
今日、先生の『飛翔する日本』を古本屋で見つけ、衝動的に買ってしまいました。あれから3年・・・10月3日は、先生の御命日ですね。
買ってきたこの本を読もうとリビングにて頁を開けば、ふと麻生先生と共に笑いあう先生の姿が思い出されて途端、目に涙の霞みがかかり、一ページ目さえ読むことがままなりません。
今、日本は先生ご存命の頃に較べ、加速度的にその凋落度合いを増しています。
そう、まるで滑り落ちるが如く・・・この3年間、私達の日本国において日々伝わる知らせといえば、喜ばしいことに較べ、凶報が凶報を呼ぶが如く、嘆かわしい言葉が連なるばかりでした。
国内においては、社会面では東日本大震災と原発事故、嘗ての日本人からは理解できないような残酷な犯罪が続き、経済においては国富を生み出すには程遠い輩が跳梁する一方で、額に汗して国益を高める産業には向かい風ばかりが吹き続けています。
財政においても、増税はしても、それはとても社会保障とは言えない分野にお金がまわり続ける一方、公的債務は国と地方債あわせれば1400兆円に達しようとしています。
外交では大陸の独裁国家による列島線の危機、半島の蛮族から筋の通らない蛮行を受け、政府にはそれを跳ね返す意思も態度も感じられません。
“俺たちがあれだけ手を尽くしたというのに、君らは何をやっているんだ!”
目を閉じれば、先生があの真摯な眼差しで、大声で叱りつけるお姿が目に見えるようです。
しかし、そのなかにも僅かではありますが、光が見える便りも届き始めました。
先頃は(未だ野党ではございますが)自民党の総裁には安倍先生が返り咲き、石破先生が幹事長に、甘利先生が政調会長に着任されました。中川先生は先の安倍先生総裁時代、甘利先生とは大変親しくされておられましたし、これはちょっと嬉しいお知らせではないでしょうか?
それに、私たち日本国民にも、今やあの頃とは較べ様もないほど、政治や経済に対し、目を逸らさず真正面から受け止め、自分で考えようとする気持ちが強く現れつつあります。
先生や麻生先生、安倍先生、平沼先生はじめ、多くの保守・愛国を貫き続けた皆様を叩き、辱め続けたマスコミに対しても、昨今は疑ってかかることを忘れず、自分の意志で世界を、この日本を見つめようとする人々が増えてきたように思います。
私事で恐縮ですが、私は昨今仕事もうまく行かず、身に覚えのない災厄・悪報に振り回されて疲れきり、塞ぎこむばかりでした。
そして周囲では現状日本の危機的状況が渦巻くばかり・・・数年にわたる内憂外患の日々に、気分はすっかり滅入り、“神も仏もない”世の中と、心が血を流すばかりの毎日でした。
そのようななか、今こうして先生の御本を手にしてみれば、先生の為されたご実績、そしてご苦労が万感の思いと共に偲ばれてまいります。
リーマンショックへの経済政策、IMFへの緊急出動提言、北方領土についての忌憚のないお言葉、『白樺』で恫喝するツナへの反論、拉致問題へのお取り組み、中越地震のときの陣頭指揮・・・。
只の一市民たる私は、先生とは一度の面識もございませんし、お声のひとつも頂いたことはございません。しかし、代議士になられてからこの世を去られるまでの29年の間、先生が一途に貫き通された日本の国への思いと、そのご苦労を思うにつれ、私の心中にも少しずつ、“もう一度立ち上がろう”という気持ちが現れてまいりました。
そう、小さいけれども日本の国益に貢献できる、ちっぽけな製造業に携わる、ひとりの公人として。
ですから、死して後も甘えさせていただくようで恐縮ではございますが、中川先生にはどうか護国の鬼となりて、私たちをお見守りください。
日本を愛する人たちの心を、お導きください。
来るべき第二次安倍内閣を、マスコミの捏造から、日本を害し壊そうとする者達から、お守りください。
そして
人権委員会設置法案は決定されてしまったけれども、“日本を護る”市民達の声が、いつまでもこの国に響きつづけますように、お力をお貸しください。
平成24年9月30日
中川昭一先生
愛知県の一市民より
~引用~
ZAKZAK 2009年2月18日 記事より
中川辞任、財務省の“謀略”説も…情報流出が早すぎる
扱いにくい大臣として有名
中川騒動は米紙ウォールストリート・ジャーナルが1面で報じたほか、英各紙も写真付きで大きく報じた(共同)
中川昭一前財務・金融相の辞任騒動をめぐり、永田町ではさまざまな情報が飛びかい、謀略説すら出始めている。14日にローマで開かれたG7(主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)後の記者会見で、中川氏がろれつが回らない醜態をさらした背景や経緯に関する情報流出が詳細かつ早過ぎるのだ。「麻生内閣を見限った霞が関、特に財務省周辺が動いたのでは」(自民党筋)という見方が出ている。
18日の毎日新聞朝刊の「検証ローマの2日」という記事は痛烈だった。中川氏が14日のG7昼食会を途中で抜け出し、ホテル内のレストランで財務省局長と同行した女性記者、イタリア人通訳ら数人と会食したと指摘。
この席で、≪ビュッフェ形式のサラダとパスタとともに赤のグラスワインを注文≫≪昨年9月の財務相就任以降、G7などの海外出張では同行の女性記者を集めて飲食を行うことが恒例化していた≫と報じた。
中川氏は夕刊フジなどの取材に「ワインは口に含んだだけ」と証言しているが、気になるのは一連の情報が流れた経緯だ。
「泥酔疑惑」が問題化したのは15日午後だが、翌16日には「G7昼食会後、問題の記者会見までに正式日程にない会食があった」との情報が流れ、17日午前には「新聞社と民放のEさんとHさんという美人記者が同席していた」「会食をセットした財務省局長は中川氏のお気に入り。ワインのソムリエの資格を持っている」という個別情報まで広まった。
中川氏は16日夜まで大臣留任に意欲を燃やしていたが、17日午前に委員会出席をキャンセルして病院に。同日昼、財務省内で記者会見して来年度予算案と関連法案の衆院通過後の辞任を表明したが、野党の徹底抗戦の姿勢を受けて同日夕に辞任した。
この水面下で、前出のような情報戦があったのは間違いない。
自民党中堅は「情報流出が詳細かつ早過ぎる。同席した女性記者からというより、霞が関関係者、特に財務省周辺から漏れたのではないか。中川氏は『扱いにくい大臣』として有名で官僚らに敬遠されているうえ、内閣支持率の低下から『麻生内閣は長くない』と見限ったのでは」と語る。
中川氏には酒にまつわる数々の失敗がある。それだけに、かつて中川氏が大臣を務めた経産省の幹部も「そもそも、あんな状態で中川氏に記者会見させたことは財務省にも問題がある。日銀総裁だけに任せる方法もあったのではないか」と、同省の危機管理のあり方に大きな疑問を投げかけた。
自民党支配の終焉とともに、永田町と霞が関の固い絆も綻びつつあるのか。
~以上、引用終わり
・・・10月3日は、中川昭一先生のご命日です。
私は、先生のこと、ずっと忘れません。
先生のことが、忘れられません。
Posted at 2012/09/30 21:10:43 | |
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