
その昔、姫路城の天守四重より上は怪異の住み処となっていて、人は恐れて三重までしか近寄れず、人と怪異で天守が自然と棲み分けられていた、そういう頃のお話です。
怪異の主はうら若い奥方と、それを取り巻く腰元たち。
スピンオフってんですかね、
夜叉ヶ池の白雪姫も出てきます。いや、こういうのスピンオフとは言わないか。まぁいいや、松本零士的に言うと999にハーロックが出てくる、アレです。
誰も恐れて近寄らない天守の上層にあるとき、ひとりの鷹匠が入り込んでくる。
奥方が訝しがって聞けば、殿様の大事にする鷹を天守の上に逃がしてしまい、見つからなければ切腹となるため、禁を破り上まで上ってきたと。
奥方、「くだらない。鷹を天守のほうに飛ばせたのは殿様の命令で、おまえのせいじゃないだろう。それに鷹には鷹の世界があって、おまえたちの持ち物ではないわ。殿様にはそういってお帰り」と、鷹匠を帰そうとするんですが、そうもいかず、「この兜持っていきゃ許してくれるだろ」と失われた家宝の兜を渡して、帰します。
…しばし後、城下で騒ぎ。兜の盗人の嫌疑をかけられた鷹匠が再び天守を上ってきます。そして「禁を承知で再び来ました。あなたに殺されるならかまわない。しかしあらぬ嫌疑でむざむざ人に殺されるのは悔しくてしょうがない」と奥方に訴えます。
奥方、「もう来るなと言ったでしょう?だいたいおまえが来るもんだから、他のヤツらまで恐がらずにこっちに上ってきちゃうじゃないか」
武者どもが鷹匠を追いかけ、禁を破って天守の上に上ってきます…。
泉鏡花ってのは人間に対する深いあきらめがあって、それは憎しみとか悲しみとか憐れみとかじゃなくて、もっとどうしようもなく突き放したものなんですよ。
一方で、先日山手の神奈川近代文学館の
泉鏡花展に行ったときに知ったんですが、彼自身、彼の作品の怪異の世界というのは、けっこう本気で信じていたようです。
で、主人公というのは結局、人間と怪異との境界上に足を踏み入れ、
夜叉ヶ池でいうと、百合さんと晃さんのように、えてして死して人間の世界を捨て、怪異となることで救済されるという。
しかし泉鏡花の世界の怪異の姿というのは”more human than human”といいますか、裏返せば詰まるところ人間の倫理の姿を映す鏡であるような気がします。
デビルマンとか寄生獣とかメガテンとか、まぁそんな感じ。
Posted at 2013/11/24 21:40:02 | |
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