
小倉からウチの母親が父方の祖母の墓参りに来たので、羽田から府中の叔父の家まで送迎に行きました。
ウチの父親ははっきり言ってどうしようもないやつで、たまに帰省すると「父さん…酸素欠乏症にかかってしまって…」と言うアムロの心境がすごくよくわかるんですが、母親のほうはべつに親子というのを抜きにしても、やはりたいした人物だと思うのです。
具体的に言うのもなんですが、親父が甘い見通しの個人事業で失敗した数千万の借金を、「あんたたちが帰る家がなくなってしまうから」という理由で、40過ぎから働きに出て完済したんですが、フツーに考えるとそうそうできる話ではないと思います。
こう書くと九州の肝っ玉かあさんみたいですが、もともとはお嬢様育ちなので、ずいぶんのんきな性格をしてます。で、40過ぎまで専業主婦で一切働いたことがないのに、数千万の借金を返したことにも、あたりまえのことをしたというか、特段なんとも思ってないようです。
そんなわけなので父親のほうはちょっとアレですが、母親は親戚一同、一目置かれているのです。
母親といえば、4、5年前に僕の当時の会社がリーマンショックでポシャってしばらく実家で生活してた時期があるんですが、そのときは母親がまだ働いていたので、特に手料理を食べるということもなく。
ただ、同じものでも母親じゃないと作れない料理というのがあるわけで、もう一度食べたいというものがあります。今回はなんとなく言いそびれてしまいましたが…。
一つはコロッケ。単なるコロッケなんですけどね。よそで同じもの食えないんですよ。かなり大きくて中がざっくりしてる。あと、どんど焼きというのがあったんですが、今で言うチヂミに近いのがありました。お好み焼きはお好み焼きでべつにあったのでそれとは違うんですが、それ状のものにただニラが入ってモチモチしてるおやつ的なものです。それからホワイトソースという、クリームシチューに近いんですが、もっと濃厚な味のする謎の食べ物がありました。
母親ももう退職してのんびりしてるので、帰省したときにでも作ってもらおう。
一方、府中の叔父の家では、こちらが時間がなくあいさつ程度しかしてないんですが、以前の記事・
オレんちの系譜で、家系がかなり誇張されててわけわからなくなっていることに、叔父が70過ぎて不安になったらしく、わざわざ熊本に行って調べてきたようです。
で、話を聞くと、やっぱりわけわからん。見栄で誇張されてるというよりも、単純に複雑で理解しづらい。わかりやすく尾ひれがつくのもしかたなかったのかも…。兄弟で苗字が違ったりするし、養子に行ってるのに元の姓に戻したりしてるし…。
ルーツをたどると、熊本の玉名近辺の菊池川を挟んで戦国時代、島津・龍造寺・大友がたびたび進出・衝突し、そのときに土着したのではないかということでしたが…正直ちょっとよくわからない話でもあります。
ただ、熊本の玉名で叔父が手に入れた、祖父が生まれたばかりで一族が集まってる写真は、皆なかなか立派な顔をしておりました。
Posted at 2013/04/28 07:31:36 | |
トラックバック(0) |
その他 | 日記