
去年の4月に、フェリーありあけのおすすめスポットのアクセスが急に増えて、驚いたというお話を載せましたが。
その時の2014年4月19日付ブログ「フェリー転覆と友鶴事件」のアクセスが先週急に増えました。
去年は韓国、今年は中国と、2年続けて海外で転覆したフェリーの影響で、コウカプの掲示板やブログのアクセスが増えるのは不思議な気がします。
ちなみに、海難事故で多数の犠牲者を出した事件はタイタニックや洞爺丸が有名ですが、戦没艦船も含めれば、一隻当たりの犠牲者が最も多かったのは、第二次世界大戦末期の東プロイセンから避難民をドイツ本土に脱出させていた時、ソ連海軍潜水艦の魚雷攻撃によって沈んだウィルヘルム・グストロフ号です。
ドイツ海軍は大戦末期、東プロイセンにとり残されたドイツ国民をドイツ本土へ脱出させるため、残存艦船の全力を挙げて、脱出作戦を実施していました。
この作戦は「ハンニバル作戦」と言われています。ソビエト軍に捕まれば、男はシベリア送り、女は暴行というのはドイツ人は良く理解していました。
1945年1月21日、1万人以上の避難民を乗せたウィルヘルム・グストロフ号はソビエト海軍潜水艦S13の魚雷攻撃により撃沈。真冬のバルト海では、海に投げ出された人の長時間の生存はかなうべくもなく、犠牲者は9,343名にも上りました。犠牲者の大半は女性・子供の一般市民でした。タイタニックの犠牲者1500名のおよそ6倍以上です。ソ連海軍潜水艦S13は、2月10日には、おなじく避難民輸送をしていた客船シュトイベンも沈め、犠牲者は4,500人に上りました。ソビエト海軍潜水艦S13が、一隻の軍艦で1万人を超える敵国人を地獄に送ったのは、おそらく世界記録でしょう。さすがにソビエト海軍も、攻撃目標として適切であったかどうか、疑問に思ったらしく、S13の艦長にはソ連邦英雄の称号を与える事無く、予備役に編入させています。
ウィルヘルム・グストロフ号の悲劇は日本で言えば対馬丸事件に近いですが、ウィルヘルム・グストロフ号の犠牲者は対馬丸の7倍に上りました。日本では対馬丸の悲劇は良く知られていますが、ウィルヘルム・グストロフ号の悲劇を知る人は少ないと思います。世間一般的には知られていないエピソードを掘り起こすことは、歴史探求の意義であると、コウカプは思います。
Posted at 2015/06/09 23:51:50 | |
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