
十五の政夫と二つ年上の従姉民子との間に芽ばえた幼い清純な恋は、世間体を気にする大人たちのために隔てられ、少年は町の中学に行き、少女は心ならずも他に嫁して間もなく病死してしまう。(―新潮文庫裏表紙の作品紹介より抜粋)
松戸らへんが舞台ですが、当時はそのあたりの高台から武蔵一円が見渡せたんですよね。
秩父から足柄箱根の山々、富士の高峯、東京の上野の森も見えるとあります。
そんな感じなので、今のコンクリート建造物だらけの関東の風景とは全然違う田園風景の中で暮らす人たちなんですが、世間体を気にしてふたりが隔てられるって、それはまあ確かにそうなんですが、人間性の優しい人たちしか出てこないんですよね。
で、少女が死んでしまうと本当に気の毒なことをしたと後悔する。
創作なので杓子定規には受けとれないですが、この作品の原風景だろうという出来事を後に伊藤左千夫が発表していて、やはり国民性として昔から他人を慮る優しい人が多かったんだろうな、とは思います。
で最近の人たちはどうなんだっていうと、自分が外で人と接してる感覚からすると、やっぱりたいていの人は優しいですよ。
たいていというか、ほとんどといってもいいかもしれない。
冷静に客観的に見てると、こいつうぜぇな、とかマジやべー、って人は10人に1人もいない。
ただ昔にくらべると他人に無関心、これは敢えてそうしてる節があるようにも見えるんですけど、そういう人が増えたなってのがあって、それはまぁべつにかまわないと思うんですが、ネット上のコミュニティがすげーギスギスし始めてんな、ってのは感じます。
これらは私もわりと世間一般というかフツーの生活をしてる以上、自分にも当てはまるんですが。
有名人にしろ無名人にしろ落ち度を見ると、ネット上で完膚なきまでというか再起不能になるまで痛めつけるもんね。
これ一部のネットユーザーとかじゃなくて、やっぱりみんなでワーッと群がっていっちゃってるんですよ。
繰り返しますけど、私がそれやらないかっていうと、絶対やらないなんてこと全然ないですから。
そういう少しずつ変わってきた世相考えると、かつて価値観が古臭いとか能天気みたいに思われてた『野菊の墓』なんか、他人へのいたわりとか慮りとか薄れつつある今、読んでみる価値けっこうあるかなーという気がします。
Posted at 2020/08/14 22:15:55 | |
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