
幾らなんでも10日も前の旅行記を書くのもなんですが・・・諸事情で今日更新します。
さて、奈川高原(前章参照)でお蕎麦をいただいた後は、いよいよ旅のクライマックスです。
県道39号線飛騨街道、つまり有名な野麦峠を東から西に横断し、国道361号線から開田高原に出るルート。
前半は狭い2車線レベルのツイスティロード、後半はそこそこ広い、いわゆるワインディングロードです。
いずれも高原の森林地帯を縫って走るルートですが、このルートを選んだには理由があります。
ひとつは、野麦峠のルートはそこそこ狭いため、観光バスはじめ大型車が入ってこないこと。また、大型車に限らず国道19号から高山へ抜ける観光ルートは、前述国道361号のほうが走りやすいため一般車も入ってこないこと。
もうひとつは、野麦峠を越えてから走る361号もまた、東から西に向かうルートは確かにそこそこ観光ルートとして使われることが多いのですが、逆方向は案外空いてます。
やっぱり、走りを楽しむなら道は空いているに限りますから、ね!
あ、勿論地元ナンバーの農作業車や路線バス、一般車輌には最大限気を遣って、どんなに遅くても我慢我慢で。
さて、野麦峠ルート。ここは有名な女工哀史のお話、山本 茂実著『ああ野麦峠』の有名なシーンの舞台。口減らしで故郷の飛騨を追われ、生糸女工として苛酷な労働を続けるなかで腸閉塞になり、仕事を失い兄に背負われて雪道を故郷へ向かう主人公 政井みね が、朦朧とする意識の中、「ああ、飛騨が見える・・・」と呟いて息を引き取る、あの舞台です。
有名な街道とはいえ、観光地にありがちな土産物屋もコンビニも、ペンション街も、ここにはな~んにもありません。麓の集落はいかにも雪国の寒村、という感じ。
特徴的なのは、みーんな平屋ばかり。通常この地方の集落は、嘗ては夏は農業、冬は生糸の原料となる養蚕を生業にしていることが多く、従ってたいてい母屋の2階には蚕部屋が作ってあるはずなのですが・・・平屋つくりには、どんな理由があるんでしょ?
今でも並走する街道沿いに車道こそは舗装されていますが、過酷な自然環境のせいでしょうか?崖崩れも多く、雪のため1年のうち半分は閉鎖されてしまう道です。
そんなことを心の片隅にぶら下げて、幾分か涼しさを増した、杉林の旧街道を走ります。3速に入るのもわずか、殆ど2速中心でまわります。コーナーにあまり変化がないといえばないけれど、路面はうねり、何度か渓流を横切りつつ峠の頂上までは一気に登ります。途中蛇さんが道を横切ったり、イタチ(テン、かな?)が飛び出してきたり、こんなとこで地元の生き物に迷惑かけちゃいけないから、結構気を遣います。
といっても、案外走りに集中してると、攻めたりしてなければ大抵回避できるんですけど、ね。
そんなこんなしてるうちに、“
お助け小屋”の看板、野麦峠の頂上です。
旧街道に出れば可能なのですが・・・ここからは残念ながら遠く飛騨の里を眺めることはできません。
本来なら単車を降りて、嘗ての富国強兵日本を支えた女工さんたちに思いを馳せながら、旧街道を歩きたいところなのですが・・・しかし、そこには“ツキノワグマ注意”の看板。
これは怖い。熊よけ何ぞ持ってないし、昔ソロキャンプしたときみたいに、携帯の着メロをひたすら流すか・・・といっても、それで他の登山者に迷惑かけたくないし、なにより、もしも電池が切れようものなら・・・
ハマーン様「なぜ通信を切った!?貴様、私が何度連絡をとろうとしたか、わかっているのか!?」
私「いえ、熊よけに携帯の電池を使い切ってしまって・・・」
ハマーン様「言い訳とはな・・・信頼すればこそ地球圏(野麦峠のこと)の偵察に出してみれば・・・貴様には失望したよ!」
なんてことになり、今度は夕食に、最高級地ワインでもご馳走させられてしまっては身も蓋もないので・・・。
仕方なく、人気のない駐車場に出ました。そして、そこから見る
乗鞍岳の雄大さといったら・・・!
あちこちに啼くウグイス、カッコウの声。見たこともない蝶や虫達。乾いた涼風に雲は払われ、名に聞く大雪渓が遠くに確かめられます。
遠くは濃い蒼、織り成す緑色の山塊から、すぐ手前は野花と虫たちの黄色、ピンク、オレンジ・・・自然の何と、何と饒舌なことでしょう!
空気のにおいは軽ろやかで、透明で、まるで岩清水のよう。
思わず伸びをすれば、お天道様は蒼穹に銀色。
ここには自分しかいなくて、この景色は独占状態だけど、家に置いてきたみけにゃんことしばわんこに、ちょっと後ろめたい気持ち。あいつら連れてきてやったら、多分・・・
しばわんこは、到着早々その辺で糞尿を垂れ流し・・・
みけにゃんこは、脱走の後、小動物の虐待開始。
まあ、一気に環境破壊ですね。あ・・・ここに単車で来てるだけでも充分破壊者か。
この景色の暮れゆく様をいつまでも見ていたいけれど、そろそろ出発しないと夕食に間に合いません。
ここからは国道まで下り1.5車線。にわかに道が荒れ始めました。谷側の路肩からはススキの葉が飛び出し、山側路肩には落石の破片が沢山・・・クリッピングポイントの見えないブラインドコーナーが連続します。時折でかいミニバンが突然出てきたりして、冷っとすることもしばしば。こんなせまい道で何であいつらはイン側ギリギリを走るのかねえ・・・対向車のこと、考えてるのかな?
ていうか、そこまでデカイ車でこんな狭いとこ入ってくるなよ・・・。
でも、山の中腹を縫って走るなか、左側が深い谷で、右側は崖をえぐるようなヘアピンを走ったりしてると・・・その峡谷の大きさに感嘆し、また畏ろしくもあり・・・楽しいです。
注意深く高度を下げていくと、今度は木曽側とは異なる趣の、
飛騨の集落がポツリポツリ。
気がついたんだけど、木曽側の民家に使われてる材木(ヒノキ?)は、どちらかというと明るい茶色だけど、飛騨側は濃いこげ茶色なんだな。使ってる木が違うのかしらん?
で、このあたり、都市ガスはもちろん、プロパンも使ってないんですね。各家々には薪木が沢山用意されてます。勿論、携帯は圏外です。
“かくてもあられけるよ・・・”
こんなふうにでも、人は生きていけるんですね。
陽はいよいよ西に傾いてきました。あたりは少しずつ藍色になって、遠くの峰々にはオレンジ色のフィルターがかかってきました。飛騨街道は国道361号に突き当たり、ここを再び木曽方面に西進します。道幅はうってかわって広々、学生のスポーツ合宿地域に出ます。中速コーナーから高速コーナー、ヘアピンと、多種多様な道のり。とにかく涼しくて、明るくて、道がやっと高原に差し掛かったことを教えてくれます。
峠をひとつ越えれば、本日の目的地、開田高原。
宿に入る前に、ちょっと路地に乗り入れて寄道。振り返ると背後には、野麦でみた乗鞍と優劣つけがたい迫力の御嶽山。
“木曽のナァ~なかのりさんはァ~夏でも寒いィ~”有名な木曽節を口ずさみながら、御嶽山に見とれます。雲ひとつない夕映えの空、宵の明星?一番星が顔を出しています。
御岳は灰色がかった藍色、その向こうに太陽が沈んでいきます。
と、面白いこと、発見。御嶽山は標高3056m(だったかな?)、完全な独立峰なので、周囲に高い山はありません。だから、こんなふうに背後から夕陽をまとうと、山の中腹から裾野にかけて、その向こうの地平線の影が真っ直ぐできるんですね(扉絵参照)。
へぇ~地球って、やっぱり丸いんだ。
日は沈み夜の帳が下り、もう秋の虫の音色が聞こえてきました。何処からか聞こえる、コロコロとした沢の音。すこし切ない心細さと懐かしさ・・・小さい頃、日がとっぷり暮れるまで外で遊んで、なかなか帰ってこない私を心配して(今は亡き)母が迎えにきた、あの頃のことを思い出しました。
『旅愁』が、心の何処からか、聴こえてきます。
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
遥けき彼方に こころ迷う
恋しやふるさと なつかし父母
思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
遥けき彼方に 心まよう
すっかり暗くなった道。メーターの色が、ヘッドライトの手前に淡く光ります。もう、ゆっくりと、ゆっくりと・・・静かに宿に入ります・・・エンジンを切り、キーを抜き、ヘルメットを脱ぐと・・・冷え冷えとした空気が、一日の疲れを教えてきました。冷房無しでも寒いくらいの夜に、宿の灯りがほんのり暖かくて・・・。
夜は星空を見に行こう。天の河を、見に行こう。カシオペアと、白鳥と、海蛇と・・・。その前に、浴衣に着替えて、黄色くにごったお風呂にゆったり浸かって・・・ごはんはきっと、鯉の甘煮、岩魚の塩焼き、山菜の天ぷらってとこかな?
部屋に通され、窓辺から一人静かに外を見ていたら・・・
「迎えにも来ず・・・貴様も偉くなったものだな、俗物!」
・・・部屋の入り口には、両手に抱えきれないほどの旅行バックを携えて、肩で息をしているハマーン様がおられました。
おしまい。