連休最終日の昼下がり、國道276号線を下り北湯沢へと向かいます。
山の天気は変り易いと言う通り、晴天だった空が急に曇り始めました。
山奥に進むにつれ次第に天候は悪化、やがて雨が降り出しました。
対向作動式ワイパーで雨粒を拭いながら、カーブとアップダウンの連続する山中を駆け抜けます。
グロリアのウィンド・シールドはAピラーの角度が立っており、なおかつ両端が湾曲しているので
ワイパーを使わずとも雨粒が流れ、一定の視界を確保し続けることが可能です。
ガラスが寝ている現代の車では、ガラコなどを塗らなければノンワイパー走行は
難しいですが、グロリアならば余程雨脚が強くならない限り問題ありません。
また、フロント以上に湾曲したリヤ・ウィンドウも走行風によって
自然と雨粒が流れるので、リヤ・ワイパーは必要ありません。
リヤ・ウィンドウには、強弱切替可能なデフロスターが備わっているので
湿度の高い日でも曇ることなく視界が確保され、安全かつ安楽な運転に貢献します。
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一時は激しい雨に降られましたが、やがて天候は回復し始めました。
北湯沢温泉郷・湯元名水亭に到着、えらく立派な建物にちょいと気後れするくらいでした。
先日、みん友の92hiroさんにお会いした際に無料入浴券を戴いていたので
日帰り入浴に来たのです。
92hiroさん、ありがとうございます♪
連休明けの真昼間とあって大浴場には1組しかおらず、その方も先に上がられたので
完全な貸し切り状態となりました。
150坪もある露天風呂に1人で入るのはなかなか贅沢なもんです。
タイミング良く一時的に雨は止み、雲間から太陽の光が射し込んできました。
雨が降っていたらせっかくの露天風呂も台無しですから、ここでも天佑に恵まれたのでした。
館の眼前を流れる長流川は「白絹の床」と呼ばれ、白い川底が美しいです。
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ゆっくりと温泉を満喫した後、来た道を戻り洞爺湖廻りで苫小牧へと向かいます。
一時の晴れ間はすぐに過ぎ去り、再び強い雨が降りしきる中を走ります。
洞爺湖を望む湖岸の道を走りながら、つい最近レックスでここを訪れたことを思い出しました。
その時は素晴らしい晴天に恵まれましたが、今は雨がパラパラと降る生憎の天気です。
しかし山を抜けると遥か遠くに青空が見えてきました。
2時には苫小牧に到着、山中の曇天が嘘のような快晴でした。
雲一つない空に描かれた飛行機雲を仰ぎながら、日高自動車道へ進みます。
今までは日高富川ICまでしか繋がっていませんでしたが、3月に日高門別ICまで開通しました。
高速を降りて、広大な太平洋を右手に臨む國道235号をゆったりとクルージングします。
空と海の美しい碧さに思わず見蕩れてしまいます。
3時半過ぎに静内に到着、二十間道路桜並木へと向かいました。
残念ながらほとんど葉桜になっており、写真を撮ったもののイマイチな出来でした。
そこで!2011年5月12日に桜並木を訪れた時の写真を代りに掲載いたします。
その時は桜もちょうど満開で、雲一つない快晴にも恵まれたのでした。
今回の旅行の写真ではありませんが、お蔵入りさせたままなのも
勿体ないので、ちょっとイレギュラーですがお楽しみください。
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淡く色付いた満開の桜と、暖かな五月晴れの空のコントラストがまことに美しいです。
静内の桜並木は幅が二十間(約36m)で、7kmにも及ぶ直線道路が続きます。
ゆっくりと徐行しながら、桜のトンネルを通ります。
桜並木は磨き上げられたボンネットにも映り込み、漆黒のグロリアを仄かな薄紅色に染めます。
ひらひらと舞い落ちる桜の花びらは、雪のように静かに降り積もり
一瞬の光芒の如き散り際の美しさを残します。
美しく咲き誇り、儚く、潔く散りゆくその姿はいつの時代も日本人の心に強く訴えかけてきました。
この二十間桜並木はもともと、皇族方が宮内省(現:宮内庁)の新冠御料牧場を
御視察なされる際の行啓道路として造成されたのがはじまりです。
大正5年(1916)から3年の月日をかけて、周囲の山々から山桜が移植されました。
厳しい自然と対峙した先人達の努力の結果、現在はエゾヤマザクラを中心に
3千本の桜が咲き誇る日本屈指の桜の名所となりました。
新冠牧馬場は明治5年(1872)に創設、北海道開拓使長官黒田清隆が日高地方の
野生馬の群れを見て、馬の育成に適した土地であると判断したことで選ばれました。
明治17年には宮内省の管轄に移行し、明治21年には「新冠御料牧場」と改名されました。
日露戰爭前年の明治36年には二十間道路が整備され、明治42年には龍雲閣が築造されました。
大正5年には山櫻1600本が植樹され、現在の桜並木へと繋がります。
二十間道路の終わりに位置するのが、この龍雲閣です。
龍雲閣は、宮内御料馬や軍馬の生産を行う御料牧場を御視察される
皇族方や高位高官の貴賓舎として築造されたものです。
現在は、静内桜まつりの期間中のみ一般公開されています。
龍雲閣内には、皇族方がお使いになられた明治・大正・昭和の歴史ある調度品の数々や
伊藤博文直筆の七言絶句の掛軸などが展示されています。
大東亞戰爭時の軍馬供出を表彰する、星が描かれた盃などをはじめとした
馬に纏わるものも多数ありました。
照明にも菊の御紋が彫り込まれており、御稜威の如き荘厳な光を放っていました。
御料車として皇族方をお乗せしたプリンス・グロリアと、貴賓舎としてお迎えした龍雲閣。
時代は違えど、いづれも皇族方にお仕えした皇室御用達であり
揺るぎなき万世一系の悠久の歴史の偉大さを前にし、感慨無量です。
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二十間桜並木を後にし途中で給油、帰路に就きます。
雲間から射す斜光を残し、太陽が海面を輝かせながら西に沈みゆきます。
帰路の途中、「3千本の桜並木」という看板が見えました。
優駿さくらロード(西舎桜並木)という桜の名所で、そこには
3千本のエゾヤマザクラが3kmに渡って道路の両側に立ち並ぶという、美しい風景がありました。
時計の針はもう少しで18:00を指そうとする夕暮れの中、薄紅色の花びらは
沈みゆく太陽の光を透過させ、澄んだ表情を見せていました。
光と影のコントラスト、浮かび上がったシルエットが静謐な夕刻の中に映えていました。
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18:12分。
薄暮の下、天馬街道を進む。
すっかり日が長くなり、6時40分頃ならまだ空に明るさが残るようになりました。
7時前までは微かに明るさが残りますが、それを過ぎると急速に夜の帳が下ります。
この時期は朝の4時頃にはかなり明るくなるので、その分活動時間が長くなり有難いです。
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闇夜を切り裂く前照灯の照射を頼りに家路を急ぐ。
丸型シールドビーム・ヘッドライトは、一般的に暗いものと思われがちです。
もちろん、ハロゲン・ライトやHID、LEDと云った後継の照明灯と比較すれば暗いのは
当然ですが、「行燈」や「蝋燭」などといった例えは大袈裟に過ぎます。
この写真は、走行ビーム(ハイ・ビーム)の状態を撮影したものです(フラッシュ無し)。
進行方向、側面方向共に充分な照度があるのがおわかりいただけるでしょうか?
夜間の事故の原因が、ライトの暗さに起因するものとは思えません。
結局のところ、100万カンデラの照明彈の如き明るさを持つライトであっても
全周に対する間断なき注意と適切な運転操作がなければ、無用の長物に過ぎません。
どれほど自動車の装備が発展し充実せども、人間が運転する限り運転者自らの「注意力」は
欠かせず、これが欠如したならば如何なる安全装備も限定的な効果しか発揮し得ません。
帰路の途中、2箇所で警察によるネズミ捕りを目撃。
幸い現在はゴールド免許ですが、いつ金メッキが剥がれるかわかりません。
警察に喰われないこと、事故を起こさないこと・・・即ち車を疵付けないことという
観点からも、昼夜を問わない警戒が求められます。
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9時半、家に帰投。
3日間、1564キロの行程をノン・トラブル(パンクの如きはトラブルと云えず)で大過なく
走破し切った頼れる愛車に感謝しながら、格納庫に収容する。
イグニッション・キーを切ると、如何なる負荷も問題としない強心臓”G7”は静かに眠りに就いた。
さて、愈々道内も行き尽くした感があります。
この4年間グロリアと共に、北へ、南へ、あるいは東へ、翻っては西へ。
5万キロに渡る道を走ってきました。
春夏秋冬季節を問わず、東奔西走縦横無尽に駆け抜けてきましたが
如何なる地形・天候をも容易く克服するグランド・ツーリングカーにとっては
この北海道の大地も既に手狭となってしまったようです。
ここに至りて、本土上陸も視野に入れなければならない重大局面を迎える。
さぁ、次は海を渡ろうか?
「ヒノデハヤマガタトス」
小樽-舞鶴(新日本海フェリー)A期間、乗客9300円+乗用車30500円(2輪車11900円)
苫小牧-名古屋(太平洋フェリー)A期間、2等9500円+乗用車33000円(2輪車17000円)