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2020年09月12日 イイね!

明日の予想

第34回産経賞セントウルステークスGⅡ
◎9 シヴァージ
○16 ダノンスマッシュ
▲2 ノーワン
△7 ミスターメロディ
△15 クリノガウディー
△17 ラブカンプー

第65回京成杯オータムハンデキャップGⅢ
◎16 スマイルカナ
○1 ルフトシュトローム
▲10 トロワゼトワル
△5 アンドラステ
△7 ジャンダルム
△12 エントシャイデン

かな?
Posted at 2020/09/12 21:18:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 競馬 | 日記
2020年09月12日 イイね!

この指揮者

ヴォルフガング・サヴァリッシュ
(1923年-2013年)ドイツ、バイエルン州ミュンヘン生まれの指揮者

幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を学ぶ
第二次世界大戦で通信兵として徴兵され、イタリアにて捕虜として終戦を迎える
帰国後、ミュンヘン音楽大学に入学し3か月で卒業
卒業後は1947年にアウクスブルク市立歌劇場のコレペティトーアとなり
フンパーディンク作曲のオペラ『ヘンゼルとグレーテル』でデビューする
この指揮が高く評価され、第一指揮者、カペルマイスターに抜擢される
以指揮者とピアニスト(主にリートの伴奏者)としての活動を並立させる
またこの時期ザルツブルクにてイーゴリ・マルケヴィッチの指揮法の
マスタークラスの助手を務める

1953年にはアーヘン、1958年にヴィースバーデン
1960年にケルンのそれぞれの市立歌劇場の音楽総監督に就任する
その間の1953年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮
また1954年、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの葬儀でベルリン・フィルの追悼演奏を指揮
1957年にはロンドン・デビュー
バイロイト音楽祭に開幕演目の『トリスタンとイゾルデ』で初出演を果たす
33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録だった
(1960年にロリン・マゼールが30歳で初出演し、現在はこれが最年少記録)
バイロイトには1962年まで連続出演した

これらの成功で、カラヤンはサヴァリッシュをウィーン国立歌劇場に
一方でルドルフ・ビングも当時支配人であったメトロポリタン歌劇場に引っ張りこもうとした
しかしサヴァリッシュは、自分はまだ経験不足だということを理由にいずれも断っている
結果的にこれが、プライドの高い2人の逆鱗に触れてしまい
カラヤンからは一度もベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に招かれることがなく
また生涯一度もメトロポリタン歌劇場で指揮することなく終わった

歌劇場での活躍の一方で、オーケストラの音楽監督としても活躍し
ウィーン交響楽団やハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任した
スイス・ロマンド管弦楽団では創設者アンセルメ亡き後のオーケストラの再構築に尽力した
1971年からはバイエルン国立歌劇場の音楽監督(1982年から1992年は音楽総監督)に就任した
若手の逸材歌手を積極的に登用し、出演者の相対的な若返りに成功した
1988年には、ミュンヘン・オペラ・フェスティバルにおいて
リヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ

バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ムーティの後任として
フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任した
フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かず
フリーの指揮者となりベルリン・フィル、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン響、フィラデルフィア管、N響などの
オーケストラを定期的に指揮していた

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」


2006年3月に5月以降に予定していたフィラデルフィアやローマなどでのコンサートを
心臓病の悪化を理由にキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した
2013年2月22日、バイエルン州グラッサウにある自宅で死去した
ミラノ・スカラ座からトスカニーニ・バトン
ベルリン・フィルからニキシュ・メダル
ウイーン交響楽団からブルックナー・メダルを贈られている

日本との関係
1964年11月、NHK交響楽団の招聘で初来日以来、ほぼ毎年のように来日した
以降、N響への客演のほか、バイエルン国立歌劇場
(1974年、1988年、1992年。1974年はカルロス・クライバーらが同行)や
フィラデルフィア管弦楽団(1993年、1999年)との来日公演を行い
日本でもなじみ深い巨匠の一人である

NHK交響楽団において、1967年に名誉指揮者、1994年に桂冠名誉指揮者となった
N響とは定期公演のほか、海外公演や二期会と組んだオペラ上演などでも大いに活躍した
また、N響の節目節目の演奏会には必ず登場し
1970年のベートーヴェン生誕200年チクルスや、1973年のNHKホールこけら落し公演
1986年10月1日の第1000回定期公演と2001年の創立75周年記念公演
2004年の出演では、老齢のため椅子に軽く座って指揮をした
2005年に予定されていた公演は体調が思わしくなく出演をキャンセルしており
結果的に2004年度の出演が最後の共演となった(ベートーヴェンの交響曲第7番他)

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」


サヴァリッシュは、「日本の他のオーケストラとは共演したくない」と言うほどN響に惚れ込み
N響もまたサヴァリッシュに惚れ込んだゆえに長い蜜月の関係となったが
N響の楽員がサヴァリッシュに惚れ込んだ理由としては
「リハーサルが非常に短く合理的」というものがあった
これは、ヨーゼフ・ローゼンシュトックやヴィルヘルム・シュヒターら
先達のN響常任指揮者が、締め上げるようなリハーサルをしていた反動ではないかと言われている
N響のレパートリーが正確なドイツ音楽に偏向しており
色彩感のあるフランス音楽などを不得意としている原因の一つが
サヴァリッシュの指揮感覚にあるという意見がある

ベートーヴェン:交響曲第7番


演奏スタイル・レパートリー

すべてのパートに対して目が届く指揮者で
共演した合唱指揮者に「指揮台から投網をかけられているようだ」と驚かれた
レパートリーとしては、古典派・ロマン派から近代までのドイツ・オーストリ音楽の
正統派の曲目が並ぶ、モーツァルトやベートーヴェン、
ワーグナーでも素晴らしい演奏を繰り広げているが
それ以上にシューベルトやメンデルスゾーン、シューマン、R・シュトラウスなどの演奏が知られている
R・シュトラウスのオペラに関しては、ベーム亡き後の伝道師的存在であった
(壮年期の『カプリッチョ』をはじめ、EMIに主要作品を録音した)
また、メンデルスゾーンは管弦楽作品全曲を校訂するほど熱心に取り上げている

メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」



エピソード

初来日した時、東京の暴走タクシーに唖然とした
また、食文化の違いに驚き、しばらく絶食の状態が続いた
この危機を救ったのが園田高弘である
園田との親交は長く続き2001年には、N響定期において
園田との初共演だったシューマンのピアノ協奏曲をプログラムに組み入れた
来日して地方公演をこなした経験が多いためか、訪れていない都道府県をすべて把握していた

キャンセル魔として知られるカルロス・クライバーの面倒をよく見た
出演する多くの公演に立ち会い、クライバーが不安でキャンセルしないよう尽力した
ある時は舞台袖まで同伴し、背中を押したこともある、結果として、
生涯特定団体の常任ポストに就かず客演指揮者として生涯をまっとうしたクライバーだが
バイエルン国立歌劇場のみとは長期間のレギュラー関係を築くことになった
1986年にバイエルン国立管弦楽団がクライバーと来日を果たした背景に
サヴァリッシュの尽力がある
バイエルン国立歌劇場としてツアーを組まず、オーケストラだけのツアーということで
(前例がなかったため)反対意見が多数を占めた中
サヴァリッシュは政府高官を「絶対に成功する」と説得し、訪日ツアーを実現させた

1966年、当時フィラデルフィア管弦楽団音楽監督のオーマンディに
当楽団の次期音楽監督として引き継いでほしい、と
要請されたが現行の契約の縛りを理由に固辞した
その後、オーマンディから2度目の要請が入り、これも固辞した
1993年、今度は当楽団全員一致の、次期音楽監督にサヴァリッシュを指名する
との投票結果による要請を受けて心が動き
70歳の高齢にもかかわらず受諾することを決心した
「フィラデルフィアから、まさか3度目の要請が来るとは思っていなく、本当に驚いた」

Rシュトラウス:ツァラトゥストラはかく語り 他


1994年2月11日、フィラデルフィアが大雪で交通まひに見舞われ
オーケストラの楽団員が会場に来られなかった時
オーケストラの部分を(指揮者用のフルスコアを見ながら)
即興でピアノで弾きゲストらと共演した
そして、徒歩で来られる全ての市民に無料で門を開くことを経営陣に提案し
大成功を収めた
フィラデルフィア管弦楽団の伝説的なコンサートの一つとして、今日でも語り継がれている

1998年、長年連れ添った妻が亡くなったにもかかわらず
コンサートを一切キャンセルしなかった
しかし、妻死後の最初のコンサート、フィラデルフィアでのブルックナー第6番のリハーサル中
第2楽章「葬送行進曲」にさしかかった時、あまりの悲しみで体が崩れて立ち上がれなかった
このため、リハーサルは一時中止したが、すぐに気を取り戻して
オーケストラメンバーに謝罪をし、リハーサルを続けた
副首席フルート奏者は
この瞬間、奏者とサヴァリッシュの関係はさらに深いつながりを持つものになった、と語っている

ブルックナー:交響曲第6番


2001年9月11日の米国同時テロが発生した時
ミュンヘンの自宅で休養中だったが、すぐにフィラデルフィアに飛び
フィラデルフィア管弦楽団と一緒に追悼コンサートを開いた
「大変悲しくて苦しい時に、オーケストラみんなと一緒にいてあげたかった」と語っている

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
Posted at 2020/09/12 20:43:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | クラシック | 日記

プロフィール

「これを買ってきた ジョニーウォーカー200周年記念
ジョンウォーカー&サンズ セレブラトリーブレンド」
何シテル?   09/18 17:14
ken13です。よろしくお願いします。 現在はフィットシャトルです。 車歴は オペルアストラ スポーツ GSI 16V 三菱 シャリオ 2.0MX 後期...
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