2010年11月23日
いま、あえて言おう・・・美しい国
保守系論壇の皆さん、マクロ経済と安全保障問題ネタはもう少し待っててください。
ちょっと業務多忙で脳味噌働かせる気力がないのです。
なので、ちょっと↓でお茶を濁させていただきます。
【仙谷法務大臣のほうが問題だ】
さて・・・また亡国四天王がやってくれてますね。というか、どいつもこいつも同レベルに友愛大好きなので、もう何と言っていいか、よいネーミングが出てこないよ。
で、柳田の後任は、仙谷が兼務・・・!?
・・・な、な、な、なんじゃそりゃぁ~~~~!!!!!!
柳田「私なりに頑張ってきたし、これからも頑張っていきたいという思いはあった」・・・これだけ問題まき散らして、よくものうのうと言えたものだ。
だけど・・・
コイツ↓のほうがもっと問題。
仙谷「自衛隊は暴力装置・・・」・・・まあ、政治学囓ったことある人間だと、暴力装置という言葉遣いは否定しきれるものではないのだが、だからと言って、オマエ、オマエが度々口にしている“言論規制”、“メディア規制”、“政治の文革”発言、“将来に傷”発言、のほうが、法相としてはもっと向いてないんだぞ!まったく、弁護士資格持ってる癖に・・・憲法の一般解釈すら知らないのだから。
コイツの独裁政権化が加速してるじゃないか!!!
更迭で悪化する閣僚構成なんて聞いたことないぞ!
・・・あ・・・まあ、よく考えてみれば・・・人材がもともとアレばっかだから、仕方ないのか・・・自民のときも酷かったしな。
というか、この期に及んで“少しでもまともな人材を”と心のどこかで思ってしまった自分にも嫌悪した。
鏡に映る自分に向かって、心の中で言いましたよ、僕は。
“オマエ、大丈夫か?民主の主流派にまともな人材いると思ってんのか?”
自分で自分に頭下げました。
“大変遺憾な思考をしてしまいました。以後このようなことの無いようしっかりやっていきたいと思います”
で・・・今回の辞任騒ぎですが。
マスコミでは、法相は“死刑執行命令書に署名捺印”するという立場の重きをリンクさせて騒いでますが、これも柳田の法相適性に欠く一要素として重要ではあるのですが・・・
一方で、一時的であっても仙谷に法相やらせることの危険性についても、もっと私達は知らなきゃダメです。外国人参政権、人権擁護法案、拉致問題、夫婦別姓問題・・・もともと左巻きに法解釈させやすいこれら諸法案が成立してしまったら、これらの法整備は、これを取り仕切る仙谷に任せられちゃうんですよ!その危険性はなかなか話として出てきませんが・・・。
正直、憲法19条、同21条への抵触だけでないんですよ、この問題は。
この前の衝突事件で私もブログに書いたのですが・・・その引用。
『船長を無償で釈放したことについて)国が自らの法を破っちゃったんだから・・・これから、怖いことになるよ。もう、犯罪起こしてもいいんだって、国が認めちゃったんだから(9月24日のブログより)』
ヤツらが『領海外国船舶航行法』に違反しちゃってるんだから、それでもって退去せずにぶつかってきたんだから、思いっきり『拿捕』してもいいし、国内法適用してきちんと刑事裁判にかければ良いところを、宗主国様のご機嫌伺いで、わざわざ“専用機”をチャーターして、本国へ“送らせていただいた”んだから・・・
つまり、こういう犯罪者を野放しにしちゃう一方、ビデオ流出時速攻でメディア規制を訴えたり、航友会会長の発言に圧力発言したり、朝鮮学校無償化を推進させたりする売国奴を、法務大臣にしていいのか?ってこと。
成立させたらその瞬間から、拉致問題なんかそっちのけで、絶対に特ア向け法整備進めるぞ、コイツ。
その結果は・・・他の方のブログと重複するのでここでは列記しませんが・・・(詳細は、主水さん、Heero Yuyさん、マリアローザさん、江さん、第21使徒エロザルエル襲来さんはじめ、みなさん書いておられるから、そちらを参照してください)
そうさせないためにも、もう、とにかく草の根から解散総選挙を訴え、保守の結集をはかり、憲法改正をやらなきゃ。
平沼赳夫メルマガより
『憲法があって人間社会が存在するのではありません。人間社会のために憲法は存在しているのです。憲法を「聖典」化して変革を忌避し、現実から目を背けてしまうことは本末転倒であります』
それにしても、マスゴミ・・・オマエ等、ネタが面白けりゃ恥も外聞もないんだな。
特に元ネタが保守系議員の失言だと、今回と違ってどーでもいいことで散々突っ込みまくってたよな。
相手が左巻きだと、とんでもないこと言っても記事にもしないよな。
安部先生、麻生先生は、オマエ等のバラエティ感覚の報道で誘導された世論に放逐されたこと、忘れてない人間は沢山いるんだぞ!
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【美しい国】
さて、ちょっと疲れることがいろいろとあって、大きな街をあとにして秋の彩りに心を委ねたくなった秋の日。
私は岐阜県のとある町を訪ねました。
夏の徹夜踊りで有名なこの地は、山間に開かれた清流の国。
町並みを取り囲む細道を一本隔てれば、奥美濃の山塊がまるで城壁のように切り立ち、その苔むした山肌に手を伸ばせば、絶え間なく滲み出ては滴り落ちる水の端にたやすく触れることができます。
これら滴の群れは山裾のあちこちで一つになり、ようやっとほろほろとした流れに姿を変えると、そのまま瓦屋根の連なる町並みに注ぎ込まれます。
その後、あるものは一端地中に潜り込み、柔らかな湧水となって街のあちこちにゆるゆると顔を出します。またあるものはそのまま互いに呼び合うように収まりあい、鮎や鯉が泳ぐ街中の水路に流れ込んで行きます。更にあるものは伏流のまま井戸水として汲み上げられ、ここに住む人たちの暮らしに溶け込んでいきます。
そしてこれら水の旅路に生まれた風はすっきりと、しかし優しく路地の隅々にまで吹き渡り、故にこの町はいつも絞りたての檸檬のようなみずみずしさに満たされています。
さて、この小さな町が佇む盆地の一角、その東はずれでは、周囲の山塊からはぐれたようにポツンと、こんもりとした小山が胡座をかいてます。その小山の頂は松林に囲まれ、そこでは小さな古城が町を見下ろしています。
私はこの城を目指して石畳の小径を登ります。
小径沿いには古い寺院があり、その白壁が秋の日差しを照り返し、軒先に連なる干し柿の暖簾をいよいよ朱く鮮やかに照らし出してゆきます。
振り返れば眼下の町は南北に大きく裂かれ、それは深い峡谷をなしています。町を縫うように巡らされた水路は、白い岩壁を穿ってやがて滝となり、奔流となってこの峡谷に流れ込みます。流れ込んだ川は深く、藍癖の色彩を蓄えて滔々と流れ、町外れで有名な“最後の清流”につながっています。
この岩壁の上、峡谷に面して崖伝いに連なる古い家並みは“そで卯建”で仕切られ、濃い褐色となって西の山並みに向かって連なっています。細い路地では子供たちが縄跳びに興じ、買い物帰りのお母さんたちが立ち話をしています。
ため息と共に振り仰げば、空は天頂まで濃淡無くまるで海凪のような蒼。
深く見入っていると、重力の感覚さえなくなってしまいそうです。
この蒼穹に溶け込んでしまうかのような感覚のなか、何とか自我を失わずにいられたのは、そこに突き破るかのごとき鮮やかな黄金色があったから。
それは、燦然とそびえ立つ銀杏の古木。
梢一杯に揺れるその彩りが、辛うじて私を支えてくれていたのです。
そして天地を分ける四方の山々もまた、晩秋の宴は今まさに闌のとき。
杉や檜の翁が濃緑の衣を纏うなか、櫟や団栗は薄黄色の直垂を被り、紅葉や楓は紅の単衣も艶やかに、朴葉の白い扇が舞いを見せ、まるで錦舞台のよう。
私は路傍の石に腰をおろし、いつまでも飽きることなく、このひとときに酔い痴れることにしました。
・・・写真も何もありませんが、少しでもこの光景、心で味わっていただけましたか?
日本は、やまとのくには美しい、それは美しいところです。
どうか、この美しい町と、人の暮らしと、歴史と、文化と、山や川、そして蒼い空が、いつまでも続いてくれますように。私達の子孫に、このくにを汚すことなく、受け渡していけますように・・・。
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私は、このくにが大好きです。
だから、このくにを汚すものには、言霊をもって戦います。
やまとはくにのまほろば たたなづく あおがき やまこもれる やまとし うるはし
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Posted at
2010/11/23 00:13:10
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