昨日「何シテル?」に書いた
「うまずして何が女性か」発言。ここだけ切り取ると、妊娠・出産しない女性を中傷しているように読めるのだが、実際は新たな知事を『誕生させる』というニュアンスで『女性支援者たち』の前で演説した内容の一部分だった。妊娠・出産できない事情を抱えた女性を揶揄するような意図はなかったのだろうが、ちょっと迂闊な発言だと言えなくもない。自民を叩きたくて仕方がない勢力には、格好の材料となってしまうのだから。


マスコミさんの常套句「指摘が出る可能性がある(≒指摘するべきだ)」の通り、早速野党さんが食いついてきたようだ。記事を書いた人にとっては「してやったり」といったところだろう。この分では近い将来「生み(産み)の苦しみ」という言葉すら差別用語とされるようになるだろう。
今回、参集していた女性支持者の中に、不妊に悩む人が入っていて、その人が不快感を覚えたというのであれば問題だろう。でも、演説の文脈から妊娠・出産できない女性に対する中傷だと受け取る人はいるのかなあ。寧ろ、この記事のように、発言の一部を切り取ってショッキングな見出しに仕立て上げることで、そういう女性を傷付けたり、神経を逆撫でしたりする結果を招いているのではなかろうか。
勿論、私は自民党を無軌道に支持するものではないし、本件については正直「脇が甘いな」とも思う。報道陣に公開した会合ならば当然発言には気をつけるべきだし、支持者だけを集めた内々の会合であったとしても、敵対勢力のスパイが紛れ込んでいる可能性を考えて言葉を選ぶ必要があるだろう。ただ、色々な人に気を遣っている体を装いながら、その人達の負の感情を煽り、特定の人物や政党を攻撃する材料にしようとする組織や人物が存在することにも不快感を覚えてしまう。「子供をうまない女性≠女性」なんて、誰も言っていない。「受け取られかねない」と予防線を張りつつ、実際に言葉にしているのは批判者。そして、「可能性がある」と予防線を張りつつ、その発言を呼び込んでいるのはマスコミという、全く笑えない話である。
上川氏「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」
逢坂氏「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない」
どちらの文言がより当事者を不快にさせるかって話だよ。
言葉とは一部分だけで理解するものではなく、全体の流れの中で、発言者の意図を汲み取りながら理解すべきものだ。私はそう思う。だが、同時に発言者の意図よりも受信者の解釈の方が優先されるべきであることも承知している。悪意をもって曲解するような輩は別として、実際に不快感を覚えた人間が存在したのであれば、今回の発言が問題視されるのは仕方がないことなのだろう。ただ、当事者でもない人間が、当事者の立場に立つ体を装いながら、自分の主義主張のために当事者の感情を利用しようとすることには一切賛同できない。発言者が無自覚に持っていたかも知れない差別意識以上の、計算ずくの悪意を感じてしまうから…。
Posted at 2024/05/19 09:50:42 | |
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