【約束の場所へ】
・・・
というわけで、ブリュンヒルデが帰ってくる。
その日私は「顧客とアポ」と偽り、腰掛けOLよろしく、定時を以って仕事を切り上げた。そう、一分一秒の狂いも無く。
浅みのある黒を控えめなオレンジが彩る、やや派手な装飾が施されたキャビンに身を潜り込ませ、手元のスイッチに手を伸ばす。
やや粗雑なモーター音と共に軋むように天蓋が持ち上がると、車内には待ちかねたように喉越しのよい春の夕べの風が踊りこんでくる。
暮れゆく春の街を、私が運転するフェアレディZのロードスターは、真綿のような温もりを纏わせて走り出した。
国道へ向けて下る急峻な坂を降りれば、東の空は蒼みを増し、葉桜と化した街路樹の向こうには宵の明星が顔を出している。
街路には灯火が燈りはじめ、あと小一時間もすれば、アスファルトは濃い藍色に染まる筈だ。
宵と黄昏の狭間の、そんな時刻。
私は“約束の場所”に辿り着いた。
「お待ちしておりました」
華やかさに幾分かの慎みをたゆわせ、清楚な身なりで微笑みつつ、彼女は私を迎えてくれた。
無言で応え、代車のキーを手渡す。
「まだ到着していないようだね?」
大理石のフロアーにコーディネイトされた、上質なソファーに身を委ね、先ほどからの疑問を投げかけてみる。
「もう間も無く、とのことでした」
待ちわびる私を宥めるように、彼女は優雅な動作でグラス入りのアイスオーレを勧めてくれた。
もう、“間も無く”か・・・
私は軽く目を閉じ、此処までにかかった長い長い道程を思い出していた。
【回想】
あの日からもう、半年以上が過ぎた。
ブリュンヒルデが病床についてから程なくして、山は錦づき、田は金色の実りを迎えた。
晩秋にもなると、峰々は頂きに白銀を装い、落葉が里山の地を覆った。
夜半には霜が降り、庭先には薄氷が見られるようになると、家々は冬支度をはじめた。
それでも、ブリュンヒルデは眠っていた。
雪虫が冬の訪れを知らせ、山里が静寂に包まれた頃。
月は透明な蒼の輝彩を纏い、銀色の斜線を雪の野に射かけはじめた。
道は凍てつき、
『太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。』(三好達治:雪)
それでも、ブリュンヒルデは眠っていた。
幾ばくかの夜が過ぎ、幾ばくかの朝が訪れた。
そんなある日、山々の様相が、少し変わり始めた。
木枯らしが雑木林を駆け下り、春の息吹の種を蒔いていったのだ。
それでも、ブリュンヒルデは眠っていた。
数日もすると、小川の方縁に降り積もった雪が溶け始めた。
畦道にはふきのとうが黄色い花を咲かせ、蛙の子が孵り始めた。
作業小屋の傍らで桜が咲き、散りそそぐ花弁が野仏を微笑ませた。
それでも、ブリュンヒルデは眠り続けていた。
それでも、私は待ち続けた。
そして、雲雀が蒼天に囀り、鳶が虚空に弧を描く今日。
目覚めの朝を迎え、“眠り姫”は私のもとに駆け込んでくるのだ。
…そんな彼女を私は優しく、抱き止めてやればいい。
【妄想】
このグラスが空になる頃、ブリュンヒルデが還ってくる・・・!
最早過去は現在に続くのではなく、思い出になることを許されたのだ。
私は、心地よい空想に浸り、未来を愉しむことにした。
そう、ブリュンヒルデと過ごす未来を。
ブリュンヒルデが還ってきたら・・
海へ行こう。
嫁をナビシートに、後席にはしばわんこを乗せて。
いや、折角の神域コーナリングを味わいに、山岳道路を目指すのもいいかな。
浅間の裾野を回遊して…
三大アルプスを越えて、上信越の田園地帯を走るのもいい。
素敵なレストランでパスタランチ(
接待)食べて
食後には上質なコーヒーを味わい…
宿泊は雑木林に包まれた、古風なオーベルジュ。
部屋からは広大な山裾が望まれ
夕食は地産の食材溢れる鍋料理
食後は豪華なラウンジで瀟洒にワインなどを味わい
睡魔に誘われたら、アンティークなベッドに潜り込んで・・・。
・・・・・・・・・。
「・・・wind様・・・、wind様・・・!」
「・・・」←世界に入ったまま出てこない
「しばわんこ!!!!!!」
・・・ビクッ!!!
すっかりアッチの世界に耽溺していた私は、冷や水を浴びた柴犬のように半身を震わせていた。
覚醒しない頭を上げてみれば、呆れた顔で先刻の彼女が私を見下ろしている。
「お着きになったようですよ?」
彼女はブリュンヒルデのキーを目線の高さに翳すと、静かに微笑み、窓外に目を向けた。
導かれるように視線を向けたその先には…!!(※)
※この場面は女性と私のやりとりという形で修辞されているが、実際は担当サービス係の野郎との間で展開されていた、という事実は秘密である。だって、こういう場面って、男より女の子とのやりとりにした方がカッコイイじゃない。
煌々としたエントランスに佇む、白銀のブリュンヒルデが。
ブリュンヒルデ…ロータス・エヴォーラS
低く、艶やかな肢体が
静かにして澄んだ音を奏で
私を迎えてくれた。
優雅な佇まい
アクセントカラーに華やかな深紅を差して
あの夏の日のままに
【暴走】
ブリュンヒルデが還ってきた!!!!!
私は彼女の手からむしり取るようにキーをひったくると、
「キョッホー!!!!!!」
雄叫びをあげつつ、狂気をはらんだ目で駆け寄った。
「ウヒョヒョヒョヒョヒョヒョ~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!」
狂気は驚喜と重なり、震える手でドアを開き、セミバケシートに飛び込む。
慌てるサービスマンの説明すら耳に入れることもなく、ギヤを1速に放り込み、クラッチを離した。
大排気量のエンジンは軽量な車体を苦もなく揺り起こし、気がつけば私は街道に躍り出ていた。
路面のざらつきがハンドルに伝わる。
おお、この手触りだよ。
右足に少しだけ、力を入れる。
遅れることなく、軽々と車速が上がる。
ミズスマシのように車線を跨ぐ。
おお、この軽やかさ。
パイル地の絨毯を踏むような、乗り心地。
おお、この心地よ。
ああ、忘れかけていた。
これが、“究極のアナログエモーション”…The Ultimate Analogue and Emotional Mover !!!!!!!!!
還ってきてよかった。
【ヲチ( ̄Д ̄ )】
ブリュンヒルデの息吹が、私の脳を駆け抜ける。
ブリュンヒルデの歓喜が、私の四肢を虜にする。
私の歓喜は続いていた。
ウインカーとワイパーを間違えることもなく、車線変更。
とりあえず辺りを一周するつもりだった。
数十メートル先、信号青。
加速。
過給器の静かな回転音が心地よい。
右側につける。
対向車…なし
歩行者…なし
さあ、ちっとだけロータスハンドリングを試そうか?
ブレーキを踏む。
ロッキードのモノブロックキャリパーが、大径のディスクローターを噛む。
その生の感触が、脳天に突き抜ける。
ブレーキを踏みながら、4速→3速にシフトダウン。
換装された本国GTEタイプのシフトケーブルが、強靱に、ストレス無く歯車を操る。
さらに2速へ…!!!
…。
…2速へ!!!
…。
に、2速へ…!!!!
・
・
・
・
にそくへ…。
ギヤ、落ちません。
だめれす。
3速でヨロヨロと交差点をUターン…
と、Bluetooth接続された電話が鳴った。
サービスマンからの声が、キャビンに響く。
「windさ~ん、だめぢゃないですか!?勝手に走ってったら!!!」
「そのクルマ、
リンケージの調整まだ終わってない
から、再度引き上げます」
(゚A゚ )
「もう一回引き上げますから、クルマ持ってきてくださいね~!」
(-_-)
・・・ブリュンヒルデは、ウチの車庫よりサービス工場の方が好きらしい。
おしまい
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ロータス | 日記
Posted at
2013/04/17 13:03:58