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コンクリートロードのブログ一覧

2014年08月30日 イイね!

津久井湖北岸へ行ってきた。

津久井湖北岸へ行ってきた。全国的には夏休み最後の週末。
すっかり宿題の目処をつけた子供達は、妻、義母とともに横浜へ「えばんげりをん展」を観にでかけた。
私はあまり興味無かったので家で留守番することに。

天気予報では曇/雨的な感じだったが、見事に外れ薄陽がさす程の天気。
そんな訳で、当初は家で読書などして休養を、と思ったが、午前中ちょっとだけ出かけることにした。何だか先週と似たような展開…。

でもあまり遠くまで行くつもりは無かったので、今回は津久井湖北岸へ出かけることにした。
二十数年前を懐かしむ企画第二弾である。ここも最後に走ったのは1990年代初頭くらいであり、好んで走っていた時期は1986~88年頃、シビックに乗っていた頃である。

これまた当時を思い出しながら現地へ向けて走るのだが、意外なほど沿道の様子は変わってなかった。強いて言えば、城山ボウルというボーリング場がパチンコ&スロットに変わっていたくらいだろうか。

現地に着いて、一往復半走ってみる。
やはり、短い。昔も、ここは車両なり体調なりの様子を確認する目的で走る事が多かったので、短いのは承知しているのだが、それでもやっぱり短いと思った。
土曜日の午前中ということもあり歩行者や往来のクルマもチラホラみかけるので、要注意である。それに民家も増えたかもしれない。あるいは当時は夜に来る事が多かったので気に留めてなかったか?


湖岸にある公園。
来てみて思い出したのだが、長男がまだヨチヨチ歩きだった頃、妻と三人で来たことがあった。長女が生まれていたかどうか、その辺りの記憶が曖昧なのだが、この滝の周りで、偶然来ていた同年代の見ず知らずの男の子と長男がすっかり仲良くなって遊んだのを思い出した。


そのとき、初めて遊覧船に乗った覚えもある。
今はすっかりさびれて足こぎボートしか無いようだった。


先週の奥多摩湖と同様、津久井湖もダム湖である。
壁の上を走るのは国道413号。

などと懐かしみつつ過ごしていたのだが、今日はボーイスカウトの皆さんが何やら活動していたので、携帯カメラを構えたオジサンがうろうろしていると非常に怪しいため、そそくさと引き上げた。

写真は撮れなかったが、赤い橋も健在で、横に歩行者用の吊り橋が増設されていたのが新しかった。


このT字を右に行けば、これまた懐かしの道志である。
行こうか、と一瞬思ったが、今日は休養を優先にするため帰路についた。

道志を走るのは、またのお楽しみ。
Posted at 2014/08/30 12:03:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2014年08月25日 イイね!

人が操るものだから。

今朝のNHKニュースで、
八王子にある某私立大学のチームが、ソーラーカー・レースで優勝した。
という報道があった。キャンパスに中継が出ていて、出走した車両とチーム員を前に、アナウンサーが興奮気味に喋っていた。

曰く、「常識を覆す車両」であるという。
その目的は、将来的な実用化を見据えた開発にある、と。
特徴として
・ソーラーパネルは、通常は人工衛星用などの高価な物を使うのに対し、この車両では家庭用の安価なパネルを使っていること、
・車体レイアウトは、通常は空気抵抗を極限まで減らすため、キャビンを最小にしているが、その場合、重心が高くなりコーナリングが不安定になるとともに、ドライバーは寝そべるなどの大変窮屈な姿勢を強いられるという欠点があった。一方、この車両では敢えて車体は小さくせず、結果低重心となるとともにドラポジも自然な着座姿勢になっている。これも実用を踏まえての事だそうだ。
全面投影面積が増えてしまったのを取り返すため、車体はCd値を下げる形状を徹底的に探し続けたそうだ。

確かに、いくら車両自体の性能が優秀でも、それを操る人間様の環境が過酷では、レースには勝てない。高速走行を確実にこなすうえで、集中力の欠如は致命的である。

そんな着眼点に感心していたら、ある古い記事を思い出した。独身の頃に読んだ「カーマガジン」誌の記事だから、もう20年以上まえになる。

内容は、1970年前後でのヨーロッパの耐久レース・シーンで熾烈なライバル関係にあったフェラーリとポルシェのプロトタイプ・レーシングカーを博物館から引っ張り出し、現役レーサーのドライビングでサーキットを走らせて乗り比べよう、という物凄く贅沢で魅力的な記事だった。
車両は、たしかポルシェ917とフェラーリ512、松田コレクションの所蔵で舞台はFISCOだったと思うが定かではない。

二台を乗り比べたレーサーの感想でとても印象的だったのが、
スプリント・レースでの速さならフェラーリに分があるが、ポルシェはドラポジが自然でスイッチ類の配置も人間工学的でありエンジンのトルクバンドも広く、とにかく乗り易くて疲れにくい、ということ。
さすが耐久レースのマシンである。ドイツ人が真剣に向き合って導き出した結果なのであろうと感心した覚えがある。

ふりかえって現代では、衝突回避のためにクルマが勝手にフル・ブレーキしてくれたり、スピン回避のためにクルマが勝手にスロットル・コントロールしてくれたり、といった装備が採用され始めているが、それでも過労を圧して運転を続けた事が原因の重大事故は後を絶たない。
やはり、人間が運転するものだから、ドライバーのコンディションはとっても大事なのである。

つまるところ、安全なクルマとは、
心身ともにコンディションが整った運転者が安全に配慮して運転をするクルマ
なのだと思う。

間違っても、ハードウエアだけで完結するものではない。
Posted at 2014/08/25 22:37:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2014年08月24日 イイね!

ちょっと奥多摩まで。

ちょっと奥多摩まで。排気管の交換が完了し、ふたたび上品な音を取り戻したワゴンR。

日曜日の今日、仕事は休みだし、妻は都内に遊びに出かけており、子供達は夏休みの宿題の追い込みに大わらわな我が家。

先週、夏風邪によりダウンしていた憂さも晴らしたかったので、自分へのご褒美に、と一人でふらりと出かけることにした。


行き先は、かねてから行こうと思っていた奥多摩。
最後に行ったのは、記憶にある限りでは1994年2月の日曜日。もう20年も、奥多摩は走ってなかった事になる。
よく晴れた日曜日の午前中だし、観光のクルマが多いだろうから、道を思い出すくらいの気持ちで出かけよう、と家を出た。

案の定、五日市を過ぎて檜原街道に入ると、行楽のクルマで混雑している。
日頃あまり山道を走らないのだろう。とてもぎこちないのが後ろから見ていても良く解る(←なんという上から目線…)。
十里木を過ぎ、数馬を過ぎてもノロノロ。
それでも、ツーリングのバイクや、トレーニングの自転車などの集団も結構居る。
すれ違うクルマには、トライアンフTR5やら、SR311やら、ジネッタG4などの素敵なクルマたちも。

そんなこんなで奥多摩湖を目指していたのだが、

昔の有料区間の名残のゲートを過ぎ、

都民の森の入口を過ぎたら…、

前が開けた。前に居るのは速そうなバイクさん達のみ。

ここから、奥多摩湖までは、とっても楽しませて頂きました。

前を走るバイクがちょうど良いペースで走ってくれる。

後ろにも一台。時々エンブレの時に煙幕攻撃を浴びせてしまい、申し訳なかったです、はい。

白いポルシェちゃんが途中まで後ろにチラチラ見え隠れしていて、もし迫って来たら速攻で道を譲ろうと思っていたのだが、いつの間にか居なくなってしまった(一本道なんですけど)。

ただ、やっぱりサーキットと違い、エスケープゾーンは無く、旗振り員も居ない、更に対面通行なのでリスクは大きい。

往復しようかとも思ったが、吉野街道で帰った。

写真の駐車場。
昔は、輪留めも植え込みも無く、まっ平らのアスファルトだった。
ここで、先輩から借りたKPをオーバーヒートさせてしまったのは1986年の冬の事だったなぁ…。
懐かしい。

また、出かけよう。
目を吊り上げず、安全マージンを取った気持ちい良いペースで走らせるのが良い。
Posted at 2014/08/24 18:52:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2014年08月22日 イイね!

フロント~センターチューブ交換完了速報。

今日、ワゴンRの排気管修理、「日帰り入院」で完了した。

静かである。
アクセル全閉時に響く蝉の羽音のような音も、アイドル中の変な振動も、綺麗サッパリ消えて無くなった。

というか、これが本来の姿なのだが。
慣れというのは怖いものである。

この位の音量が良い。
修理前の状態では、知らず知らずのうちに心もすさみがちだったかも知れない、私の場合。

勤務が済んだら、そのまま奥多摩にでも走りに行きたい気分だったが、明日の仕事場は遠方であり出発も早いので大人しく帰った。
Posted at 2014/08/22 21:56:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2014年08月21日 イイね!

骨付き肉とリアエンジンなクルマ

もう1年以上前になるだろうか。

白い背広のオジサンがトレードマークの鶏肉ファーストフードチェーン店が、骨無しの肉を使って、骨付き肉と同じ製法の商品を売り出すことになった、というニュースを聞いた。
それまでも、ナゲットという骨無し商品があったが、味付けは伝統的な骨付きの商品より格下のものだった。

なぜ、その後、骨無しにもこの一軍スタメン的味付けを施すに至ったかと言えば、それは食べやすい商品を求める市場の声に押されて、というか声の圧力にきっと耐えられずに踏み切ったのだと思う。

独身の頃はよく食べていたが、所帯を持ってからというもの、年に一回、クリスマス時期にしか食べないので、こんな推測交じりの事を偉そうに書く資格は私には無いのだが、このニュースを聞いて、相似形としてドイツにある伝統的スポーツカー・メーカーの事がふと頭に浮かんだ。

このメーカーもまた、より運動性能に優れたミドシップレイアウトの車種があるのに、フラッグシップであるリアエンジン車よりも格下のエンジンを搭載している。
まあ、このメーカーのクルマは誰でも買えるクルマではないし、運動性能を限界近くまで引き出せるのは相当な腕の持ち主だから、先に述べた鶏肉屋さんのように宗旨替えをする事は無いかもしれない。

ただ、このメーカー、1976年頃にリアエンジン車の後継としてFRのクーペを投入したが不人気で後継となり得なかった。その辺りできっと首脳陣は腹を決めたのかもしれない。以来ずっとブレてないのは流石高級ブランドだと思う。

もっと言ってしまえば、このメーカーの創業者の父親が創業したメーカーでもリアエンジン車が超大ヒットしていた。基本設計が1930年代のクルマである。そして、1960年代に後継車として「タイプⅢ」という同じリアエンジンながらも、ちゃんとボンネットとトランクのある、オーソドックスな車体形状の製品を発表したが後継にはなり得なかった。
今の目で見ると、このタイプⅢも味のある素敵なデザインだと思うが、当時は普通過ぎたのかもしれない。

何でこんな事を書いているのかと言うと、
作り手の思いと市場の要求とは必ずしも一致しないが、情念のこもった製品には、杓子定規な性能の優劣などでは推し量れない魅力が内包されているのかもしれず、故に長きにわたり支持を得るのだろうな、と結論づけたかったからなのである。

…。

あ~、少し酔ったかな。

おやすみなさい。
Posted at 2014/08/21 23:07:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ | 日記

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「[整備] #クロスビー 前後モノコックバー取付 https://minkara.carview.co.jp/userid/555630/car/3676727/8297867/note.aspx
何シテル?   07/13 17:58
備忘録的な書き込みが多いです。 細く長くやってます。
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