4月14日土曜日は、
第7回 高田本町痛車まつりへ、出展してきました。
・春フェスタにぎわう 伊料理の屋台、「痛車」ずらり イベント多彩 上越市本町3・4・5商店街
(上越タイムス、2018年4月15日)
・Twitterハッシュタグ「#高田本町痛車まつり」
・Twitterハッシュタグ「#高田本町春フェスタ」
・Twitterハッシュタグ「#高田痛車」
会場は、
本町商店街(新潟県上越市本町3~5丁目)の、県道198号線の道路上。
時間は、10:30~18:30。
見学者無料。
第6回に続き、二度目です。
以前から気になっていたものの、上越市は流石に遠いので諦めていたのですが、2017年は生活環境が目まぐるしく二転三転していたせいで二度とイベントに行けなくなる危険性が高まったので、意を決して強引に行ったのでした。
そこで中々に良い雰囲気にすっかり魅了されたので、是非第7回も見学に行くつもりでした。それも、遠いので泊りがけで。
一泊すれば、翌日の「
高田城百万人観桜会」にも見学に行けますからね(^ω^)
そしたら、幾名かの新潟の痛車乗りたちから、
「主宰者から、『高田夜サクラミクライブ!が終わったことで2018年は痛車展示スペースが従来より増えることが確定したから、あちこちに声掛けして?』と言われてるんだよね」
「主宰者自身が東方痛単車(いたんしゃ)オーナーなので、東方仕様でずらりと並べたいと言ってたから、ふじぃさんも一緒にどう?」
と、展示するよう誘われました。
当初は見学のつもりでしたが、イベントの雰囲気が気に入ったこともあり、そういうことならと喜んで変更しました。
もっとも一時は情報が錯綜して、混乱しました。
昨年、某氏から「来年はしないよ。スタッフとは同じ地元で何度か顔を合わせてるけど、直接聞いたから間違いない」と言われ、後日それを何の気なしに別の人に話したら「そんなことはない。俺、当のスタッフだし、前日も主宰者や会場責任者を交えてミーティングしたばかりだから」と言われ…。
本当のところはどうなのか、ぎりぎりまで判断に迷いましたが、無事に開催されて良かったです。
とはいえ、主宰者にはいきなりお手数を掛けました。
はやる気持ちが抑えきれずに、エントリーに必要な車検証のコピーを送る際、手っ取り早く昨年のそれを送ってしまいました。
車検が切れていると指摘されて、今年の分を改めて送り直し。
しかし問答無用で落選させるのではなく、きめ細やかなフォローをして頂いたお蔭で、無事エントリー手続き完了(;´Д`A
その節は有難うございました(土下座)。
01:40、出発。
今年もまた、昨晩20:00には愛車を車庫から出しておいて、荷物も積みっぱなしにしておきます。
片道6時間かかるのと、道路が混雑するのを避けるため、早すぎる出発です。
但し今年はハプニング発生。
昨晩に会社の部署での飲み会があったのですが、酔っていたせいで銀行ATMの暗証番号を間違えて、口座がロックされて現金を引き落としできなくなりました(´ω`)
財布の中には\15,000。ぎりぎりです。
06:30、到着。
今回は早めに着きました。というか、幾ら何でも早すぎましたw
前回は天気が明るかったのと、物珍しさから、道中至る所で記念撮影しながら行きました。しかし今回は、天気は依然として暗かったのと、一刻も早く着きたい心情とが相俟って、どこにも寄り道しなかったために尚更早く着いたのですね。
なので会場からやや離れたコンビニで、休憩を兼ねて時間を潰します。
コーヒーを飲みながら徐にTwitterを覗けば、
藤原さんの「じょでぃーと一緒に会場入り」という旨のツイートを見て、飲んでいたコーヒーを噴き出しかけましたw
そして大急ぎで僕も搬入します。
06:40、搬入。
会場の本町商店街は車両一方通行道路が四方八方に入り組んでいる上に、出展車両は更に迂回するよう予め指示されてあります。
初見にはややこしい(´ω`)
ツイートの通り、展示予定位置には、
じょでぃー@車どうするかな…さんの愛車が。
一番乗りの座を奪われたー!
何でも、実はスタッフだったのだとか。それで異様に早かったのですね。
他にも、
RIO@三和工房主さんも、スタッフとして搬入車両の誘導や、事故がないよう見張りをしています。
お世話になります(´∀`)
その間も、錚々たる顔触れが、続々と搬入してきます。
08:00、洗車と設営開始。
雁木通りプラザが開放されるのがこの時間なので、そこのトイレの手洗い場から水を拝借し、車の汚れを拭き取ります。
早すぎる搬入のせいでイベント開始時刻まで余裕がありすぎるので、洗車も悠々とできます。
「寒いから」「時間がないから」を言い訳に、「
第6回 安全・安心なかまちモーターショー」を最後にずっと洗車していなかったせいで、汚かったのですよね。
天気予報では小雨のち曇りだったので、往路で雨に濡れるであろうことを目論んでいたのに、完全に当てが外れました ⊂(。A。)⊃バタッ
半年分の汚れが蓄積していたせいで、洗車用のなめし皮は一瞬で真っ黒に(´ω`)
展示場所と手洗い場を何度も何度も往復します。
ほぼ終わりかけた頃合いに、入れ代わり立ち代わり複数の車好きのおじ様たちに、話し掛けられます。
「AZ-1はイベントで何回か見たことはあるけれど、キャラは初めて見た。これ滅茶苦茶貴重だよ」
「自分もビートを持っており、当初はAZ-1とどちらにするか迷った」
「今時の車は道具としてはこれ以上ないくらい優秀だし、たとえ軽自動車であっても安全装置や快適装備が盛り沢山だけど、それと引き換えに情感に訴えてくるものがない。1980~90年代の車が一番熱かった」
「冬は大変じゃない?」
「ジムカーナは速いそうだけど、サーキットは行く?」
等々…。
僕も、
「痛車としてはショボいのは重々承知しているけど、昨年このイベントに見学に来たら雰囲気が凄く気に入ったのと、知り合いからの誘いもあって、今年は思い切ってエントリーしてみた」
「この車はあらゆる面がピーキーであり、素人の目から見ても『何でこんな造りにしたんだろう?』と思わせる箇所が山ほどある。煮詰めが甘いというか、はっきり言って設計ミス」
「これを担当した
平井敏彦主査も、誰もが担当するを嫌がったのを途中から無理矢理引き継がされただけなのに、会社が傾きかけた責任を押し付けられて、半ば追われるように辞職することになった、曰く付きの車。マツダにとっても黒歴史らしく、デミオやロードスターやRX-7&8への厚遇ぶりに比べて、AZ-1には完全に無視を決め込む。最近、ファンが主催することで渋々黙認しはじめた程度。スズキに至っては言わずもがな」
「でも“痘痕も靨”とは言ったものであり、自分の性格もあるのかも知れないが、一度好きになってしまえば欠点など気にならなくなってしまう。逆を言えば、普通なら洒落にならないはずの諸々の欠点をはねのけてでも所有していたいと思わせる、不思議な魅力がある車。何より、誰からも祝福されずに生れてきた子だから、せめてそんな自分が愛情を注いであげられたら」
等々と、いきなり自動車談義に花が咲きます。
他にも、中国人か韓国人か台湾人かは不明ですが、ご年配の外国人観光客の団体に、なぜか僕自身も招かれて記念撮影したり…。
周辺の商店街のおば様たちから
「何この車!」
「スーパーカーみたいだけど可愛い!」
「これ日本の軽自動車なの? 外車じゃなくて?」
「改造してないのにドアが上に開くんだ?」
「こんな車があったんだね~」
などと持て囃されたり…。
ヲタクというより普通の車好きと思われる少年から「この車のオーナーですか? あなたの写真撮らせて下さい!」と撮影をせがまれたり…。
こんな事ならコスプレしてくれば良かったw
(もっとも逆に、痛車関係・コスプレ関係からは、誰からもアプローチは無かったのですがね…(´ω`)
俺の隣に展示する人が、左右とも、いつまで待っても来ないし…(´ω`)
そもそも、「一緒に展示しようよ」と呼び掛けた人たちが全然エントリーしておらず、東京の「痛車天国inお台場」へ行ってしまっていた…(´ω`))
やがて
関越特快@次は4/14高田本町展示さんが搬入し、大掛かりな設営を始めたので、東方勢の全員で手伝い。
僕は基本的にイベントでは自由に動き回りたいから常に単独行動ですが、反面こういった集団での共同作業にも心の片隅では憧れがあったりします。
何だか中学・高校時代の、文化祭の前夜を思い出させます。
僕の両隣が空いていたのですが、その一方は
ソニア@4/5TC1000さんでした。
何でも、道中の北陸自動車道において後輪が2輪ともバーストし、保険屋のレッカー車で運ばれ、現在は米山サービスエリア(新潟県柏崎市)にて療養中だとか。
しかも今時の車なのでテンパータイヤはなく、バーストなのでパンク修理キットも利かないとも。
そこへヴェンさんがテンパータイヤを届けるべく、向かっている最中だそうです。
09:30、出展者ミーティング。
主宰者・T氏と、痛車展示場担当スタッフを代表して、じょでぃーさんとRIOさんの挨拶。その後はより詳細な必要事項や、イベントのルールや流れ等々を、改めて告知。
何でも今回、事前キャンセルが2名、道中のトラブルで搬入時刻に間に合わない人が1名(ソニアさん)、それぞれ発生するというハプニングが。
それで僕の両隣が空いていたのですね。両側から距離を置かれていて寂しい…(´ω`)
それにしても当イベントは、ちゃんとこういう事もするのですね。
「お前らで勝手にやっとけ。俺知らね」といった態度ではないので、これはしっかりしたイベント・しっかりしたスタッフなのだろうなという信頼感が湧いてきます。
10:00、イベント開始。
待ちに待った、楽しいイベントの時間です。
今年もまた天気は曇りで気温も肌寒いのですが、イベントの雰囲気は何よりも暖かいです。
今年も錚々たる顔触れ。
普通の商店街がイベント会場に早変わり。
人里離れたイベント会場にヲタクだけで凝り固まって、閉鎖的で排他的になるのではない。開放的な屋外で一般人を巻き込んで、同じ楽しみを共有できる。
本当、1980年代後半~90年代前半のヲタク暗黒期を経験しているだけに(
宮崎勤事件とか、
オウム真理教事件とか)、まさかこんな日が来るとは夢にも思いませんでした。
痛車展示場は本町3丁目から4丁目南半分ですが、他の会場にも足を延ばしてみます。
本町4丁目商店街の北半分では、「
第4回 イタリアンフェスティバル」。
出展者特典として500円昼食券をもらったのですが、ご飯時にはどこのお店も長大な行列ができていたので、時間を大幅にずらして行列が少なくなった頃合いを見て、ピザを食べます。
16:00からは世界最長のミニ四駆ドラッグレース「
第3回 本町SPEED KING決定戦 ~1/10マイルレース~」。
本町5丁目商店街では、南半分が「
はたらく車大集合!」、北半分が「
出張商店街」。
痛車展示場に戻って更に通過。
本町3丁目商店街の南半分は、「
上越セパタクロークラブ 無料体験会」。
更に進んで最南端では、「
がんぎっこ5周年記念公演in春フェスタ」。
例年ならサクラミクライブを催していた場所での開催です。
5月5日での解散が決まった上越市のご当地アイドル・
がんぎっこと、彼女らと交流のある複数の他県のご当地アイドルたちによる無料ストリートライヴ。
従来なら少し覗いて終わりでしたが、これで最後ということで、今回はしっかり見ておきました。
天気は曇りで気温も肌寒いですが、徐々に人混みで賑わってきました。
昼過ぎからは相当な混雑になり、その分寒さを物ともしない熱気に包まれます。
コスチュームプレイヤーの方々も馳せ参じ、会場が一気に華やかになります。
ごく一部ですが、
VOCALOIDに…、
『マクロスFrontier』に…、
(ただし車は『マクロスΔ(デルタ)』)
『東方紅魔郷』に…、
『ラブライブ!』に…。
(以上掲載許可済み)
七瀬飛鳥@春フェス参加さんとも再会。
Twitterで或る程度の交流こそあったものの、実際にお会いするのは「
痛車&コスプレフェスin長岡大手通り歩行者天国」以来10ヶ月振り。
またしても僕のキャラを目の当たりにしたことで、後日、以前の愛車だった青いAZ-1・マツダスピードバージョンⅡを買い戻す決心が付いたそうです(`ω´)
僕の行動がこうやって周りに影響を及ぼすことになろうとは、信じられないというか、感慨深いです。つくづく、人は互いに影響を及ぼしあって生きているのですね。
ゆざわ@高田痛車さん、同乗していた
スネーク@あやな公国民兼いのりまち町民さんとも再会。
「
新潟痛車フェス09.5」(がたふぇすVol.8内。二日目)以来6ヶ月振り。
スネークさんも最近仕事で行き詰っているようで、しかし生活や趣味との両立を秤にかけると辞めるに辞められず、悩んでいるよう。
僕も今でこそ毎日が楽しいですが、つい
10ヶ月ほど前まではずっとそんな気持ちを抱えながら暮らしてきたので、他人事とは思えませんね。
「今は苦しいけれど、これを乗り越えれば自分の人生が切り拓ける」というのが見えていれば張り合いも生まれますし、拘束時間は長く給料は安くとも知識・技術・経験・人脈・資格などが身に着くのであれば、それは厳密な意味でのブラック企業ではないのでしょう。
しかし、頑張っても頑張っても一向に報われる気配が見えてこないとなると、精神を蝕んできます。
仕事内容、社風、適正、給料、人間関係、全てが大嫌いだった。
それこそ、入社して三日で「とんでもないところに入っちまったなあ」と後悔するほどに。
その上、僕はかつて、自分の意見ややりたい事を抑えて、大人の言うことに素直に従う“いい子”だった。なのに、これだけ他人に遠慮しておきながら、感謝してくれるどころか体よく利用する人々しか近付いてこなかった。
「いうことを聞け」と自分の考えを無理強いしてくる人間に限って、「確かに命令したのは自分だ。だが実行したのはお前だろ? だったらお前が悪いんじゃねぇか」と土壇場で掌を返して逃げ回る。そんな人間ばかり。
そのまま大人になり、会社に対して違和感や不満がありつつも、さりとて当時は民主党政権による大不況だったので他に入れる会社はなかったのと、母が大腸癌を患ったという家庭の事情もあって、結局は渋々出社し続けた。
そんな日々が6年半も続いて、
「俺、一生このままなのかな…。やりたいこともやらず、言いたいことも言わず、行きたいところにも行かず、欲しいものも買わず、食べたいものも食べず、他人や家族に遠慮しながら生きてきて、なのに誰からも感謝されずに、後悔しながら死んでいくのかな…」と悶々としながら、結局は現状維持のままやり過ごすように生きてきた。
或る日、
江頭2:50の名言集の一つ
「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて、考えないようにしている。
人間、いつ死ぬか分からないから、その時の全てを出し切りたいんだ。
俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれてる人だっていつ死ぬか分からない。
視聴者が最期に見た江頭が、手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」
という言葉を知ります。
それを見て、僕に足りないものは何だったのか、痛いほど思い知ります。
(実際に本人による発言なのかは、ソースがないので不明。むしろ第三者による創作の可能性が高いが、しかしエガちゃんなら本当に言いかねない)
更に、エガちゃんと個人的に親交があるという
布袋寅泰の「RUSSIAN ROULETTE」という曲を知り、心がざわつきました。
「がんじがらめ
籠の中の鳥みたいに生きてくつもりかい?
目を覚ませよ」
追い打ちをかけるように、店内で流れている有線放送で、恐らくコブクロのものと思われますが
「針の穴よりも小さな小さな可能性だとしても
潜り抜けなきゃならないときが
君にもいつかきっと来る」
という曲が延々と流れて、冷静ではいられませんでした。
或いはそれはピョンチャンオリンピックのイメージソングだったのかも知れませんが、当時の僕は煽られているような気持ちになり、「ああ、俺だ。これは俺のためにある曲だ」「なんで俺の気持ちがそんなに解るんだ」と、また胸騒ぎを覚えたものでした。
業務提携という形での事実上の買収があり、無能な経営コンサルタントによって職場が滅茶苦茶にされ、数少ない信頼していた人たちが追われるように辞めていき、張りつめていた糸がぷつりと切れました。
「ああ、もう駄目だ。これ以上こんな会社で頑張ったって何にもならない」と。
“石の上にも三年”とは言ったもので、6年半かかってやっと辞める決心が付いたのですが、しかし別の言い方をするならば、最初の一歩を踏み出すのに6年半かかったとも。
そんな生き方をしてきたが故に、死ぬときに後悔しながら死にたくないから、自分を変えたいから、これからはじゃんじゃんイベントに参加して羽目を外していきたいのです。
「そうやって集団の中で生かされているという自覚がなく、周りに迷惑を掛けて平気でいられる奴は信じられない」と訳知り顔で言いたがる人に限って、実は自分が一番好き勝手をしたいから、他人に我慢や面倒を押し付けたがっているだけなのですよね。
その言い分を真に受けて僕が自分を抑えて不本意な生き方をしたところで、筋を通してその責任を取ってくれるわけではありませんから。
要は、一見正論めいた事を言うことで自分が優位に立ちたいだけなのであって、内心では「舌先三寸だけで相手の出鼻を挫ければ儲けもの」という算段でしかないのです。
美辞麗句を言いたがる人間ほど信用ならない者はいない。
もしあなたにとって有害な家族がいたら・・・思い出して欲しい10のアドバイス
(カラパイア 不思議と謎の大冒険、2015年5月9日)
日本人よ。妙な美辞麗句を押しつけられたらワナだと気付け
(ダークネス:鈴木傾城、2018年3月22日)
或いは、今まで散々「馬鹿じゃね? ガキか童貞じゃあるまいし」と斜に構えて若さを無駄遣いしてきたから、人生の折り返し地点に差し掛かった今、それを挽回したい深層心理もあるのでしょうね。
そういった経験をしてきたからこそ、今閉塞感に苛まれている人の気持ちは、すごくよく解ります。
そして、だからこそ、
「そんなに嫌なら転職すればいいじゃん。日本には職業選択の自由があるいい国だ」
「そんなに嫌なら起業すればいいじゃん。いいぞ~誰にも気を使わなくて、というかむしろ気を使われる立場だし。札束で他人の頬をひっぱたくのはすげえ快感」
などと安易に言えないというのもよく解ります。
まして僕の場合は単に運が良かっただけであり、実力で勝ち取ったものではないだけに。
でも今にして思うのは、身の上話を交えながらアドバイスをしているようで、実は癒されていたのは僕のほうだったのかも知れません。
「あの時辛かったのは俺だけじゃなかったんだ」と。
がんぎっこライヴを見終わり、さあ戻ろうとしたところへ、じょでぃーさんが現れ、
「ああ、ここにいたんだ。おめでとうございます」
………え? ……ええ? ま、まさか…、まさか…!?
朝のミーティングでは、受賞者には主宰T氏が自分の名刺の裏にメッセージを書いて車のどこかに置いておくと仰っていましたが、確かにワイパーに挟まっている!
痛車としてはショボいのに、誰がどんなところを評価してくれたのか…?
嬉しいけど、同時に解せないものも。
16:00、表彰式。
僕は、がんぎっこ・
あみか賞を受賞。
何でも、痛車としては控えめなのに元ネタを知っている人が見れば要点を押さえてあることが判るのと、それ故逆に拘りの強さが窺えるのと、小さいのにスーパーカーみたいというギャップが可愛らしいのと、純正で
ガルウィングドアなのが新鮮な驚きがあってそれだけで目立つので、一目見たときから決めていたとか。
朝のミーティングで、今年は多くの台数を展示することができたからその分賞も増やしたとは聞いていましたが、まさか自分が…。
錚々たる顔触れが集まっており、受賞など自分には一生縁のない話だと、今の今まで思っていたのですが…。
痛車としてどうこうではなく、オーナー同士やコスプレイヤーたちによる組織票でもなく、純粋に車そのものを着目してもらえたのが、これ以上なく嬉しいです。
朝の設営時に訪れてくれた見学者の方々も、わざわざ祝いに来てくれました。
痛車関係・コスプレ関係の人々は一人も来てくれず最後まで総スカンでしたし(´;ω;`)、授賞式を見に来たオーナー諸氏の反応も「何であんなしょぼい痛車が?」とでも言わんばかりの冷ややかさでしたが(´;ω;`)、こちらも純粋に車そのものを見てもらえたのが何より嬉しいです。
その後も、飲み会帰りと思われるサラリーマンの集団が通りがかって
「おおそうか、今日は痛車を並べる日だったんだっけ」
「ほら、このフェラーリもどき、いいんじゃね?」
などと話し合いながら、楽しそうにスマートフォンで写真を撮っていきます。
そういう一般人の反応も身近に見れて嬉しいです。
ただ展示するだけではなく、仲間内だけで集まって他を寄せ付けないのでもなく、ヲタクでもないのにわざわざ見に来てくれたのだから楽しませてあげたいですね。
18:00、搬出。
空は暗くなり、商店街には明かりが灯り、夕方から降ってきた雨脚は徐々に強まってきました。
商店街を華やかに飾っていた痛車たちも、次々に帰路に就きます。
僕も、関越さんの撤収作業を手伝ったら、予約していたホテルへ移動すべく搬出します。
本当は、関越さんの実家で東方痛車勢で打ち上げしようと誘われたのですが、でもそれに参加すればホテルをキャンセルしなければならない上に、今年も強硬日帰りになってしまう。
後ろ髪を引かれつつも断ります(´ω`)
来年は再び見学として訪れるつもりですが、次こそ打ち上げに参加します。そして長岡市内のホテルで一泊しようっとw
関越さん・じょでぃーさん・ソニアさん・藤原さん・RIOさん・Toshiさんらに見送られながら、会場を後にします。
一年振りの高田であり、毎年錚々たる顔触れが揃っているので考えもしなかったエントリーですが、思わぬ出会いや収穫、更には祝福もあって、幸せな一日でした。
過去エントリーした人々からは良い評判を聞いていましたが、実際に自分がエントリーしてみて、きめ細やかで段取り良い対応をして頂いたことで、褒められる理由が分かりました。
スタッフの皆様、エントリーした皆様、コスプレイヤーの皆様、商店街の皆様、関係各位の皆様、お相手してくれた皆様、そして賞をくれたがんぎっこの皆様、有難うございました。
詳細はフォトアルバムを参照(掲載待ち)。