2015年06月14日
車人生の振り返り(幼少期~10代後半まで)
日光でのエンジントラブルから早いもので間も無く2ヶ月。
壊れた直後は復帰を焦っていました。恐れていたのは過ぎ行く時間の中で体力やスピード感が衰えるのではないかと。
見た目はやや若いと言われますが体は正直に約45年が経過している訳で、若い頃とは違い動体視力の衰えは感じていますから。
自分は物心ついた時から車が好きで、幼少期は当時住んでいた借家の傍を通る県道まで出て行っては、段差で跳ねる車達をジーっと見つめる変な子供でしたw
ドライブに連れて行ってもらうのが楽しみで、すれ違う車の名前を何度も親に聞いてましたね。
小学生の頃はZやスカイライン、セリカのリフトバック、サバンナRX-7に憧れていて、近所の車好きのお兄さん達はそんな私を可愛がってくれました。ご飯を食べに連れて行ってくれたり、プラモデルを買ってもらったり・・・そうそう、一度30Zに乗せてもらったのですが、着座位置が低くて景色が見えない上にスピードを出されて半ベソかきました(笑)
子供の頃は運動が苦手で、特に足が遅くって・・・運動会は大嫌いでした。
表彰されている同級生を遠くから卑屈な心で見ている自分。
車だったらきっと速く走れる!と、いつの日かレーサーになる夢を抱いていたのですが、親には全く理解を得られずにいつも厳しい現実話しで押さえつけられてました。
そして決まって「お前は誰に似たんだ?」と。言われる度にショックでした・・・
中学生の頃、たまたまテレビでWRC(モンテカルロ)を見て衝撃を受けました。
グループB規定の500馬力のモンスターを駆り、人間離れした卓越したマシンコントロール・・・
「世界で一番運転が上手いのはラリードライバーだ!」と一気に憧れを抱きました。
高校時代は当時殆ど出回ってなかったWRCのビデオ漁りw 地元のレンタルビデオ店に通ってダビングしてもらっては親に怒られながらも毎日見ていましたw
卒業後に地元の三菱のディーラーに就職。動機は不純にも、社員駐車場にラリー車が数台停まっていたからですw
念願の愛車選びですが、本当はランタボかスタリオンの中古が欲しかったのですが、オーナーに新車にして欲しいと説得され、当時発売間もないFFのランサーGSRになりました(レア車)
エアコンやカセットは贅沢品だと親に反対されて未装着・・・音楽が無くて寂しいので後部座席にラジカセを積んで音量は全開に。信号待ちのタイミングて急いで振り返ってテープの入れ替え(笑)
そしてお金も無いのに近くの峠を走りまくりました。首からストップウォッチをぶら下げてw
当時の給料は10万円ちょっとでしたが、3万円の車両代のローンにガソリン代が月6万円w
タイヤが無くて職場で前借して・・・そしてまだ支払いが終ってないのにタイヤを直ぐにツルツルにしちゃったり・・・若かったなぁ。
車仲間も増えて仲間内では少し速い部類になりましたが、いつしか自分の中ではきちんとした順位が欲しくなっていました。本当はラリードライバーになりたかったんですよね。
競技に出るには何が必要なのか・・・会社の先輩にジムカーナでも始めたら?と薦められてB級ライセンスの講習を受けに。
程なく当時できたばかりのエビスサーキットでの大会に出場。結果は1本目ビリ、2本目ミスコース。
その頃はAクラスがナンバー付きで排気量ごとに3クラスあり、私の車だとA3クラスに入ってしまうので完全に場違いだったんです(A3クラスはAW11SC全盛時代)
これでは勝てない?と、GA2シティの中古に乗り換え。競技車両の中古だったので、車内にはバケットシートにナルディのステアリング、ニーレストが付いていて、助手席の足元には消火器まで装備してありました!でもダートラ仕様w
アンダーガードとラリータイヤが最初から付いていて一目惚れ。なにせWRCファンですからw
当時付き合っていた彼女は開口一発「何でこれにしたの?」と冷たい反応でした(笑)
シティには常にカラーコーンを積んでいて、広場を見つけてはサイドを引いてグルグル練習w
そんなこんなで再度ジムカーナに挑戦したのですが、どうしても先輩方とは仲良くなれずに苦しいばかりの日々でした。思い切って速い方に質問をしても教えてもらえず。振り返れば競技なんですから簡単には教えませんよね。当然成績は望めずに帰り道で悔し涙を流したことも・・・
よく友人達に「それで楽しいの?」って言われてました。
20代編に続く・・・かも?(笑)
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Posted at
2015/06/15 00:24:16
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