11月12日に
横浜赤レンガ倉庫で開催されたクラッシックカーイベント
地元ながら昨年は行けなかったので初参加でした。

歴史ある赤レンガ倉庫での展示だけあって旧車がものすごくマッチしていましたね。

並んだホンダスポーツの内、1台のオーナーの方とお話できたのですが
手掛けてもらっていたショップでも手に負えない事態が起きた時に
茂木の山奥にある看板も出していない修理工場を知る機会があり
そこまで車両を持って行き無事レストア出来たことがあったそうです。

敷地内にはエスロクやエスハチのエンジンブロックも多数保管され
ホンダの旧車を新品同様の状態まで持っていけるだけの様々なストックがあり
その工場を一人で切り盛りしているご老人は実は元ホンダのエンジニア。
ツインリンクもてぎ内のホンダコレクション車両の修理やメンテも一手に引き受けている重鎮で、ふらっとコレクションホールに立ち寄っても職員総出でお出迎えが始まるのだそうです。
神話みたいな名人って実際に居るものなのですね。
BMW600
イセッタそっくりですが厳密には別物と言ってもいいかもしれません。
後部ドアもありホイールベースが長いのとデフが追加されリアトレッドがかなり広がっているので
普通の4輪車に見えるバランスになっていましたね。
ジャガーEタイプ前期型
実車で見たのは多分初めて。
規格品サイズのヘッドライトに変えられた後期モデルとは
全く顔つきの印象が異なりますね
やはり本来のデザインで観るのが一番美しいクーペだと思います。
S130こと
2代目フェアレディZ(ターボモデル)
何となく不人気イメージのあるS130ですがこうやって観ると60年代の典型的なスポーツクーペのデザインだった初代Zのカタチに80年代の要素を上手にプラスしていると思います。
とても2000ccとは思えないほど長く大きなL20型直列6気筒エンジン
エアクリーナーがエライ所に着いていますが最初からでしたっけ?

歴代フェアレディがこうやって並ぶとZ31、32も並べてデザインの変遷を一望したい気持ちになります。
イタリアとアメリカの融合
デ・トマソ・パンテーラ
スーパーカーブーム真っ只中に生まれた典型的なイタリアンデザインスーパーカーなのにエンジン音がアメリカンV8という異端児
当時リアルタイムにブームを経験していた私ですが周りでの人気はあまり高くなかった様な記憶があります。
日野コンテッサ

イタリア車の並びに紛れていても全く違和感の無い姿はさすがジョバンニ・ミケロッティデザイン
クルマに詳しくない方達はコレが日本車、しかもトラックの日野自動車製とはにわかに信じられないといった反応でした。
説明不要の
アルピーヌA110
コンテッサの隣ということもありここからRR車の流れになっていましたね。
ルノー8がここにあれば更に完璧だったのですが
これは同じA110でも初期の1100でしょうか

小さいヘッドライトやサブライトが無いシンプルな顔立ちは後のコンペティションで大活躍する姿とは全く関係のない印象を与えます。
メルセデス・ベンツSL(2代目)
私の好きな縦目時代のメルセデスですが右ハンドルは珍しく初めて見ました。
オーナーさんに話を伺うと当時日本で登録された最初の右ハンドル仕様だそうで
日本に到着してから手元に来るまで数ヶ月も待たされたそうです。

新たに右ハンドル仕様の型式を登録するのに時間がかかったらしいのですが
本来左側通行の国に適した仕様の方が認可に時間が掛かり、適していない左ハンドルが次々とオーナーの手に渡っていくのはどう考えてもおかしいと思われたそうで、全くそのとおりだと思います。
ロータスセブン
ケータハムはよく見ますがオリジナルのロータス製は初めて見ました
ずらりと並んだ
VWカルマンギアクーペ

クラッチ操作を自動化したセミATスポルトマチック仕様までありました
こちらは珍しいファストバックのクーペ

この角度だとプロトタイプ911に似ていますね
初代ホンダシビック
当時としても珍しいですが今や何台動いているのか分からない
AT(ホンダマチック)仕様です。☆マークが当時から不思議でしたね。
ATの設計をボルグワーナーから断られたホンダが「だったら自分達で作ってしまえ!」とボルグワーナーの特許に引っ掛からないように設計したという話はまさに本田宗一郎の「よそが作らないものを作れ」精神の現れと言えますが
今だったら無謀すぎる行動と言われそうです。
ホンダシティ(&モトコンポ)
このシティ、かなり貴重な存在で
唯一現存するタイプEというグレードだそうです。
当時オーナーさんはモトコンポが欲しくてバイク店に行ったら「ホンダシティとセット販売だからクルマの方のホンダに行ってくれ」と言われたそうで
結局モトコンポが欲しいだけだったのでOPでエアコンすら着けられない最廉価グレードを購入されたのだとか。

更に和光のホンダ研究所でモトコンポが大量処分されるという話を聞きつけ
即、出向き
全部買い取って行かれたそうでその時のモトコンポは今でも完動状態で販売もされているそうです。
旧車イベントならではのこういうシールも懐かしいですね

トヨタクラウン(初代)

ワンオーナー車で持ち主が亡くなられた後、神奈川トヨタで引取りレストアを行い
今年自動車関連のニュースサイトに挙がっていた車両です。

仕様表のプレートに「コロモ市」とありますがこれは現在の豊田市の事で
都市の歴史をも語る証人であるわけです。

トランクは思ったりも広く、スペアタイヤを外せば相当の量を積めると思いますが
クロスレンチの右側にある丸い蓋はなんと給油口で荷物を満載していたら給油の時に降ろさないといけないわけですね。

乗り降りはかえってしやすいはずの観音開きドア
ただBピラーは側面衝突のことは考えたくない細さですね
ちなみにフロントシート座面の下にバッテリーが設置されいて偶然にもハイブリッドカーや電気自動車のバッテリー配置に通じるところでもあります。

確かにエンジンルームにバッテリーがありません。
フェンダーに開いたサメのエラのような穴は熱対策に開けられているもので
当時の冷却系の貧弱さを物語っている気がします。
雨の日に走って大丈夫なのか?と思いましたがよく見るとタイヤの巻き上げる水とは逆方向に穴が開いているのでエンジンルームが水浸しにはならないそうです。

これは今で言うウインカーでBピラーに仕込まれた電磁石でポコッと飛び出るわけです。
当時はこういうのが当たり前でバスやトラックもみんな曲がる度に板が飛び出していたとか
クラウンは電球が仕込んでありますが只の板のほうが多かったそうです。
今回作動するところをご厚意で見せて頂き貴重な体験ができました。

日も暮れ始め解散の時間となってもまだ観客が引く感じは無く
1台1台と帰路に立つクルマ達を名残惜しそうに見送っていたのが印象的でしたね。
果たして数十年後、今時のクルマが同じように接してもらえるのでしょうか・・・
ーつづくー