
…先に政経ネタ書こうと思ったが、明日から嫁の接待で忙しいため、とりあえず先日の旅行記をルポする。まあ、気楽に読んでくれ。
【まえがき】
『ほのぼのと 有明の月の 月影に 紅葉吹きおろす 山おろしの風 』
(新古今集 源信明)
缶詰状態は続いていた。
この状態になって既に3ヶ月。いつしか夏が終わり、夜分には どてら が必要になるほど、季節の移ろいを感じるようになっていた。
会社から(許可を取って)持ち帰ったLet'NOTEに向かい、全セクションの業務マニュアルを作る日々…合間に展示会、社内規定の再々整備、取引契約の締結、そして設備投資計画と技術開発の進捗管理…。
起きる→
朝ごはん→出社→昼に帰る→
昼ごはん→仕事缶詰→
おやつ→仕事缶詰→
晩ごはん→仕事缶詰→
晩ごはん後の軽いごはん→仕事缶詰→
寝る前のごはん→寝る
こんな暮らしを続けるにつれ、私の体内では、変調の度が加速曲線を描いて上昇してきている。
会う人すべてから
“おおきくなったねえ”
とか、
“りっぱになったねえ”
、と褒められる一方、椅子に座るとき、肘掛けが“横からお尻を圧迫する”度合いも強くなってきた気がする。
(このままではいけない)
徹夜明けの南東の空
下弦の月が、濃緑の裏山の端を掠め、乾いた風に木立がざわめく
-旅に出よう!
旅に出て、健全な生活を取り戻すのだ。
前回から2週間も経っていないのに、私の心は既に北の山塊へ飛んでいた。
【第一章:11月2日】
1.旅立ち
遅い出立-正午。三連休の初日。
行き先も告げず、嫁からの冷たい視線から逃げるように、私は旅路に就いた。
濃尾平野をあとに、美濃の里山を抜け、ひたすらに飛騨の地を目指す。
郡上八幡の街並を見下ろす頃には、風は既に硬度を増し、水晶の煌めきを帯びはじめていた。
蒼天の下、奥美濃の山々は一木一葉までくっきりと浮かび上がり、大日岳の高峰は群青。
蛭ヶ野の丘陵地帯-赤い大地が途切れ、道は一気に高度を上げていく。
アクセルを開く度に、訪れる秋気。人気のないパーキングで、キルティングのインナーを着込む。
(
これは期待できるかもしれない)
秋の只中を全身に感じて、奥飛騨から乗鞍へ抜ける旅。
胸の高鳴りに心躍らせつつ、私は清見の(少し寂しげな)料金所のゲートを、くぐった。
フルフェイス越しに感じる、絹糸のような気流。
高架から見下ろしていた荘川の山々は、懐へ分け入れば、いつしか黄と茶の蒔絵に装いを変えていた。
私は滑るように、錦の山塊へ飛び込んでゆく。
収穫の名残か、清流の袂には柿の実ひとつ。
2.“日本(クニ)”のなかへ
県道478号-
山奥のプラネタリウムの裏手から、道は渓流沿いに北へ延びていた。
1.5車線のアスファルト、両側に時折現われる集落を、水を抜かれた田圃が挟む。
取り囲む里山は幾重にも連なり、透明な陽光と鰯雲の影のもと、アースカラーのグラデーションが続く。
作業小屋の傍らには藁の山、軒先には干し柿の朱色。
まるで時が止まったかのような、隠れ里に迷い込んだかのような錯覚さえ覚える、動くもののない、無音の世界。
高回転型V-Twinの悍馬だけが、ここが現世(うつせ)であることを知る、ただ一つの手がかり。
谷を抜けた先は、広大な貯水池。
濃淡のないマラカイトが、その深淵を示唆している。
高速の開通で、北と南を結ぶこの道は、忘れ去られてしまったようだ。
行き交う車もなく、傾きかけた秋の日差しに、少しばかり不安が募りはじめた。
-
人を見れば独りを望み、独りになれば人を見たくなる
(
まったく、旅人ってやつは…)
狭道に毒づきながら嘶く悍馬…KTM 990 SuperMOTO R。
ここは、さながら檻の中。
錆び付いたガードレールとひび割れたアスファルトが、この地域の過酷な気候を物語る。
斜面から流れ出た流水が、水溜まりをつくる。
(何でよりによってコーナーの度に!?)
山肌を削り取られた怨念か?ブラインドコーナーには落葉と流水のダブルトラップ。
3速に入れる間もない。
名も知れぬ集落に出た。
茅葺きの家々、黒ずんだ板塀、剥がれかけた土壁、そしてホーローの看板、木製の電柱には傘電球。
昭和の遺跡も、ここでは未だ現役。
重厚な生活風景が、賑わしき山々の旬彩に囲まれている。
『
かくてもあられけるよ』(吉田兼好 徒然草)
こんな世界が、好きだ。
でも、純白・橙・黒のKTMは、この地には似合わない。まるで柴犬が服着せられて、洋風家屋に佇んでいるような違和感。ここはやっぱり、カワサキ…ゼファー1100のワインレッドあたりが似合う気がする。

最近、なんか気になるんだよなあ…男カワサキ空冷4発。
長く寂しい県道を抜け、国道360号へ。
東へ向かえば、景色は次第に明るくなっていく。
道幅は広くなり、余裕のある片側一車線。
家々の軒が整然と並びはじめた。
それでもここは飛騨の地。分厚く塗り上げられた朱紅(あかくれない)、帽子を被った郵便ポスト。
ゴム跳びに興じる子供たち。軒先で漬物支度をする老婆。
赤光がアスファルトを染め、うだつの街並は柑子(こうじ)色。
切なく懐かしい、日本の“クニ”。
越中西街道へ。
高山本線と併走。人っ子ひとりいない、無人駅。
杉林のなか、ローカル駅の郷愁。
無防備な首筋を冷気が撫で、レザーパンツ越しには秋風の奔流。
バイクを停め、ウィンターグローブを装着。
エメラルドの飛騨川越し、村の酒屋の向こうは黄昏の予感。
先はまだ長い。急ごう。
3.霧立ち上る…
道幅だけは広い、苦笑したくなるような国道は、ほぼ産業道路か。
大型車の通行で削られ果てたその路面は、痛々しいまでに継ぎ接ぎだらけで、それでも数河(すごう)の高原へ続いていた。
連続するヘアピン、高速コーナー。
ブーツの先端が路面を掻き、心地よい擦禍音をたてる。
吐息でシールドが曇る。慌ててベンチレーターを解放。
途端、脳天を突き抜ける、棘のような冷風。
この地の秋が終わりつつあることを知る。
高原に辿り着くと、そこはなだらかな丘陵地帯。
道沿いの集落に混じり、観光客相手の飲食店も垣間見える。
嘗ては夏ともなれば涼風を求めて人が集い、冬ともなればスキー客で賑わったであろうこの地も、今は失われた20年の遺産に変わりつつある。
バブル、円高、デフレ、プライマリーバランス崩壊、そしてスタグフレーションにも似た“売国政権”時代…地方は此処まで疲弊し、それでも民は耐えている。
締め切られた引き戸の向こうに、仄かな暮らしの灯が燈る。
『 秋風蕭蕭愁殺人 (しゅうふうしょうしょうとしてひとをしゅうさつす)
出亦愁 (いずるもまたうれい)
入亦愁 (いりてもまたうれう)
座中何人 (ざちゅうなんのひとぞ)
誰不懷憂 (たれかうれいをいだかざる)
』(古歌:詠み人知らず)
末枯(うらが)れる山々も、いよいよ黒々と蔭をさす
『
一葉落知天下秋(ひとはおちててんかのあきをしる:
淮南子)』
この国、いや郷(クニ)に一葉が落ちたのは、一体いつのことだったろうか?しかし、今ならまだ、間に合う。
やるせない思いで、国道から路地へ。
細い農道へ乗り入れる。
よく手入れされた則面の向こうには、農ビハウスの天蓋。
透明のポリオレフィン越しに、絹雲たなびく秋の夕暮れ。
振り返れば、陽は白山の山端に沈もうとしていた。
そぞろ寒い晩秋の高原、釣瓶落としの空。
絢爛たる色彩が、まるで波荒き海のように-
今夜の宿まであと数十キロ
気がつけば、お昼から何も食べていない。
ひもじい。
晩ごはんは何にしようか?
【第二章:11月3日】
1.朝餉前
奥飛騨、新平湯の温泉街。
早立ちのバイク乗りたちが、せわしなく通り過ぎる。
入り混じるエンジンの音で、目を覚ました。
秋冷に身が凍える。
慌てて羽織を身にまとい、下駄をつっかけて表へ出る。
庭の紅葉は濁りなく紅く、白い吐息が見る間に蒼天に消えた。
車載工具を取り出し、単車のサスセッティングを変更。
以前のセッティングでは、旋回中“ちょっと落ち着かない”程度だったのだが、操縦者が“
大きくなった”ため、今度は立ち上がりで“アンダー出まくり”になってしまった。
より“
実情”にあわせるため、フロントのイニシァルとダンパーを2レベルほど硬くした。
石碑に刻まれた、『奥飛騨慕情』を口ずさむ。
応えるように、おなかが「ぎゅ~!」と鳴る。
まだごはんを食べていないのだ。
ひもじい。
2.蒔絵の里
朝ごはんの後、宿を取り巻く里山のひとつに、登った。
今日の道程は短い。奥飛騨の旅情をたっぷりと味わうため、敢えて時間を濃密にかけることを前提とした、そんなプランだ。
観光の臭い少ない、寒露に湿った狭路。
朴の樹が一本、ぽつりと温泉街を見下ろす。
錦色に開いた、大地の蒔絵。
人の手などかけなくても、世界はこんなにも表情豊かだ。
自然は圧倒的なまでの芸術そのもので、最新のCGも、高度な画像処理も、これにだけは追いつけない。
背中と、肩と、肘に埋め込まれたプロテクターさえも通り越して、秋の匂いが私の身体に染み込んでくる。
裏まで季節の移ろいを染み込ませた大きな葉が一枚、はらり、と落ちてきた。
…大きくなったなあ。
3.穂高の懐へ
神通川の支流、蒲田川沿いの谷筋を、駆け上がる。
観光客が群れる景勝地を外れ、北アルプス南端を望む草原に踏み込む。
幾度とない流浪で見つけた地で、穂高連峰、天を研ぐ槍ヶ岳とひとり、向き合う。
私だけの、とっておき。
薄の原のすぐ先には、槍ヶ岳の巌塊。
『
すべてのものの外皮が 冴えわたって透きとほる』(『秋』:高橋元吉)
無音にして何と饒舌な、この大地よ!
荒々しい断崖と、絢爛の紅葉に見とれていたそのとき-
突然、携帯の着信音が、清廉たる空気を震わせた。
『
ワルキューレの騎行 第三幕』である。
静謐と荘厳が織り成す大地の蒔絵に心奪われている最中、いきなり大音量でこんなもの聞かされてみるといい…マジに電話してきた奴に殺意を覚えた。
(無粋な…)
舌打ちしつつ、無造作にそれを耳に当てた瞬間…!
「貴様!いつ帰ってくるのだ?」
…???
「夕べは帰ってこないし、食事が無駄になってしまったではないか!」
!!!!!!!!
…そう言えば、
帰る日をまったく告げていなかった。
「…」
受話器の向こうから、無言のプレッシャーが漂ってくる。
薄紅色の、ザワザワした感じがおぞましい。
…
またやってしまった。これで2度目だ。
手の震えがとまらない。冷や汗と脂汗が、じっとりと背中を伝わり落ちる。
無言のまま通話を切り、そのままメールと『何シテル?』に以下の修辞を書き込んだ。
『
またやってしまった…おかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめん
なさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめんなさいおかあさんごめん』
…後は“野となれ山となれ”、である。
4.峠越え
平湯の温泉街を素通りした。
当初はここでお昼ごはんにお蕎麦でも食べたかったのだが、ファミリーやカップルでごった返すお蕎麦屋さんはご免こうむりたい。
真っ直ぐ行けば安房峠の長いトンネル。
この有料道路の完成は1997年。長野オリンピックの開催にあわせて開通した。
この道路が開通するまで、雪深い飛騨と信濃の地は真冬になると寸断され、行き交うには長大な迂回路を必要としていた。
言うなればこの道は、本当に必要な公共投資の賜物なのだ。
しかし、今の私は、
一人旅のバイク乗り。
寂寥の季節を味わうには、この道は乾きすぎている。
追分道を左へ旋回、迷わず旧道へ車体を傾ける。
四輪一台がやっと通れる程度の、細い道-旧国道158号。
路面の所々が陥没し、通り過ぎた傍から、枯れた落ち葉が舞い上がる。
頭上の梢は曇天に暗く、山々は幾重にも金色の錦。
シフトダウンとブレーキング、内足を踏みしめ、外足ごと腰を捻りこむ。
長い車体がバンクしはじめたら、クリッピングポイント手前で右手を捻る。
旋回力が増し、重力が変位する。
排気音が一段と高くなり、外足には起き上がろうとする車体の抵抗力が強くかかり、それが気分を高揚させる。
幾度となく繰り返す、飽きることのない、素敵なプロセス。
白樺とブナの樹林が視界を包む。
峠の中ほどを過ぎた頃-
谷を渡る風に、鉄錆を帯びた匂いが混じりはじめた。
(
降るか…?)
エンジンを切り、南西の空を仰ぐ。
乗鞍の姿は見えるも、空は薄鈍色。
遠景の明度が、刻々と落ちていく。
あまり余裕はなさそうだ。
麓に出るのを待たずして、氷雨がぽつり、とシールドを叩いた。
それは下りゆくにつれ、にわかに飛礫(つぶて)の数を増していく。
路面は見る間に、薄墨から烏色に変わり、なめした様な光沢を放ち始める。
道はいよいよ狭くなり、きついヘアピンのつづら折れ。
コーナーは、コンクリート剥き出しの簡易舗装に固められ、いかにもグリップに心もとない。
雨粒に枯葉が叩かれ、舞い落ちる落ち葉の数が増えてきた。
見る間に路面が黄色く変わる。
ダート走行の如く、フォームをリーン・アウトに切り替える。
ペースダウン…聞こえてくるのは、雨脚の零れる音色。
寒さが漠然とした不安に姿を変え、私の心に沁みてゆく。
それでも、オートバイの一人旅は、こんなものだ。
風の冷たさ、雨の厳しさ、炎天に焼かれ、寒風に凍てつく…何より、アクセルを捻らねば、安定しない車体…支え無しには自立さえできない。
辛い時間を10とすれば、楽しい時間は1割程度だろう。
それでも、バイク乗りは走り続ける。旅を繰り返す。
水煙の彼方にある、陽光の温もりが-
炎天を耐えた後の、時雨の優しさが-
何物にも換えがたいほど素晴らしいことを、知っているから。
この道も、あと数週間で雪に閉ざされるのだろう。
それにしても、私はいつお昼を食べられるのだろう。
寒い、そして
ひもじい。
5.誰も知らぬ道へ
白骨の温泉を過ぎた。
明るく黄色い落葉の道と、年季深い漆黒の木造旅館のコントラストに、風情を感じないではいられない。
“混浴”の二文字に心が揺れるも、これ以上叱られるネタを作っても仕方ない。
妻子がおありなのに、これに目がない某氏の強い心が羨ましい。
涙を飲み、乳白色の露天風呂を通り過ぎる。
乗鞍スーパー林道B線。
ああ、寒い。
お昼ごはんが食べたい。
ひもじい。
複雑な心模様と対を成すような周囲の紅葉錦のなか、一本の脇道が目に止まった。
それは、堆積した落葉に覆われ、雨に濡れた樹林帯を縫い、渓流沿いに南へ向かって伸びていた。
苔むした岩が多少のガレ場を作っているが、そんなにハードではなさそうだ。スーパーモトの足回りなら、何とか走破できるかもしれない。
冬枯れかかった未舗装林道…何かを見せてくれそうだ。
これは行かなくては!
濡れた路面の土色は、重く締まっている。
ゴアテックスのブーツが、熊笹の葉から雨雫の洗礼を受ける。
…何とドラマチックな世界なのだろう!
白樺林の霧の谷…浮遊する雫はたなびくこともなく、冷たくまとわりつく。
それは駆ける私の直前でふたつに割れ、背後でまたつながっていく。
小さな渓流には、紅、金色の落葉が浮かび、流れ、岩間に飲み込まれていく。
霧の海に漕ぎ出した一艘の小舟のように、私はゆっくりと、深山に分け入ってゆくのだ。
此処は現所(うつしょ)なのだろうか、それとも私は、夢幻の仙境にでも迷い込んでしまったのだろうか…!?
『
山園柿熟 烏銜去 (さんえんかきじゅくし からすふくんでさり)
渓澗蕈稠 人負帰 (けいかんきのこおおく ひとおうてかえる)
市遠不看 塵漠漠 (いちとおければみず ちりのばくばくたるを)
林深只見 霧霏霏 (はやしふかければただみる きりのひひたるを)
欲尋他日 棲身處 (たずねんとほっすたじつ みをすましむるところ)』
私はひもじいのも忘れ、ただ夢中でこの霧の谷を泳いだ。
写真がないのは、熊が出るのが怖くてバイクを停められなかったからだ。
残念。
6.雨の乗鞍高原
長くもあり、短くもあった夢現(ゆめうつつ)の道。
その先は本日の目的地、乗鞍の高原だった。
突然に拡がった、樺の林。
雨粒にはいつしか、霙(みぞれ)が混じるほどになっていた。
木枯らしはいよいよ強くなり、樹木の枝からは次々と枯葉が連れ去られていく。
何百という枯葉の影が、曇天に舞い上がり、梢はざわざわと悲鳴をあげる。
私は、新緑の季節、山々が薫風に揺れる姿を“笑っている”と比喩するが…乗鞍の山風に千切れていくこの林の姿はまさしく、“
泣いている”ようだ。
7.弛まない食欲
…それにしても、
ひもじい。
考えてみれば、この旅に出るまで、つまり仕事缶詰状態だった頃、おやつも入れて私は一日6回、ごはんを食べていた。
それが旅立ってみれば、この2日間、ごはんは朝、昼、夜の3回となっていた。
ごはんの回数が半分になれば、それはお腹もすくに決まっている。
今は午後3時、今日などは朝ごはんを食べてから、何も食べていない。
ひもじいのもあたりまえだ。
気がつけば私は、高原のお蕎麦屋さんのテーブルについていた。
ざる蕎麦をオーダー、“痩せろ!”という嫁の命令を思い出し、敢えて大盛りは頼まなかった。
にもかかわらず…
にもかかわらず、だ!
お店のおばちゃんが微笑んで出してきたのは…
…“
大盛り”、だった。
しかも、デザートの“
りんごの煮たやつ(名前は知らない)”もサービス…。
曰く「メニュー見てたとき、お兄さん“
目が血走ってた”からねえ…よほどお腹がすいていたのかと思って…」
…ありがたくいただきまいす。
乗鞍の神は私に、“
もっともっと大きくな~れっ”と仰っているらしい。
宿に着けば、2時間後には晩ごはんだ。
その前に、
寝る前のおやつを買わなければ。
【11月4日】
1.秋の終わりに
木枯らしは止まない。
早朝の一の瀬園地。
宿を出た私は、濡れるのも構わず、去りゆく秋を見ていた。
そう、私の周りは、全て秋の終わり…世界は全身を使って、それを知らせていた。
白樺の梢も、遠くの山々も、道端の草葉も、一木一草、濡れたアスファルトから薄い雨雲まで、全てが-
移ろう季節を伝えていた。
今年の旅も、これで終わりだ。
唐松林を抜けて、峠を下ろう。
峠の向こう、木曽の地にはきっと・・・陽だまりが待っている。
2.陽だまりのもとへ
今年最後の、山岳道路。
行こう…太陽を求めて!
行こう…万感の思いを添えて!
(11/4 11:01 何シテル?より)
『 濡れたカラマツの落ち葉が敷き詰められた金色の道は、バイク乗りには悪魔の道だ。
路面を愛撫するように減速…旋回中は内足、外足、膝の荷重から気が抜けない。立ち上がりの右手は、針に糸を通すように…。
やがて終わる旅路は、幾重もの稜線を紡ぎ、四肢は最後の緊張感に火照る。
それでも峠を過ぎた頃には、陽光の祝福が待っていた。』
3.家路
帰ろう。
うちに帰れば、おいしいごはんが待っている。
嫁が待っている。
柴犬が、ぬこが待っている。
そして…明日から仕事だwww
平成二十五年十一月四日(某氏に指摘されてなおした)、今年も無事、バイク一人旅にピリオドを打つことができた。
私の無事を祈ってくれていた全てのものに、
感謝!
…ひもじい。