早いもので3月も4日目が終わろうとしている。
先日の日曜日は、その前の週に続いて連続での飯田行きであった。
しかも、前回のブログで書いたように、プレッシャーを感じながらの行軍であったので、深夜に帰宅した時には心身ともに疲れ切っていた。
なにも、ここまで無理しなくても良いのでは。と、もう一人の自分が言う。
長男の下宿を認めたのだから、その時に腹をくくった筈だろう、と別な自分が言う。
いずれにしても、永遠に続くのではないのだから、その時間をどう過ごすかは私次第なのだが。
日曜日。
長男の部活の3年生送別関連の行事が始まる時間から逆算すれば、やはり出来るだけ早く出発すべきだろうという事で、朝6時過ぎに八王子を出た。
今回は、妻と次男の三人でイプサムでの移動である。
期末試験前の長女は、迷わず留守番しつつ勉強とのこと。
1週間経って再び走る中央道下り線は、先週より除雪は進んでいたものの、依然として右ルートは通行止め。
その後も登坂車線が所々で通行不能であり、まだ完全な復旧には至っていなかった。
昨晩降った小雪が、木の枝を白く染めていたが、路面への影響は無かった。

最高地点付近の気温も-1℃と、比較的暖かい。
松川で降りると、意外なくらい雪が残ってなかった。
市街地もこのとおり。

R153沿い、ガストの近くの青いコンビニで、ミラクルさんの載っている無料月刊誌を探すが、置いてなかった。残念。
次男を友達の家に降ろしてから長男の下宿に向かう。
相変わらず散らかっている。洗濯物が大量に残っている。
妻も、どうしても会っておきたい友達が居たので、行事が始まるまでの間、出かけた。
残った私と長男。コインランドリーで洗濯しつつ、私は夕方からの式典の進行表に目を通しながら溜息をつく。あ~、緊張する。
昼過ぎからは、卒業記念試合である。

奥の水色ジャージが前日に卒業式を終えた3年生。
手前の赤ジャージが迎え撃つ1、2年生である。
結果は、1、2年生の勝ち。受験勉強による3ヶ月のブランクは予想以上に大きかったようだ。
親バカであるが、長男の球出しも、少しずつ板についてきたように思う。
試合終了後の、エール交換は、ちょっとホロっとするものがあった。
着替えた後、いよいよ式典である。
その前に、裁判所近くのオレンジのコンビニと、広域農道にあるホームセンターに行ってみたが、やはり無料月刊誌は置いてなかった。
残念。
さて、式典では司会の私。
昨年の様子から、私なりに式次第ごとの目安時刻を割出し、
また、卒業生の生徒の名前を間違えないように、全員の正しい呼び方を各方面から確認し、
あとは、前口上の練習などなど。
この一週間、着々と準備を重ねてきた。
それでも緊張する。
開き直ろうと必要以上にくだけて振舞ってみたり、進行表を見直したり、などと何とか気持を落ち着けようとするが、上手く行かない。
でも、バタバタするのは見苦しいので、できるだけ平静を装おとする見栄っ張りである。

司会席からの眺め。
遅刻者が居り、定刻の5分押しでスタート。
のっけから、前口上の言葉が真っ白になり、「え~、あ~」などと間を繋ぎつつ、何とか形に。
「なるべく時間内に終わらせるように」、との会長のオーダーを気にしつつ、しかし、実際の進行と私が立てた基準時刻とが徐々に離れてゆく。
しかし、自分での判断を極力排して会長からの指示には出来る限り沿おうと努力する。
何人目だったか、三年生を呼んだとき、普段一度も見た事の無かったお父さんが、司会席の前を通り過ぎる時、私の手元の紙を覗きこんでから過ぎて行った。
笑顔で見返しつつ内心は
「ヤバい!名前を間違えたか!」
と物凄く不安になったが、どうやら問題無かったようである。
紛らわしい!
進行してゆくうち、私も何とか軌道に乗って来たが、時間はどんどん押す。
そりゃあ、親も子も言いたい事は沢山あるだろう。
酔いが回って気が大きくなったか、「延長料金を払ってでも皆に喋ってもらおう!」、と会長さんからの指示が来る。
それでも、終盤になると、「やっぱり巻け」、と。「しかし、デザートやコーヒー紅茶も飲んでもらえ」、と。
どっちなんだ!?
帰りの運転があるのでシラフのままの私にとって、冷や汗ものの進行である。
因みに妻は、良いペースで飲んでいたらしい。
更に、「合間で食べろ」と皆さんは言ってくれるが、今回に限った事ではなく、司会って食事などとても食べられたものではなのです。
そこんとこ、判ってあげてください。
それでも、まあとにかく滞りなく式典は終わり、4時間に及ぶ私の戦いも終わった。
子供達や卒業生の保護者達にとって、良いしめくくりになってくれたら、この努力も報われるものである。
妻によると、皆からは概ね好評と伝え聞いたので、まあ妻に対して言うのだから世辞や遠慮もあるだろうが一応は良かったと思っておこう。
これで、前回のブログに書いた、誰かさんからの冷たい視線も少しは和らぐと良いのだが。
そのあと、
次男を迎えに行き、

長男の下宿に荷物を取りに行き、
何だかんだで飯田を出る時間が22時近くになってしまった。
勿論、全然休んでない。
広域農道のキラヤの向こうにある白いコンビニで食料を買いつつ無料月刊誌を探すが、置いてなかった。
残念。
結局、ミラクルさんの載っている無料月刊誌をゲットできないまま飯田を後にした。
後から思えば、ツタヤとか寄れば置いてあったのかな…(そんな余裕無かったけど)。
帰路は、ホント疲れが抜けず、しんどかった。
クルマの運転がこれほどしんどいと思った事は、この十年以上無かったと思う。
でも事故る訳には行かないので、とにかくヤバそうと思ったら各駅でもSA・PAに停まって休憩・仮眠。
結局、自宅に着いたのは2時近かったろうか。
3~4時間の睡眠で勤務という日々が続く事は飯田時代や神奈川時代にはしばしばあったことだが、年齢を重ねるとしんどくなってくる。当たり前だが。
折しも、北陸道で過労勤務によるバスドライバーが死亡事故を起こすニュースを観たが、我々一般人も過労状態での高速運転は避けねば、と思う次第。
この式典以上の大役は、今のところ任期中には無い筈なので、これ並の無理は掛けないよう、気を付けようと思います、はい。