三菱自動車のラリー活動の立役者であり、三菱ラリーアートの総監督をつとめられた
木全巌(きまた いわお)氏が病気のため、今月4日に逝去されたそうです。 71歳でした。
木全さんというと、三菱がWRCにフル参戦する前からラリー活動のために常に多忙の業務についていたイメージがあり、特にランサーエボリューションの投入後もラリー毎に頻繁にカラーリングが変わるマシンにご苦労の跡を偲ばれる場面がありました。
また、NHKがまだBSでWRCを放送していた頃はコメンテーターとして、度々登場し、明るく、闊達で
ハキハキした語り口と鋭い分析には強い印象があります。
60年代から続いた三菱のラリー活動に携われた中で、特に1995年は大きな転機でした。ご存知、トミ・マキネンとの契約、WRCのシーンを変えた三菱独自の革命的なアクティブ・デフの投入、そして、日本の岡崎とイギリス、ラグビーのラリー・アート・ヨーロッパ(通称:RAE)とのコラボレーションがようやく軌道に乗って、結果、
ランエボのWRC初優勝、
マキネンのドライバーズ・タイトル4連覇、
念願のマニュファクチャラーズタイトル(1998)を
総監督時代にもたらし、三菱を離れられた後も、JAFラリー部会長としてラリーのために尽力するなど活躍されていましたが、木全さん曰く、三菱時代に後進を上手く育てられなかったのが心残りだったそうで、まさしく、WRカー時代にイギリス中心に回っていたMMSPの開発をグループAの頃のように岡崎が中心となってやっていた矢先のWRC撤退だったので、あの頃はフルロックで走っていたという爆弾を抱えていたまでもランサーWRC05はシャシーのセットが決まりだしたときで、事実、開発現場は若いエンジニアさんたちが活躍されていただけに三菱ファンならずとも惜しまれました。
5年前に逝去したトヨタのオベ・アンダーソンとともに、また一人、WRCを盛り上げた名匠を失ったことに大変に残念な想いで一杯です。
故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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Posted at
2013/07/08 22:00:51