
戦艦武蔵発見のニュースを見て、久々に猪口艦長の遺書を読み返してみました。この一文は武蔵沈没の際に、猪口艦長から退艦する副長に渡された手帳に記載されていた物です。戦艦武蔵は昭和19年10月24日、レイテ沖海戦の際、アメリカ海軍機動部隊艦載機の集中攻撃により撃沈されました。
十月二十四日
『 予期の如く敵機の接触を受く。之より先南西方面艦隊より二十四日早朝ルソン地区空襲の予報ありたるをもって、〇五三〇起こしにて配置に就き充分の構へをなせり。遂に不徳の為、海軍はもとより全国民に絶大の期待をかけられたる本艦を失ふこと誠に申訳なし。唯本海戦に於て他の諸艦に被害ほとんどなかりし事は誠にうれしく、何となく被害担任艦となり得たる感ありて、この点幾分慰めとなる。
本海戦に於て申訳なきは対空射撃の威力を充分発揮し得ざりし事にして之は各艦共下手の如く感ぜられ自責の念に堪へず。どうも乱射がひどすぎるから反って目標を失する不利大である。遠距離よりの射撃竝に追打ちが多い。被害大なるとどうしてもやかましくなる事は致し方ないかも知れないが、之も不徳の致す処にて慚愧に堪へず。
大口径砲が最初に其の主方位盤を使用不能にされた事は大打撃なりき。主方位盤はどうも僅かの衝撃にて故障になり易いことは今後の建造に注意を要する点なり。敵航空魚雷はあまり威力大でないが、敵機は必中射点で、然も高々度にて発射す。初め之を低空爆撃と思ひたりしも、之が雷撃機なりき。本日の致命傷は魚雷命中〔五本(確実)以上七本の見込み〕にありたり。一旦回頭してゐると仲々艦が自由にならぬことは申す迄もなし。それでも五回以上は回避したり。回避したといふのも先づ自然に回避されたといふのが実際であると思ふ。
機銃はも少し威力を大にせねばならぬと思う。命中したものがあったに不拘、なかなかおちざりき。敵の攻撃はなかなかねばり強かりし。具合がわるければ対勢がよくなる迄待つもの相当多し。但し早目に攻撃するものもあり。艦が運動不自由となればおちついて攻撃して来る様に思はれたり。
最後迄頑張り通すつもりなるも今の処駄目らしい。一八五五暗いので思った事を書きたいが意にまかせず。最悪の場合の処置として御真影を奉遷すること、軍艦旗を卸すこと、乗員を退去せしめること。之は我兵力を維持したき為、生存者は退艦せしめる事に初めから念願、悪い処は全部小官が責任を負ふべきものなることは当然であり、誠に相済まず。
我、斃るるも必勝の信念に何等損する処なし。我国は必ず永遠に栄え行くべき国なり。皆様が大いに奮闘して下さい。最後の戦捷をあげらるる事を確信す。本日も相当多数の戦死者を出しあり。これ等の英霊を慰めてやりたし。
本艦の損失は極大なるも、之が為に敵撃滅戦に些少でも消極的になる事はないかと気にならぬでもなし。今迄の御恩顧に対しては心から御礼申す。私ほど恵まれた者はないと平素より常に感謝に満ち満ちゐたり。
初めは相当ざわつきたるも夜に入りて皆静かになり、仕事もよくはこび出した。今機械室より総員士気旺盛を報告し来れり。一九〇五』
写真は復元された同型艦の大和ですが、武蔵を活躍させる事無く喪失することに対して、日本海軍の砲術の権威でもあった猪口艦長の無念が見て取れる遺書です。
これは実際の武蔵を捉えた最後の写真ですが、艦首が沈下し、艦首甲板が波に洗われる状態となっていても、排煙から機関が健在であったことが解ります。沈没時に大爆発を起こした大和と異なり、武蔵の乗組員の半数は助かっています。
昔、日本のTV番組が武蔵調査の特番を放送した事がありましたが、その時は発見に至りませんでした。今回武蔵を発見したのが、アメリカ人であったのが、いささか残念ではありますが、猪口敏平艦長以下1,023名の戦死者のご冥福を改めてお祈りします。
Posted at 2015/03/06 00:37:19 | |
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