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◇画太郎◇のブログ一覧

2015年09月23日 イイね!

関ヶ原遠征④~首塚

関ヶ原遠征④~首塚いよいよラストです。
7時間くらいの滞在だったんですが、びっしり内容の濃いものになりました。
今回のプランはこちらの時間の都合だけ伝えて、すたさんにお任せしてたんですが、おもしろくて理解の深まる充実したものとなりました。仮にひとりで訪れてたら、こうはならなかったでしょう。
甲冑から着替え、3台で連なって関ヶ原をクルマで移動します。



これは関ヶ原歴史民俗資料館の自転車置き場に絵を描いたものなんです。
誰が誰かわかりますか?右が東軍の武将、左が西軍の武将です。
僕は6人中4人わかりましたよ。
当時の武将を描いた姿というと、特に昨今のゲームなんかではホストづらしたヤサ男だったりして「そんなわけねーだろ!」「フリーダム過ぎんだよ!」と辟易させられるんですが、これはかなり忠実に再現しているとのことです。
ここで以前から気になってたんですが、武将ってこんなにド派手な格好してたの?というところ。
シロウト考えでは当時の主力武器は鉄砲ですし、標的になってしまいそうな気がします。
また実戦上、ここまでの装飾を必要とするのかというのが疑問でした。
で、実際はというと当時の武将はこういう格好をしていたそうです。
なぜかというと、敵味方を威圧する必要があったんですね。味方も、というのがミソで、大将が立派な格好をしてないと部下が言うこと聞かなかったりしたようで、これには「あー、なるほど」と妙に納得してしまいました。



首塚です。東西に2ヵ所あり、これは東首塚です。
関ケ原合戦では東軍、西軍合わせて3万人以上の戦死者が出ました。
首と胴が離れた遺体を巨大な穴を掘って埋めたんですね。
画像の大きな木、根っこが剥き出てると思いませんか?400年の歳月のうちに、土がめくれていったんです。なのでこのへんを掘ると、当時の戦死者の骨がゴロゴロと出てくる…はずです。
島左近、明石全登、可児才蔵らの武勇伝には心躍りますが、いっぽうで大変な数の兵士が亡くなっているという現実もあります。



さて夕暮れどきになり、宿の前まで送ってもらいお別れです。
非常に有意義な一日でした。
これはすたさん、まつり屋さぶりさんはじめ、現地の人が関ヶ原を盛り上げようというという雰囲気をひしひしと感じたというのも大きいです。
そういう一種の町興しとしての一体感や活気を感じることができました。
僕は首都圏に住んでますが、首都圏の観光スポットってのは、ちょっと表現が難しいんですが、良くも悪くも一種冷めた、というかクールな雰囲気があることが多いんですよ。
一方、地方の町興しといっても、現実、けっこうあざといというか軽薄なものも多いのが事実です。
関ヶ原ではひとことで言うと難しいんですが、温かさの中に、一種の知性?真剣な工夫?みたいなものが感じ取れまして、それが心地よかったんでしょうね。
いつになるのかわかりませんが、また来たい、と思える場所でした。
Posted at 2015/09/23 12:47:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2015年09月22日 イイね!

関ヶ原遠征③~戦闘の実際

関ヶ原遠征③~戦闘の実際さてさて昼食を終えて最初の笹尾山に戻ると、さらにスゴイ人出で駐車場が埋まり賑わっています。
日本全国の子供から年配の方、男性・女性、さまざまです。
ここで、ランチア・デルタに乗るまつり屋さぶりさんと合流。
ガレージ保管の極上のランチア・デルタです。
しかしあとで3台並んで走ったんですが、なんのファンが回ってるんだかスゴイ音がしてビビります。
3人揃ったところで甲冑に着替えます。
レンタルで¥2000、着付けもやってもらえます。
本物の甲冑は40kgほどあるらしいですが、簡易版でそこまでは重くないです。が、しかし暑い。



これは何をやってるかというと、鉄砲を撃つ真似をしています。
関ケ原合戦の主力武器は鉄砲。もう8割がた鉄砲です。
当時世界の3分の2の鉄砲が日本にあったそうです。



で、接近戦でようやく槍を使います。
使ってるのは長さが短いんですが、実際は3mほどの長さがありました。
コレで突くのかというと違って、バシバシ叩きます。
そして相手が気絶したところを、このようにブッスリと…。
槍よりもさらに近い間合いに入られれば刀。
弓矢は使わないのかというと、当時雨が降ると鉄砲は使えなかったので、そういうときに使います。

こうして書くと甲冑を着てマジメに探究してるふうですが、実際はけっこうふざけ半分でやってます。
ただ僕の場合、根がマジメなのか照れてしまい、あまりいい画が撮れず。
ちなみに小学校高学年くらいの子供から「同じ東軍の黒田と井伊が戦ってるのはおかしい!」とツッコミが入りました。
大人は生暖かく見守ってくれますが、子供は思ってることがすぐに口に出るのでアレです。というかこういうやたら詳しい小学生はザラのようです。



ちょっとこれはこのときの自分が何をしたかったのかわかりませんが、シュール過ぎてコンセプトがわからないです。
ロドスタに腰かけて、あとで見るとキズがついてました。線キズなので消えません。
着てる甲冑で擦ったんでしょうけどホントにバカですね。
後悔先に立たずと申します。

④に続きます。
いよいよラストです。
Posted at 2015/09/22 14:28:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2015年09月22日 イイね!

関ヶ原遠征②~大谷吉継陣跡

関ヶ原遠征②~大谷吉継陣跡さて、すたさんのガイドもひと段落し、笹尾山からロードスター2台で最激戦地、大谷吉継陣跡を目指します。
付近で東軍・井伊直政、福島正則と西軍・宇喜多秀家が正面衝突し、戦闘が開始されました。
大谷吉継隊は当初、藤堂、京極隊と交戦します。
思ったよりも狭い関ヶ原とはいえ、クルマじゃないとちょっと厳しいです。
実際クルマで回ってみると、笹尾山から展望したときとはまた違って距離感が把握できました。
またもや受け売りですので、以下の記述には僕の勘違いがあるかもしれません。



ここが大谷吉継の部隊の最前線、麓の道路のあたりで盟友・平塚為広が戦闘しています。
その奥の山に小早川秀秋の大部隊が陣取っていたんですが、急遽寝返って山を下り、平塚、大谷隊に突撃を開始します。
それと同時に大谷吉継の部下に近い立場の脇坂、赤座、朽木、小川が寝返って大谷隊の攻撃を開始、大変な状態になります。
大谷吉継は小早川秀秋が向かいの山頂に陣取った時点で、怪しいとにらみ土塁を築いたりしてるんですが(この土塁は現在も残っています)、四隊の寝返りは想定していませんでした。これは家康も内応工作をしてなかったんですが、戦況判断で有利なほうに寝返ったということでしょう。
大谷隊はこの場所から三度、小早川隊を撃退します。これは大谷隊が精鋭ということもありますが、向かいの山から大谷隊の陣には神社参拝の一本道が通っており、いかな大軍といえどもその一本道を通ってくるため、撃退できたのです。

とはいえ、時間が経てば大軍の前に包囲され、絶望的状況に追い込まれます。
大谷吉継は平塚為広と「来世で会おう」という趣旨の辞世の句を取り交わし、自害します。
当時の仏教観について、すたさんにも訊ねたんですが、当時は来世について「当然ある、という認識だったでしょうね」ということです。来世があると思うからこそ、ここまで勇敢に戦い、義にもとらない最期をとれたんじゃないでしょうか。これは一度きりの人生として現代に生きる自分でも考えさせられる部分です。



ここが大谷吉継が自害したあたり。
あたり、というのはお墓がありますが、だいたいこの辺だろう、ということしかわからなかったためです。
大谷吉継はらい病を患い、関ケ原合戦時にはもうほとんど目が見えなくなってたんですが、優秀な側近たちが大谷の指示を部隊に伝えていました。
その側近の一人、湯浅五助が大谷の「私の姿は醜いから、絶対敵に見つからないように埋めてくれ」という遺言を受け、大谷の遺体を埋めますが、その最中に藤堂高虎(?、違うかもしれない。違ってた場合、あとで訂正します)に発見されてしまいます。
湯浅は藤堂に「自分の首をやるから、絶対に主君の首を家康に持っていかないでくれ」と頼みます。
藤堂は約束を守り、湯浅の首級だけを家康のもとに持っていきます。家康が不自然なので問いただしたところ、藤堂は正直に家康に「湯浅との約束なので教えることができない」と答えます。家康はそれ以上追及しませんでした。
だから、大谷吉継の墓はだいたいの場所に建てられてます。そして、湯浅五助の墓も後に隣に建てられました。



さあこれで午前中が終わり昼食へ。
このあたりは経済的に名古屋圏に属するんでしょうか、以前名古屋に来たときと同じようなメニューです。
ところで今回の関ヶ原訪問に当たり、実は直前までゴルフとロードスター、どちらで行くか迷ってました。
自宅の神奈川から関ヶ原までは350km程度あります。長距離高速巡航、また渋滞時を考えれば圧倒的にゴルフがラク。
しかし現地ではやはりロードスターをオープンで走らせたいと思い、ロードスターを選択。
こういう田舎道にロードスターはほんとうによく似合いますし、運転してて気持ちいい。
ただ、今回渋滞を避けるために深夜の高速をハイスピードで巡航したんですが、このくらいの距離になってくるとやはり移動だけを考えれば、圧倒的にゴルフが優れていて、正直道中は後悔していました。
このへんは思うところがあるのですが、趣旨が逸れるのでまたの機会に別のブログで。

③に続きます。
Posted at 2015/09/22 10:39:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2015年09月22日 イイね!

関ヶ原遠征①~笹尾山

関ヶ原遠征①~笹尾山だいぶ以前から関ヶ原を訪れてみたいと思ってまして、そもそも遡ると学生時代、青春18きっぷで帰省した際にJR関ヶ原駅というのを通りまして、「現在でもこんな場所あるんだ」というのがきっかけだったかと思います。そのときのは「一応地名としては残ってるけど、実際はなにもないとこなんだろうな」というイメージでした。
一昨年・名古屋、犬山、去年・飛騨高山と気になりつつ近くまでは来てたのですが、今回ようやく初めて訪れることができました。



みん友のすたさんと午前中に石田三成の陣地があった笹尾山で合流。
すたさんは関ヶ原在住で休日に甲冑を着てガイドをされてます。
いざ来てみると、シルバーウイークということもあって、午前中からかなりの人で賑わっています。
日本全国から歴史マニアが訪れるそうで、北海道から九州までのクルマのナンバーを見かけました。
笹尾山頂上のパネル横ですたさんが甲冑を着てガイドをされてますが、現地には他にもたくさんのガイドさんがいます。ものすごく詳しいし話し方も上手なので、現地に行かれた際は話しかけてみると、かなり充実した時間が過ごせると思います。
ちなみにパネルの布陣図の赤が東軍、青が西軍のうち実際に戦闘した部隊、オレンジが西軍のうち裏切った部隊、白が西軍のうち傍観してた部隊です。



ここからはすたさんの受け売りですが、自分はそれほど歴史に詳しくないので勘違いもあるかもしれません。
さて笹尾山から関ヶ原全景を見てみます。画像では切れてしまいましたが、写ってない右側に小早川秀秋、大友吉継らの陣地があります。
実際眺めてみると思ったより狭いんですよ。この中で東軍・西軍合わせて15万以上の軍勢がぎっしりひしめき合って戦いました。

それから布陣図を見ても気づくんですが、自分のようにシミュレーションゲーム程度の知識しかなくてもパッと気づくことは、西軍は山頂に陣取り、囲むように布陣、その中に東軍全部が突っ込んで行っています。
山頂に陣取り、鶴翼の陣、明らかに西軍有利に見えます。
実際は戦闘開始後しばらくして小早川秀秋が寝がえり、吉川広家が傍観を決め込んだために毛利輝元が動けず、東軍の圧勝に終わりました。
ただ、小早川・吉川が家康の根回し通りに動く保証はなく、実際は様子見をしてから有利なほうに加勢する可能性もあったので、家康としてはかなりイチかバチかという面もあったんですよ。
小早川・吉川はどちらを支持するというよりも毛利家存続が最重要だったんでしょうね。
なぜこんなイチかバチかの勝負で突っ込んできたのかというと、もたもたしてると豊臣秀頼が小早川秀秋の陣地に来てしまう可能性があったんですね。すくなくとも石田三成は秀頼を呼ぶ気満々で小早川陣地付近の道の整備までしているので、秀頼が西軍側で到着してしまうと、家康も手を出せなくなってしまいます。

で、話戻ってなぜ関ヶ原の戦いが起きたのかというと、豊臣秀吉死後、実権を握りたかった家康が、上杉を攻めるふりをして大軍を動かし、石田三成はじめ家康反対派をおびき寄せ、一掃する狙いがありました。西軍が挙兵すると、上杉攻めから取って返したわけで、流動的な中で結果的に関ヶ原がその舞台になったようです。

どうですか?ムチャクチャおもしろいでしょ?え?おもしろくない?
まだまだこれから関ヶ原各地を移動し、④まで続きますよ。
Posted at 2015/09/22 06:46:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2015年09月20日 イイね!

成田山新勝寺

成田山新勝寺成田空港に送迎で駆り出され。
ちなみにオレのパスポートはとっくに切れてます。
で、せっかくなので成田山新勝寺へ。
鰻が美味いんですが、軒並み「こんな高かったっけ?」とビビって手を出さず。
だいたいどこもペヤングの焼きそばが15~20コ買える値段です。
だったら迷わずペヤング買います。

たいして調べてないので間違ってるかもしれないんですが、成田山新勝寺は真言宗総本山の一つ。
もともとは平将門討伐のときにできたはず。
不動明王を祀ります。
それから寂れに寂れ数百年。
江戸時代に再び隆盛を始めました。
子供のない歌舞伎役者が参詣したら子宝に恵まれたとか、アタマの悪い○○が参詣したら不動明王の剣を呑まされ、アタマが良くなったとか、そういう噂が広まったのがきっかけで、ようするに現世利益ですね。

来世のために欲を取り去り行いを正すのがもともとの仏教の信仰ですが、というかキリスト教も信仰者が死後、天に召されるから現世に執着しないという面があると思うんですが、そんなあるのかないのかわからない先のことより、目先のご利益にあやかりたいと、参拝者が次から次へと、みんな行くならオレもいくべ、と一種の流行へ。
世界的に宗教が現世利益を謳う、または次第にその性格を持ってくることは多いとはいえ、結局現世利益も行き過ぎるとただの煩悩であって、新興宗教やカルト宗教のたいていは煩悩の極みじゃないのかという気がしますが、でもまぁ日本的だねー、そういうの嫌いじゃないねー、とも思います。
Posted at 2015/09/20 01:08:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域

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