岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。位階は正二位、勲等は大勲位。
旧姓佐藤(さとう)。佐藤栄作氏の兄である。
満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)、皇學館大学総長(第2代)などを歴任した。
東條英機内閣の大東亜戦争開戦時の重要閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留された。しかし、即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であることなどの事情が考慮されて不起訴のまま無罪放免されている。他の戦争指導者同様、公職追放は免れなかったが、それも東西冷戦の影響による米国の方針変更によりサンフランシスコ講和条約発効とともに解除されている。
昭和戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望され]、満州においては「二キ三スケ」と称され、A級戦犯被疑者および60年安保の苦境をも乗り切った昭和戦後は「昭和の妖怪」と呼ばれた。
ウィキペディアより転載
東山旧岸邸は、第56・57代内閣総理大臣を務めた岸信介氏の私邸として昭和44年に建てられました。
岸氏は昭和45年から昭和62年まで、晩年の17年間を御殿場市で過ごされました。同私邸は、平成15年に御殿場市に寄贈され、平成21年から一般に公開されています。
建物は、近代数寄屋建築で有名な建築家吉田五十八(よしだいそや)氏が設計しました。伝統的な数寄屋建築の美と、現代的な住まいとしての機能の両立を目指したこの邸宅は、氏の建築美学の到達点の一つといえます。
庭園は、小川の流れる和風の庭で、ここで多くの要人や海外からの賓客をもてなしました。紅葉やアジサイなど四季折々の自然の移ろいを感じる庭園と美しい建物は、訪れる人に安らぎを与えています。
静岡県HPより転載
茅葺屋根の門を抜け、木々に囲まれた小道を散策。
岸邸 玄関。
玄関ホール 待合所、簡易応接室としても利用。
天井材は当時新素材の樹脂製品(ビニルクロス)を使用。
中庭を設け玄関ホールに光を導く。京都の町家的発想。
階段室吹抜。
応接室 建具クローズ状態。
応接室 建具フルオープン状態。すべての建具は壁に引込まれ、部屋と庭は一体となる。
岸氏愛用の椅子よりアイビュー。
岸氏愛用の椅子。
食堂。
庭先より建具フルオープン状態の食堂を望む。
岸氏書斎。
元は廊下より和室へ続く土間となっていた(赤いカーペット箇所)。
床面より20センチ程下げ、タイル仕上げにより和室は離れ的存在としていた。
和室6帖8帖二間続部屋。鴨居は2.7m+3.6mとスパンが広いが、細い部材を使用。
実は障子の召し合わせ箇所で鉄棒により鴨居を吊っている。
厨房。
厨房に設けられた設備制御システム。当時としてはハイテクである。
庭先より応接室食堂を望む。
伊藤博文氏より贈られた石灯籠。
吉田茂氏より贈られた石灯籠。
所在地/御殿場東山1082-1
TEL/0550-83-0747 FAX/0550-83-0778
開館時間/ 4月~9月 10:00~18:00
10月~3月 10:00~17:00
休館日/毎週火曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/29~1/3)
Posted at 2014/10/24 20:50:16 |
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