昨日18日の午後、父の病院から私の携帯へtelが。
父に熱が出てあまり良い状態ではないとか。
医師からの説明を出来るだけ早くしたいと。
伯父の葬儀の後で父に会ったのですが、素人目にもいい状態ではないと察し、私もできるだけ早く先生から説明を聞きたいと思っていました。
と言っても仕事中に抜け出せず、19時前に到着。
担当医師より
・抗がん剤の副作用が大きい。
・しかし、抗がん剤を使わなければ前立腺ガンが大きくなり、悪影響がでる。
・体力を考えると次回の抗がん剤点滴は難しい。
・緩和治療もあり得る。
・出来るだけ合わせたい人には連絡して下さい。
・携帯電話はONに。
父は入院して直ぐに腎臓へカテーテルが繋がれ、尿が出るようになり、むくみも解消されました。
ガーゼと防水シートを取り外し、針の部分を消毒、再びガーゼ、防水シートを付けます。
カテーテル根元部分の粘着テープも取り替えます。
私は看護師さんに教わり、三度目で自分でもできるようになりました。
直ぐに退院しても大丈夫なように
エディオンさんにエアコン用の200Vのコンセントを設置してもらい、
タンスを二つ処分してベッドをレンタルしました。
これは介護保険を使わなくても格安でした。
本日19日(金)も仕事帰りに病院へ。
昨日より安定しているように見えましたが、父は激やせ。
白血球数値が落ちて免疫力も低下、厳しい状態に変わりないようです。
父には昔話を色々。
・兄弟げんかで父がテレビを壊したこと。
・私の感謝状を破ったこと。
・祖父の思い出として
私にお年玉として「ソランに200円やってくれ。」と祖母に言い、
祖母が私に100円札二枚をくれたこと。
他には
「早う元気になってわしのお弁当のお茶をいれてくれぇやぁ。」
「お母ちゃんの顔を見るまで死ねんじゃろうがぁ。」
「ディサービスへ行って、お昼を食べ、カラオケして、将棋見て、来年にはタイムカプセルを掘るんじゃろ。」
「兄弟で家を片付け、エアコンの取り付け準備もして、ベッドもレンタルしたんでぇ。」
「わしの予定じゃ、お父ちゃんが死ぬのは6年後じゃ。」
父は時々笑いながら私の話を聞いていました。
私が帰ろうとすると、父は
「一緒に帰らんゖ?」と細々と。
私は、
「元気になったら嫌でも連れて帰る。今晩も大人しくしとってくれぇやぁ。
用事を済ませて、明日の昼ぐらいにまた来るけぇ。
弟らがお母ちゃんのところへ行っても、わしはこっちに来るけぇ。」
こうして病院を後にしました。
真夜中の電話がないことを祈るばかりです。
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父 | 日記
Posted at
2017/05/19 23:19:12