
【まえがき】
思うことがあり、しばらくブログのスタイルを変えようかと思ってます。
勿論、時事問題なども折に触れ取り扱っていこうかとは存じますが、目的はモチベーション維持のためです。純粋に自分のために書きます。
また、エキシージからも降りることにしました。これはこの世でただ一人の、私の大切な家族のためです。この人がいなくなってしまうと、また天涯孤独に逆戻りですから。
バイクは絶対に降りないけど(笑)。
今回綴る計3編のブログが、私従来のスタイルで書く、最後のものとなるでしょう。
【不安なままの門戸開放】
この段は、政治経済ネタ絡み。まずは前々の拙著ブログ、
『危機は西より… 』を読んで頂けたら嬉しいです。
次回のお話しは一見ただの紀行文なので、本頁だけ読むと何も残らないかと存じますし、以下の文もなぜ取り上げられているのか判らなくなってしまいます。
その意味でも、前述ブログ、是非、ご一読を。
そしてこれらの“事実”も・・・
《人民網 記事 2010年5月28日》
日本政府はこのほど、中国人の個人観光客向け査証(ビザ)の発給要件を7月1日から大幅に緩和することを決定した。
(中略)昨年7月1日から、
日本政府は年収25万元以上の中国人富裕層に個人観光査証を発給し、ガイドなしでの個人旅行を解禁した。だが観光客の伸びは思わしくなかった。
(中略)そこで日本政府は今年の7月1日から、
信頼できるクレジットカードを保有する中国人に個人観光査証を発給すると決定した。対象には政府機関や企業で主要ポストを勤め、年収3万-5万元の中流サラリーマン階層が含まれることになる。
(中略)日本政府は、年収3万-5万元の中国人は4億人に達するとみており、この中流サラリーマン階層にねらいを定めて、個人観光査証の発給要件緩和に踏み切った。あるアナリストによると、中国人観光客が日本に押し寄せる時代が始まったのだという。
《人民網 記事 2011年1月4日》
日本メディアによると、日本政府は
中国人の個人観光客を対象に、有効期間なら繰り返し使える数次ビザを発給する方針を固めた。中国人観光客を呼び込み、一層の外貨獲得を狙う。日本政府筋が3日、明らかにした。
(中略)日本政府は中国人観光客を日本観光に呼び込むため、昨年7月から個人ビザの発給要件を緩和したが、現在発給されているビザは1回しか使えない。
《観光庁報道発表 2011年7月6日》
本年7月1日(金)より中国人個人観光数次ビザ(沖縄数次ビザ)の申請受付が開始され、7月7日(木)に国内経由便や中国からの直行便で、第一陣が沖縄入りする見込みです。
数次ビザは、東日本大震災以降大きく落ち込んでいる訪日観光客数の回復のみならず、訪日旅行商品全体の質・サービスの向上、中国人観光客のリピーター化にも繋がることが期待されます。
《ネタりか 記事 2011年8月24日》
2011年8月23日、観光庁の溝畑宏長官が東日本大震災発生後2度目となる中国訪問を行い、22日に北京で行われた記者会見で、中国人観光客の日本誘致キャンペーンとして、
訪日ビザの取得条件緩和、中国メディアを招いての日本視察、中国銀聯(ユニオン・ペイ)利用者への優待措置を行うと発表した。
《時事.com 記事 2011年9月5日》
北京を訪れている
長野県の加藤さゆり副知事は5日、中国人向け海外旅行業務が外資系として初めて認められたJTBの合弁会社「交通公社新紀元国際旅行社」などを訪問、スキーや温泉など同県の魅力をPRし、
中国人観光客誘致への支援を要請した。
加藤副知事は「東日本大震災で減少した外国人観光客に、安心して来てもらえるよう情報発信を続けたい」とした上で「立山黒部ルートは台湾からの旅行客に人気がある」と述べ、
中国人向けにも長野を組み込んだツアーの開発を働き掛けた。
JTBグループの山崎道徳中国総代表は「中国の富裕層には南極クルーズに行く人もおり、最先端の旅行を提案した方がいい。伝統工芸品の中にも中国人観光客が飛びつくものがある」とアドバイスした。
《WILL 2011年8月号 関岡英之先生 『なぜ、在日中国人が急増しているのか』》
(前略)だが、中国人観光客の購買力に期待して眼が血走っている人は、冷静になって考えていただきたい。日本政府が中国の「富裕層」と称しているのは年収25万元(約340万円)、「中流層」に至っては年収6万元(約80万円強)というのである。
(中略)
そもそも年収80~300万円クラスの発展途上国の国民が、どうして海外旅行などできるのか。可能性は次の二つしか考えられない。もし本当に収入がそれだけしかないのなら、お金を落とすためというよりは
お金を稼ぐため、というのが真の目的なのではないか。(中略)これは事実上、
移民の受け入れ政策とみるべきである。中国人観光客を救世主として期待している向きは、すぐに当てが外れ、ほぞを噛むことになるだろう。
もう一つの可能性は、申告されている年収以外にも
闇収入があるのではないか、ということである〈私見:私はこれだと思っている〉。(中略)表面上は年収80~300万円しかない中国人にビザを乱発して来日させ、その購買力に依存するということは、要するに
中国のアングラマネーを日本に呼び込むということにほかならない。
中国人に商品を買ってもらおうと愛想笑いを浮かべているうちに、気がついたら自分の会社がチャイナマネーに丸ごと買収され、経営権が乗っ取られていた、などという事態になるのではないか。
【トールギス、出る!】
ああ、私の愛する長野県、いや、信濃の国。
1年に何度足を踏み入れ、それをもう、何年続けてきただろうか?
尖閣諸島、新潟、東京、名古屋に続いて、この地は今、
中華人民共和国第6自治区の橋頭堡にされようとしているのか。
それも、日本人自身の手で…。
早春の雪嶺、澄みわたるせせらぎ、トンビが弧を描き、ヒバリが駆け登る蒼穹。
水田に映える満月、収穫の黄金色、干し柿の橙、畦道のつくしんぼ。
茅葺きの屋根に白壁の蔵。
農道をゆっくりと行けば、蛙の鳴き声に囲まれて、畑仕事の手を休めた老夫
が語り合う。
腰を曲げた老婆が、山菜の入った籠を背負い、山道をゆく。
子供たちはススキの穂を自慢げに掲げ、小川の端を駆けてゆく。
ああ、ここで爺ちゃんの話し相手をして、真っ赤なリンゴをいただいたっけ。
ここでは、婆ちゃんの荷車押す手伝いしたら、大きな蕗を何本もいただいたっけ。
この道で北アルプスを見ながら、死んだ親父と仕事の話をしたっけ。
この小学校の裏手、畑の端でお弁当拡げてたら、駐在さんにお茶分けてもらったっけ。
そう、このバス停だ。ここで外人のバックパッカーと一緒に、一晩野宿をしたっけ。
牛の糞踏んづけて転び、近所の中学生が何人かでバイク起こすの手伝ってくれたっけ…。
地元の愛知よりもずっと、細い路地の裏まで知り尽くした、信濃の地。
この地のありとあらゆる季節を、道を、合金の悍馬で駆け抜けてきた。
しかし、その日々はいつまで続くのか…?
そう思うと居ても立ってもいられなくなり、気がつくと私は、
KTM 990 SuperMOTO R(通称 トールギス)に跨り、一路北を目指していたのだった。
〈前編おわり〉
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Posted at
2011/10/15 13:36:34