2015年12月23日
もっと早くに知っておけば良かったと感じるのが、岩合光昭氏(BS・NHK)の世界ネコ歩きという番組。幼少の頃から猫と暮らしを共にしてきた私は、その優しさと朗らかさ、そして神秘的なところをよく理解してはいるが、この番組によって彼らに対する畏敬の念が更に深まって行くのが判る。
今日、YouTubeにてバックナンバーの津軽編を見たのだが、とにかくその内容が素晴らしかった。リンゴ園で暮す猫の家族。田んぼで人の生活に溶け込む猫。そして極め付きが雪中猫。メークーンのような毛長雑種と思しきその佇まいたるや、まるで精霊。否、秋田のなまはげかそれとも山姥か。凛としてカメラを見つめるその神々しさに、生ぬるい人間の私は、ただただ脱帽。
今年も冬も力強く生き抜いてくれと祈るばかり。
Posted at 2015/12/23 19:47:36 | |
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2015年12月12日
足を負傷して二ヵ月ちょいが過ぎる。三週間ほど入院したのだけれど、当初はその期間でほぼ回復するだろうと思いきやさに非ず。傷口が塞がり腫れも引いてビッコを曳かずに歩けるようになるのはまだまだ先のようだ。ちょとした骨折なんかは病院に行かずに自力で直していたような自分なので軽く考えていたのだが、今回ばかりは違ったようだ。それだけ重症みたい。
ほんとは退院したらすぐにでも仕事復帰するつもりでいたのだが、とてもじゃないが腫れて痛くてそれどころではなかった。結局のところ読書などをしながら家でじっと。・・・でもそれじゃ気が狂いそうになるのでちょくちょく職場に顔を出して様子を窺う。今まで世間一般の休暇日数とは縁遠かった私なので、家族も会社も良い機会だから体を休めろと言ってくれているのだが、やっぱ、そうはいかないね。なんせ、仕事をせずにいると心が萎えて来るから。
でもここのところ考えが変わり、仕事も任せて会社に顔を出すのは止めた。人生の終盤に差し掛かった私としては、やっぱり今は心身ともに静養が第一。残されたこの先の人生、何を護り何を残すのか真摯に見つめよと天から叱責されているのだろうから。もちろん、労災との兼ね合いもあるけれど、自分がいなければってな感じの自負心も単なる勘違いってこともあるし、部下達からすれば要らぬお世話ってこともある。
社会とはちょっとばかり距離感のあるそんな今の自分なので、当然、意識の向かう方向に変化が現れてきた。そう、無性に里山というものが恋しくてたまらなくなってきたのだ。生れは都会だったが、多感な少年時代は自然豊かなところで過ごした自分なので、父も母も若く、また、兄も癌とは無縁の実に屈強な大将だったあの時代にどうしても魂が帰って行く。
それは怪我が原因で少しばかり気弱になっている男の単なる退行現象・逃避行かもしれん。だけど強烈に、己が帰るところを改めて気付かされたと感じるのだ。結局のところ、人間が次の世界へ旅立つ時に持って行くものとは、愛する家族や友人との繋がりの記憶なのだろう。周知のごとく人間は精神と物質の二面的存在であり、その双方の幸福を求める。青臭い僧侶のように物質的幸福を否定するのは確かに偽善だが、しかし、やっぱり人の本質はそこにはない。
てな感じで、ちょっとばかり哲人ぶる私はとても身近な所で素敵な里山を発見してしまった。いつも家族で出掛ける買い物ルートのかなり奥まった裏道を暇潰しに独りB4で走っていると、偶然目の前にその光景が広がったのだ。まさかこんなところにあの麗しき記憶が・・・。なんか、キツネにつままれたような、正しくそんな感じだった。「実は俺、死んでたりして?」みたいな。
稲藁が干された田んぼ。色付いた椚の林。大きな銀杏やメタセコイヤが構える鎮守の杜。そして何処からともなく漂ってくる炭焼きの香り・・・否、石炭か? この辺りは未だに石炭で風呂を沸かしているのか? 日本人であるが故に感じ取ることの出来る世界なのだろうが、なんなのだろう、この何物にも代え難く、また、胸が締め付けられるように恋い焦がれる世界の実体とは。
Posted at 2015/12/13 00:24:49 | |
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