『風はきままに海へ吹く夜半の一人かな』
30日深夜、自らを墨絵のような“静”の景色に放り込んだ。
国道8号線…無人の北国街道を北上、日本海を目指す。
深い深い藍の空、針葉樹の森はいよいよ黒々と立ちはだかり、ざらついた夜気がメルメット越しに轟々と蜷局を捲く。
灯り一つない峠を越える。
夜気の冷たさに震えながら、“動”の象徴…オートバイを傾ける。
うねる道程をたぐり寄せ、右へ、左へ、登り、下り。
未明、曹洞宗総本山へ。
『松かぜ松かげ寝ころんで』
早朝より座禅を組み、夕刻まで修行僧に混じり、読経、掃除、また読経。
左手に数珠、右手には形見の首輪。
仏殿、法堂、庫裏、渡り廊下…何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も磨き込まれた床はもう、お豆腐のようになめらかで、温(ぬく)とかった。
お休み時間、伽藍に佇み目を閉じて、お香の匂いに身を委ねる。
炎天に傷み、雪の重みに耐え、雨風に晒され、重い灰色に褪せた幾重もの瓦屋根。今は盛りの新緑の、透け入る程の若葉と対をなす。
さらさらと微風の群れ、集いてみれば綿帽子。絶え間ない薫風に、山全体が笑ってる。
季節の移ろいに耐え続けて幾星霜、荘厳な佇まいの古刹。
無言無音。けれどその空間はとても柔らかくて、絹織物を纏うかの如し。
境内全体が、優しい母性にくるまれているようだった。
南無釈迦牟尼仏。
南無観世音菩薩。
南無馬頭観世音菩薩。
娘が明日、初七日を迎ます-優しく迎えてあげてください。
羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝
菩提僧莎訶 般若心経
血のつながらぬ、異族の我が娘よ
どうか、幸せになってください。誰よりも、誰よりも、誰よりも、誰よりも、誰よりも幸せになってください。
梵鐘が奥山に反響し、天と地が薄墨色に閉ざされる。
西の山の端は、未だ残照の薄紅。
夏の始まり、君を浄土へ送り出す。
『分け入っても分け入っても青い山』
新しい朝と昼の境、“おはよう”か“こんにちは”か。
山を下りかけた風を、大地の熱がはねつける。
蒼天には雲一つ無く、太陽が銀色の矢を射かけてくる。
行き交う車もない、越前の林道。
長い長い、うねりくねり。
行く先も知らぬまま、心細げにひた走る。
崩落と落石、山水が路面を横切る。草葉の生気が幾重にも路肩から伸び出し、行く手を遮ろうとする。
深山深く落ちる滝の水に喉を潤し、獣の気配を感じながら、細道をゆく。
痛みにも似た暑さ、陽炎の向こうは山。山。ずっと山。
『ここにおちつき草萌ゆる』
平泉寺白山神社のたもと。
四角い青田、四角い青田、四角い青田。
初夏の蒼天のもと、濃緑の里山を水面に映す棚田。
雪国の民家は焦げ茶色で、庭先の樹々はどれも太く、大きい。
野辺に咲く草花は童女の佇まいで、黄色くて、橙で、白い。
道すがらの野仏はもうとうに摩滅して、貌かたちもわからぬほどであったけれど、幾星霜を重ねても伝え続ける、優しい微笑み。
杉の巨木に挟まれ、冷たい石段を登る。
吹き降りてくる風に、硬質な息吹を感じる。
碧、碧、碧、そして緑。
何処までも苔生す境内は、まさに神々のおわす処。
白山信仰往事のまま時は止まり、現処(うつしょ)とは切り離された御神域。
誰もいない、音もない。
すべてが静止している。
生きていることにさえ、違和感を覚える。
小さな拝殿で、手を合わせた。
神々に囲まれ、放つ言葉さえ憚られ、じっと手を合わせた。
畏ろし。日本の神様は、失礼は許してくれない。
ただただ、畏ろし。
『お天気がよすぎる独りぼっち』
九頭竜の深淵と、強い日差し。白く焼かれる巨岩。
福井と岐阜の境、石徹白(いとしろ)への県道をとぼとぼと走る。
断崖絶壁、ガードレールなし。
路面は傷み、赤さびた砂利の山肌を潜る。
誰もいない。
多くの人は、とうに敷かれた国道をゆく。
ひとり走る。とぼとぼ走る。
寒村の民家、雲一つない蒼天に、洗濯物が光る。
畦道では蛙の合唱、弧を描く鳶の影。
せせらぎの音、夏風の予感。
蒼、蒼、蒼…どこまでも空は高い。
黙々と独り、オートバイを傾ける。
爪先が路面を削る。
鎮魂の思いとはうらはら、今年も変わらず、夏は来る。
『生活難ぢゃない、生存難だ、いや、存在難だ』
旅の終わり、郡上八幡。
水のまちの片隅、お気に入りの喫茶店で涼む。
ここを出れば、参拝行の幕もひく。
自身漂泊を糧としている身、旅先で社寺仏閣を訪れることも多いのですが、今回の旅で今更ながら気がつきました。
神社には凜にして厳格、静的、男性的な厳しさ。
古寺と雖も、仏閣はどこか優しく、柔らかく、女性的。
命あるものはこの世を去った後、お寺で迎えられ、癒される。
そして神々の元へ赴き、教えを受ける。
やまとの郷(クニ)には、仏様も神様も一緒におられる。
そして生わすところ総てに共通しているのは、どこまでも透明な空気と、無明無音。
方や柔らかく温か、方や厳しく張り詰める。
目には見えずとも、それは確かに流れ続けている。
耳には聞こえずとも、それは黙して語り続ける。
『無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた、それに酒を注いで、そこから句が生まれたやうな一生だつた』
僭越ですが小生、生業や年齢を鑑みても、これまでより沢山の生命の終焉に立ち会って来た気がします。
今日までを翻ってみれば、つまらない権力争いに身を晒し、道理を人の欲に阻まれ、まるで心を鑢で削り取るような日々を送って参りました。
それがその時々にとっては大変重く、自身の価値として至上のものであったとしても、その場よりこうして一歩離れて俯瞰してみれば、私の生涯というものは何とちっぽけで、何と内向きで、独りよがりで、独善的であったことか。
私はなんと、狭い世界で生きてきたことか・・・!
『こんなよい月を一人で見て寝る』
たった500キロの単独行。
白熱灯頼りの枕元、旅のメモを読んでいます。
ひとつの小さな生命の菩提を弔うにあたり、自らを省み、自らを改むる…良い時間を過ごすことができました。
そんな時間を与えてくれた、無垢にして純粋な魂…濁りのない心と過ごした15年に、心より感謝。
さようなら、私の静里。
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Posted at
2014/06/02 18:01:27