
いよいよラストです。
7時間くらいの滞在だったんですが、びっしり内容の濃いものになりました。
今回のプランはこちらの時間の都合だけ伝えて、すたさんにお任せしてたんですが、おもしろくて理解の深まる充実したものとなりました。仮にひとりで訪れてたら、こうはならなかったでしょう。
甲冑から着替え、3台で連なって関ヶ原をクルマで移動します。
これは関ヶ原歴史民俗資料館の自転車置き場に絵を描いたものなんです。
誰が誰かわかりますか?右が東軍の武将、左が西軍の武将です。
僕は6人中4人わかりましたよ。
当時の武将を描いた姿というと、特に昨今のゲームなんかではホストづらしたヤサ男だったりして「そんなわけねーだろ!」「フリーダム過ぎんだよ!」と辟易させられるんですが、これはかなり忠実に再現しているとのことです。
ここで以前から気になってたんですが、武将ってこんなにド派手な格好してたの?というところ。
シロウト考えでは当時の主力武器は鉄砲ですし、標的になってしまいそうな気がします。
また実戦上、ここまでの装飾を必要とするのかというのが疑問でした。
で、実際はというと当時の武将はこういう格好をしていたそうです。
なぜかというと、敵味方を威圧する必要があったんですね。味方も、というのがミソで、大将が立派な格好をしてないと部下が言うこと聞かなかったりしたようで、これには「あー、なるほど」と妙に納得してしまいました。
首塚です。東西に2ヵ所あり、これは東首塚です。
関ケ原合戦では東軍、西軍合わせて3万人以上の戦死者が出ました。
首と胴が離れた遺体を巨大な穴を掘って埋めたんですね。
画像の大きな木、根っこが剥き出てると思いませんか?400年の歳月のうちに、土がめくれていったんです。なのでこのへんを掘ると、当時の戦死者の骨がゴロゴロと出てくる…はずです。
島左近、明石全登、可児才蔵らの武勇伝には心躍りますが、いっぽうで大変な数の兵士が亡くなっているという現実もあります。
さて夕暮れどきになり、宿の前まで送ってもらいお別れです。
非常に有意義な一日でした。
これはすたさん、まつり屋さぶりさんはじめ、現地の人が関ヶ原を盛り上げようというという雰囲気をひしひしと感じたというのも大きいです。
そういう一種の町興しとしての一体感や活気を感じることができました。
僕は首都圏に住んでますが、首都圏の観光スポットってのは、ちょっと表現が難しいんですが、良くも悪くも一種冷めた、というかクールな雰囲気があることが多いんですよ。
一方、地方の町興しといっても、現実、けっこうあざといというか軽薄なものも多いのが事実です。
関ヶ原ではひとことで言うと難しいんですが、温かさの中に、一種の知性?真剣な工夫?みたいなものが感じ取れまして、それが心地よかったんでしょうね。
いつになるのかわかりませんが、また来たい、と思える場所でした。
Posted at 2015/09/23 12:47:04 | |
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