したボイラーの修復が可能か調査したが、修復困難と判断されそのまま係船となり、船内設備はNCLで新たに就航するクルーズ客船の船員訓練用として利用された。

2004年3月23日、NCLは「ノルウェーは二度と航海に戻ることはない」と発表し、事実上の廃船となった。またこの時、船籍をNCLの親会社であるスタークルーズに変更した。会社では売却解体の方針を決定したが、船内で使用されていた大量の残留アスベストのため、バーゼル条約によりドイツ国内から世界各国の解体場への出航が禁止されており、NCLは修理の上オーストラリアで就航させるとしてドイツ当局からの出航許可を得て、2005年5月23日にブレーマーハーフェンを出航し、マレーシアのポート・クラン港に向かった。港には8月10日に入港したが、そのまま解体のための売却先が見つかるまで係船され、2006年には、新たな船主に売却されリベリア船籍となり、船名も「ブルーレディ」(SS Blue Lady)に変更された。

その後、解体場所をめぐって環境保護団体から裁判が起こされるなど様々なトラブルが生じたが、2007年9月11日に裁判所からの解体許可の判断が確定した。すでにインドのアラン(Alang)に回航され、遠浅の砂浜に座州していた「ブルーレディ」の解体作業への支障がなくなったことから、翌2008年1月20日より解体作業が開始された。

解体作業に際して、まず最初に1990年に増設された客室の撤去から開始され、一時的に1990年以前の姿に戻ったが、その後は順次作業が進み、2008年末には解体作業が終了した。解体前にあらかじめ収集された備品や船体の一部は、オークションに掛けられ売却された。また「ノルウェー」への改装前に船体に掲げられていた「FRANCE」のネオンサインを復元したものが、パリの国立海洋博物館で展示されている。


ファーストクラスのグランドサロン

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

「フランス」の最後の世界一周クルーズでの香港九龍の港にて

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用


「フランス」1965年のクリスマスと新春クルーズの宣伝ポスター

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

「フランス」西ドイツのブレーマーハーフェンでの改装工事にて「ノルウェー」へ船名変更

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

西ドイツのブレーマーハーフェンにて改装工事後の「ノルウェー」

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

「ノルウェー」、オランダ、アムステルダムにて(1982年撮影)

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

「ノルウェー」 (2009年撮影)

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

「ノルウェー」ノルウェーのフロムにて

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

「ノルウェー」 (2004年撮影)

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

船名を「ノルウェー」から「ブルーレディ」(SS Blue Lady)に変更され、インドのアラン(Alang)に回航の様子

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

保管されている最後尾の一部

※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用

※引用終わり

豪華客船「フランス」は全長 315.5mでクイーンメリー2が登場するまでは世界一の全長であり、前甲板の長さも長いため、スラリとしたスマートなプロポーションが魅力的だ♪
更に2本の煙突は一見、オーソドックスな煙突に見えるが、煙突の上部の左右から、
まるでウィング形状を成し、その「ウィング」先端から横方向に排気させている点がユニーク!
如何にもシトロエンDSなどエポックメイキングなクルマを産み出したフランスらしい♪(^_^)b
まさに「新時代の豪華客船」と言っていいだろう♪(^_^)b

小学校低学年の頃の私が惚れる訳だ・・・(^_^;)


YouTubeから見つけた映像・・・

1962年、ニューヨークへの処女航海の様子かな?・・・


こちらはカラー映像版・・・


「フランス」のトリビュート映像・・・


「フランス」のドキュメンタリー映像


そして・・・(涙)

かつて栄華を放った豪華客船・・・
何故、こんなにも末路が哀れなんだろう・・・(´;ω;`)

かつての栄光に敬意を表して・・・

Vive la France!

=============================================================================================

オマケ!

Posted at 2017/08/03 01:18:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | 船舶 | 旅行/地域
2013年04月30日 イイね!

遊覧船で…

遊覧船で…ちょっと船旅
Posted at 2013/04/30 09:32:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 船舶 | 旅行/地域

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「テレビで交通事故のニュースでよく登場する交通事故鑑定人の中嶋博史さん・・・

🧐モノクル(片眼鏡)と言うらしい・・・
テレビで見る度、このメガネがどえりゃあ気になって気になって、話の内容が全然頭に入らあへん!

#中島博史 

#交通事故鑑定人 

#モノクル 

#片眼鏡
何シテル?   05/14 03:19
ハンドルネームはTVドラマ『鉄道公安官』のオープニング&エンディング曲だった、 サーカスの『ホームタウン急行(Express)』が由来です。 旧ハンドルネー...
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