
零式艦上戦闘機。
果たして、今の人にはどのように感じるものだろうか?
格好良いもの。
美しいもの。
本日が最後だという、所沢航空記念公園にいる零式艦上戦闘機に会いに行ってきた。
時間ギリギリでの入場ではあったけれど、なんとか見ることができた。
若い人、お年寄り、家族連れ。
この人たちは、零式艦上戦闘機の何を見に来たのだろうか?
どういったイメージや目的で見に来たのかが入場までの列を見て気になった。
何十年も前のものとは言え、戦争に使用されたもしくは使用した道具だ。
格好良いとか、美しいとかというイメージは否定はしない。
戦争反対も否定はしない。
しかし、武装解除されていて時代遅れとは言え。。。間違いなく。。。戦争の道具なのだ。
憧れがあるのも事実。
所有してみたいと思うのも事実。
私でもそう思った。
それは誰しもあることであり、現実に残っていて所有されている。
レプリカもある。
模型も、DVDだってある。
それと同時に。。。戦争を体験したものであり、使われたものであり。。。
悲しみを別れを生んだものでもある。
きっと、戦争に勝っていたら。。。そうは思わなかったかも知れない。
現代の戦闘機が格好良いと思うのも。。。他国の遠いところでの戦争だからかも知れない。
現実に目の前で戦っていたり、体験していたりしていないからかも知れない。
零戦を前にして、果たしてこの人だかりは何を思うのか。。。
正直、静態した零戦を前にしたとき、何も思わなかった。
いや、思うことができなかったというのが正解かも知れない。
ひとり静かにゼロ戦に手を置いて対話ができれば。。。きっと何かを思ったのかもしれないが。。。
あまりの人だかりと雰囲気にそんなことを思う暇がなかったのが正直なところだ。
そう、ここにいる人だかりは、この零戦をどう思っているのか。
それが頭の中のほとんどだった。
残念ながら、エンジン始動とタキシングには参加できなかった。
しかし、せめてエンジン音だけでも。。。そう思い、覆いを隔てた外から聴くことにする。
同じことを考えてか、外の芝生には人が集まり座っている。
その中へ入り、私も座って。
長い静寂の後、バラバラバラとエンジンがかかった。
想像していたより、静かだ。
まるで、ハーレーのエンジン音でも聴いているような感じ。
しかし、それはかなり無機質な音。
生きていない。
生きていないというか、生を感じない。
限られたスペースの中を、動き始める。
まあ、覆いの外から動きをイメージしてのエンジン音なので、こんなものだろう。
そう思った。
きっと、当時このエンジン音を聴いた人達には様々な思いがあったに違いない。
勝利を上げている中での、勇ましい音。
苦戦を強いられている中での、不安な音。
生きて帰ってこられるかどうかわからない中での、別れの音。
その当時、その時々で。。。
見送った者、そして飛び立った者。
始動のときにどう思ったんだろうか。。。
さて、これで終わりかと思ったところ、状況が一変する。
まさかあの狭い中では、スロットルを開けるとは思っていなかった。
しかし。。。突如として上がるエンジン音。
今までその場所から聴こえていた音が、方向性がなくなり、全てのところから聴こえる。
エンジン音だけに包まれた不思議で不気味な感覚。
まるで、景色が止まるのだ。
零戦が私に訴えかける。
その瞬間、今にも飛び立とうとするかのように、一瞬にしてエンジン音が逸走を始めた。
と同時に、一気に涙がこみ上げた。
ただそこにあるのは、何十年も前の零戦であり、単なる古い戦闘機だ。
今の状況的に、戦争でもない。
しかし、零戦があげたエンジンの一瞬の逸走は、その音は。。。
私に衝撃を与えた。
目の前から零戦が大切なものを乗せて旅立ってしまう悲しみの。。。別れの合図に聴こえた。
涙が止まらなかった。
なぜか涙が止まらなかった。
周りに人がいる。
だから見られたら嫌だ。
必死に止まらない涙をこらえて。。。
一瞬にして悲しみへの別れへの牙を剥いた零戦。
ほんのわずか前まで、静かにエンジン音を奏でていたはずなのに。
きっと色々な思いを載せ、そして色々な悲しみや別れを作り、旅立ってきたことだろう。
会場からは拍手が聴こえた。。。
しかし、素直には喜べなかった。
捕獲した側からすれば、単なる保存したい戦闘機だろう。
格好良いとか、きれいとか、美しいとかといっただけならば、拍手でも良いだろう。
平和な日本だから、会場の狭い一区画で零戦が牙を向いても大丈夫なのだろう。
でも。。。もしかしたら、復活させるべきものではなかったのかも知れない。。。
もし、全ての零戦が失くなっていたら。。。格好良いとか、美しいとかでも良かったかも知れない。
今目の前で牙を剥いた無機質な零戦と私が涙した悲しみや別れへの思いと会場の雰囲気とのギャップがとてもなんだか辛かった。
私はもちろん、戦争なんて体験したことはない。
涙を流すのがおかしいと言われれば、おかしいのだろう。
しかし、でも不思議と頭の中に映像や場面が浮かび上がるのだ。
死んでいったであろう英霊たちの姿が。
果たして、あの会場で私のように涙を流した人がいたのだろうか。。。
私の唯一の弱点は、大戦中の話だ。
大戦中の話をされると、無意識のうちに涙を流してしまう。
声を押し殺して泣いてしまう。
今の平和な日本を築き上げ、そのために死んでいった英霊たちの事を考えると。。。
帰りはずーっとブルーな気持ちだった。
私は英霊たちに恥じないような生き方をしてきただろうか。
今、恥じないように生きているだろうか。
静態している零戦を見るだけでは本当の怖さを知ることはできない。
不気味なまでの無機質な零戦が牙を剥いたとき、本当の零戦が。。。そして零戦が伝えたいことが伝わるのかも知れない。