
なんだかんだ言ってもワタシは首都高が好きです(笑)。
20代の頃イノチを鉈で削って走っていたという黒歴史もありますが、それにしても40代になった今でも首都高に入るとちょっとだけワクワクしてしまいます。
冷静になってみると、こんなに道路計画がヒドイ道もありません(爆)。
分岐は左右お構いなしだし、合流だってブラインド状態から突然で知ってないとビックリするでしょう。
もっとも古いC1なんか河川を埋めて作っちゃったもんだから道路真ん中にイキナリ柱脚が登場してますし、そうかと思えば空中に駆け上がってウネウネとビルを縫って変則カーブが続きます。
なのでマトモな直線なんてほんの僅かです。
そんなワケでアップダウンも激しいなんてもんじゃなく、コレは安全が保障されてない自己責任型ジェットコースター。しかも乗りモノは自前という投げやりな大人の遊園地なのですね(笑)。
ワタシが首都高に出没していた頃は1990年前後ですが、当時はいわゆるバブルの終焉一歩手前で走ってくるクルマもカネの掛かったスゴイのが多かったです。
首都高の王者GT-RはR32がメインで、ぼちぼち33が出てきた頃です。もちろんノーマルなんていません。Rなら掛け値なし600馬力がゴロゴロの世界です。
S13シルビア&180SXもすっかりSR20時代になっていて、カリカリのビックタービンハイブースト仕様があたりまえ。ここまでどうやって走ってきたの?と疑問なぐらいに低速を捨てたスゴイのも居ました。
RX-7はまだFC3S時代でもちろんレギュラーの定番。湾岸有明辺りの路肩でよく燃えてましたね(爆)。
各所のPAにはオプ●ョンやCR●BOYに掲載されていたクルマがそのままそこにある、みたいな感じで見学族(いわゆる雰囲気組)を喜ばせてました。
当時ワタシは駒形PAを根城にしておりまして、有名チューナーやスンゴイのが集まる辰巳や大井とは距離を取ってました。あっちは週末なんかクルマ入れられないほど混んでましたから。
走る日は水曜か木曜の未明、当時埼玉のハズレに家がありましたから夜中2時ぐらいにゴソゴソ起き出して最寄りのインターから首都高に乗り、駒形PAでまずはタバコ一服とお茶(笑)。カンコーヒーじゃなくて「お茶」がワタシ流で、なんか当時それがオマジナイのように流行ってしまって某雑誌に掲載されて焦ったことがあります(笑)。
クルマのチェックとチョーシを見て3時ぐらいからスタート。C1なら内周り2周、湾岸なら中央環状を抜けて大井戻りで1周が基本ルート。当時はハープ橋はあってもレインボーブリッジないですからね(笑)。
もちろんチョーシ悪い時はそのまま箱崎で降りて下道を帰る事も暫し。
今も昔もおカネないですから、クルマ壊したらイチ大事なワケです(笑)。
で、ノルマ終えると向島ICで降りて一緒に走ってた仲間と6国沿いの早朝ファミレスで反省会(笑)。
ワタシは職場が葛飾にあったので、その後ナニゴトもなかったように出勤です。
最盛期で7~8人居たかなあ、そんなバカが(爆)。
ワタシのクルマは白のレガシイRS-Rで、最初は前置きICにTD05Hのタービンで立ち上がりレスポンス狙い仕様。追加2本をレビックで制御という今となっては懐かしい方法でした。そのうちGT-R対策モワパワーでTD06Sになりました。アシは特注で作って貰ったエナペタ車高調ショート加工でF6のR9というオキテ破りのバネレートを使ってアンダーステア対策。当時のフルタイム四駆はフツーに攻めればドアンダーになってしまいます。首都高はエスケープないので高速アンダーは危険極まりないのです。そのあたりアンダーセッティングで踏んで曲げるFCやGT-Rとは違う一面なのです。
あの頃本気で(と本人が思っている)走っていたヤツは皆、自分のしてる事の愚かさと危険極まりなさを理解してました。一般車にメーワク掛けてるなあという思いもありました。自覚しながらひどい事をしていたのですからホントの大バカモノです。
ソレだけ首都高はスリルとコーフンに充ち溢れていたといえばそれまでですが、そんな事は正当化する理由になりません。
なので本当に親しい友人とは走りませんし誘いもしなかったです。自分のやってることが馬鹿げているのが解っていてもヤメラレナイのですから、絶対他人になんか勧められませんよね(笑)。
(ホントはワタシの友人はとても速いので誘うと自分の立場が危ういから)
一緒に走っていたヤツも首都高以外で会う事はなく、一人減り二人減りとしていくうちに何となくワタシも遠ざかってしまって、その頃手に入れたジムニーでM谷に行くのが面白くて面白くてどーしようもなかったようになってしまったという顛末でした。
まさに「道を踏み外した」ワケですね(笑)。
先日、「湾岸ミッドナイトC1ランナー」という漫画が終わりました。
なのでこんなカミングアウト的昔話記事を書く気になったんですけど(笑)。
前作の湾岸ミッドナイトからずっと愛読してましたが、正直本気で走っていたヒトにすればアレ、「おとぎ話」ですよね(爆)。
現実はもっとエグくてどーしよーもない無法で無謀な世界です。
一般車への強引な割り込みもスレスレのすり抜けも当然で、正直知ったこっちゃありません。わざと遅いクルマを使って相手の行く手を阻んだり、一車線合流で飛び込んでビビった一般車を利用して追手との差を広げたりとまさにヤリタイ放題(爆)で、とにかく優劣を付けるには相手より前に出てること。
一度走り出してしまえばそんな観念の世界や解ったふうでは終われないのです。
あのままもし走り続けていたら、結構な確率で死んでたかもしれません。
妻の顔も見ず今の仲間とも会えず、一人大迷惑掛けて散って行ったかもと思うと、ココでバカ文を書いてる自分の現実に胸を撫で下ろしてます(笑)。
道を踏み外して「極道」の世界に行ったことはワタシにとってイイことだったのです(爆)。
今、首都高に入るとそんな昔を思い出しながらゆっくりと左側を走ってます。
ランサーでもC200でもサファリでも一緒です。
特にサファリは見晴らしが良いので、東京の移り変わりを眺めながらのドライブは気持ちがイイですね。渋滞してなければ(笑)。
同乗者からは「スムーズだね」とはよく言われますが、それは身体が分岐合流を覚えてるので事前に車線を無意識に変えてるだけです。
一応、あんな経験も多少は役に立ってるのかと思うと、少しだけ気が楽になりますね(笑)。
当時から比べていろんな道が出来て、環状ルートも随分と選択肢が広がりました。
天気に左右されずに踏める山手通りの中央環状トンネルやその出口のラセングルグル。5号池袋線でもループ出来るようになって中速コーナーで面白そうなトコロが増えました。湾岸線も空港中央が抜けてからはこっちが踏み切りゾーンにいいようなカンジです。
まさに世の中のカーブの大半はココにありますね(笑)。道的には恵まれてて良い時代だと思います。
今本気で首都高を走ってる輩がどれだけ居るのかは解りませんが、バカOBとしてヒトコト。
ワタシの免許が痛むわけでもないのでいくら捕まっても構いませんが(爆)、ホントに事故には気を付けて頂きたいものです。
当たり前ですが自分も他人のもイノチは大切にして頂きたいのと、空いてる筈の時間帯での事故渋滞、ほんとにオジサン怒っちゃうよ(爆)。