MAZDA Fan ENDURANCE in SODEGAURA Forest-Raceway.
------- 2017/10/21 23:38 国際宇宙ステーション(ISS) ------
国際宇宙ステーション(ISS)でミッション中のパオロ・ネスポリ氏は、観測用の小型ユニットから撮影した写真をTwitterに投稿し、
「どうか無事で!」と日本の安全を願った。
写真からは分厚い雲に覆われた中心部にぽっかりと開く、直径80キロメートルほどの巨大な目が形成されているのが見て取れる。
海外のメディアも
「最大級の台風が日本に接近」との見出しで報道。猛烈な台風
『スーパータイフーン・ラン』が、勢いを増しながら日本列島に近づいていると伝えた。
Paolo Nespoli氏のTwitterより転載
------- 2017/10/22 5:07 国道15号線 六郷橋付近 ------
AZ-1生誕25周年記念チームの助っ人ドライバー
『助六氏』は、マツ耐で袖ヶ浦フォレストレースウェイへ向かう為に朝5時に自宅を出た所だった。
超大型の台風21号が近づいていたが前日の発表ではマツ耐は中止にはなっていなかった為、前日に助六氏にAZ-1を預けてレース当日サーキットまで来てもらう様にお願いしていたのだ。
台風の接近による強い雨風の中、しばらく国道15号線を走り六郷橋へ差し掛かった時にそれは起こった。
ガキン!
突然エンジンが止まり、AZ-1が停止した。
しかし、再始動を試みるも、ついにエンジンが息を吹き返す事はなかった----
------- 2017/10/22 5:17 京葉道56kmポスト付近 ------
朝5時に家を出る時に天気図を確認すると、超大型の台風21号は正に関東直撃コースだったが、アクアラインや京葉道はまだ通行止めになっていなかった為、高速に乗り車を走らせていると助六氏から着信があった。
ハンズフリーをオンにすると助六氏から
『AZ-1が止まってしまい動かない!』と連絡が入る。
今どこだ?AZ-1は道路わきに寄せてある?分かった。すぐにサポートトラックでサーキットへ向かっているアニキに電話して指示を仰いでくれ。対応が決まったら連絡して。ああ、気を付けて。
電話が切れ、車を走らせながら対応を考える。
レースは午後からだから、もしアニキがトラブルの原因を突き止めて修理できれば、まだレースを走る事は出来るかもしれない。
AZ-1の対応は二人に任せて、まずサーキットへ向かい7時から始まるレースの受付をするのが俺の役割だろう。しかし、こんな時に限ってレースの参加受理証は助六氏が持っていた。
今から助六氏の所へ向かって参加受理証を受け取り再び袖ヶ浦までか・・・
強風にあおられる車を走らせながら、コースとタイムスケジュールを頭の中で組み立てる。
よし、ギリギリだが受付時間内にはサーキットへ着けそうだ。
木更津JCTでサーキットとは反対方向のアクアラインへとハンドルを切り助六氏の下へと向かった。
------- 2017/10/22 6:21 助六氏駐車場 ------
俺が助六氏の駐車場に着いた時には丁度AZ-1がローダーで運ばれてきた時だった。
このままAZ-1を駐車場に入れて、先に着いていたアニキと助六氏に修理を任せて、俺はレースの参加受理証を受け取り、すぐにサーキットへと車を走らせた。
参加受付時間ギリギリにサーキットへたどり着き、急いで受付を済ませる。
レースエントリーは受理されてホッとしたのもつかの間、アニキから連絡があり今日はもうAZ-1を動かす事が出来ない、と言われてしまった。
マジか・・・・・
しばし呆然としていると、マツ耐と併催のスプリントレースに参加予定だったクラシックミニやフェアレディZ、エクシージ等が帰り始めた。
急いでコース事務所へ向かうと係員がZチャレンジカップ等のJAF戦は全て中止となったと説明していた。
奥にいたマツ耐の主催者を捕まえてレースの有無を確認すると
『マツ耐は中止せず、開催の方向でいまタイムスケジュールを調整している』との事だった。
マジか・・・・・
このままではマツ耐に参戦した時に掲げた
『全戦完走・全戦ノーペナルティ』を達成する事が出来なくなってしまう。
いや、それ以上に
『AZ-1生誕25周年記念チーム』に
『リタイヤ』は許されない!
俺は携帯を取り出して、助六氏と共にサポートトラックでこちらへと向かっているアニキに電話を掛けた。
へぼブログ管理人 『レースは開催の方向で動いている。プランBでいってもいいか?』
アニキ 『まて・・・・・・・正気か?・・・・・・』
『ああ、ただしこれは今まで整備してきてくれたアニキがダメだと言うならやめるけれども、どう思う?』
『・・・・・・・・・そもそも主催者の・・・・許可が下りないだろう・・・・』
『ん?それはエントリーが認められたならば、マシン的にはOKって事で良いのかな?』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう一度聞くが、本当に良いのか?』
『ああ、やれる事を全部やった上でならばリタイヤを受け入れる事が出来るが、まだ手はある。それがレースってもんだろう?』
『・・・・・主催者は受け入れないと思うが・・・・・・・・・・もし受理されたら・・・面倒見てやる』
『ありがとう!アニキ!』
電話を切り、急いでレース主催者の下へと向かう。
台風の影響か、ますます風は強まり雨が吹き荒れている。
マツダ・ファン・エンデュランスに嵐が起きようとしていた。
------- 2017/10/22 8:34 SFR 14番ピット ------
アニキと助六氏もサポートトラックでピットへ無事に到着し、車のメンテナンスと9時から始まるドライバーズミーティングの準備を始めていると、隣のピットにいたもう一台のAZ-1チームから話しかけられた。
去年のマツ耐袖ヶ浦でも共に戦った
『神田フラックスAZ-1』チームである。
ナンバーを見ればわかる通り、このAZ-1も古参ではあるのだが、チームオーナー氏はなんと新車からAZ-1に乗っているベテランドライバーなのだ!
AZ-1もまだ5万キロ前後と、うちの19万キロ号とは雲泥の差なのだが、去年の袖ヶ浦戦でうちのチームが勝利したら今年はワンサイズ太いネオバを投入して来てうちのチーム打倒を目指している様だ。
向こうのチームのメカさんがアニキに色々質問してきているとアニキが言ってたっけ。
でも同じpg6sで走るチームがいると耐久レースの面白さは倍増するので本当にウェルカムだ。
そのチームオーナー氏からもこう言われた。
『本当にこれで走るんですか?』
そう、今回のわがチームは
『CARA生誕25周年記念チーム』である!
『こんな5000kmしか走っていないピカピカのCARAで、こんな台風の中サーキット走るなんてもったいないですよ!』と言われたけど、これだけは譲れない。
そもそもスズキの車がマツダ車のレースを走って良いのかと言われたらそれまでだけれども、CARAの車検証を持ってレース主催者に直談判しましたよ。
確かにスズキの車でマツダファン・エンデュランスに出るのはいかがなものかと言うのは百も承知ですが、この車はマツダが出資した広島の工場で造られたものなんですよ!と延々とクラタやAZ-1の生い立ちを話していたら、うちのチームの『日本全国のAZ-1オーナーと25周年のお祝いをする』と言う趣旨に賛同いただき、『あくまでも賞典外で』のレース参加が認められました!
ありがとう!主催者様m(_ _)m
こうして6年に及ぶマツ耐史上初めてスズキの車がマツダファン・エンデュランスを走る事となったのである。
そう、AZ-1に何かあった時の為のドナーパーツ用車両として、自分はCARAでサーキットへと向かっていたのだが、まさか車丸ごと代わりに走る事になるとは思わなかった(^^;
しかし、備えあれば憂いなし。
全国を転戦して1年間戦い抜く為には『出来る事はすべてやる』のでなければ、結果などついてきません。
アニキにも何度も
本当にCARAで走るのか。こんな台風の中のレースで他車とぶつかったらどうするだとかさんざん言われたし、助っ人ドライバーの助六氏にも
『何かあったら責任取れないから俺はこのCARAには乗れない』と言われて今回は1人でレースを闘う事になりましたが、まぁ雨のレースはそんなに苦手じゃないし勝手知ったるホームコースだし、まぁなんかあったらその時はその時だよ。と腹を括ります。
そして台風も近づいて来てさらに風雨が強まる中、予選前ミーティングへ行くと衝撃の発表が!
なんと午後からのレースが、他のレースが中止になってコースが空いてるから午前中にやろう!と変更になりました(^^;
しかも、ここのサーキットは高低差があるせいで台風の豪雨でコースの排水が追い付かず、一部で川になっているどころか
『池』になっている所がありタイヤが半分埋まる位の水深となっているのでコースの一部区間では常時追い越し禁止となる区間を設けると言う事でした。
それがコチラ。
左上の最終コーナーから下の3コーナー入り口までの黒線の区間のみ追い越し可能で、他は黄旗区間となり追い越しが禁止されると。
コースの半分以上が追い越し禁止とかマジか(^^;
もちろん、そんな状況でレースするなんてどうかしているといった意見や、そこでしか追い越しできないなんてレースじゃないといった異論が噴出し、ミーティング会場は一時騒然としました。
しかし、あるベテランドライバーの一言でミーティングルームは水を打った様な静けさとなりました。
『主催者がレースをやると言うのだから、レースを中止しろと言うのはおかしい。それならばレースに出ないという判断を自分ですればいい』
一部のスタッフもこの一言には
『わが意を得たり』とうなずきます。
この一言ですべてが決まり、あわただしく車検がはじまりました。
そして車検終了後、さらに強くなった雨脚にも負けずに各車ピットロードへと向かいます。
自分もCARAに乗り込み、大雨の中をコースへと走り出します。
もちろん、予選中も追い越しは最終コーナーから3コーナーまでの間だけなので、これは予選順位の番狂わせが起きるかもと雨の日に滑りやすい区間を頭の中でシュミレートします。
しかし、さすがにコース上に川どころか
『池』が出来ていて、フロントにリップスポイラーが付けてある車両は池に突っ込むとスポイラーがもげるから取り外す様にと車検で言われるくらいのバッド・コンディションの為、予選始めの数週は先導車両がついてペースをコントロールする様です。
まずは川と池のある所を確認しなきゃと50km/h位のペースで前走車輛についていくと、コースのあちこちに水溜りがあってハンドルが取られ、登り坂はまるで滝の様に水がコース上を流れ落ちて来てまるでスプラッシュマウンテン状態です。
挙句の果てにコーナーにある池に入ると水の抵抗で急減速してフロア下まで水につかってわずかながら車体が水に浮く感覚が味わえました。
まるで冠水したアンダーパスを通る感覚にビビります(^^;
さすがにこれは危険と判断したペースカーの指示で赤旗が降られてコースがクローズドとなり、2周で全車ピットインとなりました。
------- 2017/10/22 10:31 SFRブリーフィング・ルーム ------
このまま予選も中止となり、すぐに参加者はブリーフィングルームへと集められました。
ペースカーを運転していたレースアドバイザー(プロドライバー)も、さすがにあの
『池と滝』は危険と判断したのか、レース主催者との話し合いの結果マツ耐も中止となりました。
一部の方からは
『中止の判断が遅すぎる』と批判もありましたが、自分としては
ギリギリまでレース続行の為に努力をしてくれた運営の方々、過酷な条件の中で安全を守ってくれたポスト・オフィシャルの方々に感謝をしたいと思います。
こうしてマツ耐第5戦は中止となりましたが、我らが
『AZ-1・CARA生誕25周年記念チーム』は運良くリタイヤとはならずに次の最終戦岡山国際サーキットでのレースを走りきり、全戦参戦ポイントの25ポイントを獲得する事が出来、並びにこの袖ヶ浦戦でポイントを獲得できなかった強豪チームのポイントが伸びなかったお陰で、総合6位入賞に滑り込む事が出来た上に、予選だけですが
『マツダファン・エンデュランスをスズキの車が走った』と言う
マツ耐の歴史に爪痕を残す事が出来たと思います。
そして、動かなくなったAZ-1ですが、実は第4戦の富士スピードウェイでセルを回している時に少しですがセルから異音がした為、レース後に大事をとって新品のリビルト・セルモーターに交換したのです。
その後何度か乗っている時にはこのリビルト・セルモーターに異常はなかったのですが、レース当日に故障してセルのギアが走行中に噛んでしまい動かなくなったと言う訳です。
(マツ耐ではドライバーチェンジの時に1分間のエンジン停止が義務付けられており、万が一セルが回らないとリタイアとなってしまう(押し掛けは禁止)為にセルモーターの交換を決めた)
もちろんその後はリビルト・セルはポイして純正新品を買って付けましたよ(^^;
さすがに一年間戦っていると毎戦色々な事がありますが、この袖ヶ浦戦ほどアツいレースはありませんでしたね。まぁレースとしては不成立なのですが(^^;
しかし、この超大型の台風21号は各地で甚大な被害を出しましたが、当チームにとってはまさに神風としてチームの後押しをしてくれる結果となりました。
この台風21号の名前が『ラン』--走れ--と言う名前なのもドラマを感じました。
この日の出来事は、耐久レースとはコースの中でも外でも走り続ける事こそが結果に結びつくただ一つの答えだと教えられました。
CARA生誕25周年記念チーム
マツ耐をスズキ車が走った日
完