偏見が入っているかも知れないが、高校の先生って思想的に凝り固まっている人が多い気がする。私が高校生の頃、かれこれ40年近く昔のことになるが…そのころから国歌「君が代」について「あんなものは国歌ではない」だの「軍国主義の象徴」だのと言っている社会科教師がいた。私と弟は同じ高校で学んだのだが、弟の卒業式では、式次第の「君が代斉唱」の場面で件の社会科教師が「皆さ~ん、これは国歌ではありません。歌うことはありませんよぉ!」と喚き、それを受けて半分近い生徒が着席したのだそうだ。ま、思想云々ではなく、単に面倒くさいから歌わないことを選択した学生が大半だったのだろうと推察する。自虐っぽい言い回しになるが、その程度の高校だった。
弟曰く「別に君が代は好きじゃないし、歌うことも好きじゃなかったけれど、扇動している教師が嫌いだったし、何より『人の卒業式を何だと思ってんだ!』と腹が立ったので、でかい声で歌ってくれたわ。」と。反骨精神溢れる発言である。こういう捻くれたところ、私と同じDNAが息づいているのを感じさせられる。
前振りが長くなった。
“君が代不起立”の元教諭が大阪府に謝罪求める 「再任用拒否」の裁判で府側が敗訴ってなニュースが目に留まった。この手のニュースを見る度に「戦争反対=君が代否定」となるのは何でなんだろうって思ってしまう。憲法9条を堅持すれば、他国から侵略されないと主張する人たちと同じ香りがする。もちろん、我が国では思想や信仰の自由は保障されている。だから、歌いたくないのであれば歌わなければいい。ただ…教師であるという立場を忘れてほしくないと思う。

府立高校の教員、教育公務員であれば、文科省や大阪府の命令に従う義務があるんじゃないかと思うんだよね。文科省や大阪府が起立して斉唱することを求めているのであれば、従うのが筋じゃないかね。表面的に起立して口を動かしていれば問題は生じはしないのだ。君が代の出だしだけ「戦争す~る~な~♪」って歌えばいいじゃん。そうすりゃ、ずっと戦争するなっていう意味の歌になるでしょ?
この教員がどうだかは知らないが、中には国歌斉唱になると同時に便意に襲われる人もいるらしい。勝手に式次第を貼り替えたり、大声で自分の主義主張をがなり立てたりするヤツもいるそうだ。そういう姿を見た生徒達はどんな気持ちになるだろうか。「文科省や自治体に背いてまで信念を貫く先生、カッコイイ!」などとは決して思うまい。「何だ、やりたくないことはやらなくていいんだ。」と誤学習するのが関の山だろう。
もし、私が君が代に反対する教員だったとしたら…生徒に自分が君が代に反対する理由を十分に伝えた上で、「君たちの卒業式に無用な混乱を生じさせないよう、斉唱はしないまでも起立する。信念とは己の中に持つべきものであり、必ずしも表出させる必要はないのだ。」的な訓示を垂れるんじゃないかと思う。
私が件の教員を尊敬できない理由、それは自分の信念を通さんがため、職務上の義務を果たさなかったくせに、義務を果たしていた人間達と同じ扱いを求めていることだ。起立しなかったことで懲戒処分を受けたわけではない。単に再任用の声がかからなかっただけのこと。つまり、一度定年まで勤めさせてもらっているのだ。喩えは適当ではないかも知れないが、一般企業で社命に公然と背いて定年まで勤めさせてもらえるものだろうか。退職後、再雇用してもらえるものだろうか。公務員故、最後まで勤められたのだ。それで十分ではないか。
裁判の結果は府の敗訴となったようだ。だからといって、私は件の教員が正しかったなどとは思わない。本当に生徒との時間を大切にしたいと考えていたのならば、己の信念の表出の仕方について一考すべきだったのだ。そもそも、教職員の政治的な活動は禁止されているし、同時に政治や宗教的に中立であることが求められているのだから。
Posted at 2022/06/25 16:37:02 | |
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