車・自動車SNSみんカラ

  • 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
2017年04月24日 イイね!
会津若松 桜とソースかつ丼と天ぷら饅頭先週は、会津若松に行ってきた。

毎年、桜の季節には、桜名所100選に選ばれているような桜の名所で花見をするのが恒例です。
が、今年は週末土曜日に、満開のタイミングで行ける場所の天気が思わしくなく、行けずにいました。

先週末に、会津若松の桜がちょうど満開になると言うので、行ってきました。

いつものように、海老名ICから圏央道、東北道を経由して磐越道に入り、磐梯熱海ICで一般道に降りました。

猪苗代湖を横目に国道を走って、到着したのは、最初の目的地「強清水元祖清水屋」さん

お目当ては、名物の てんぷら饅頭 。
お店は、お蕎麦屋さんなのですが、お蕎麦は頂かず、天ぷらだけをテイクアウトします。

頂いたのは、「饅頭」「いか」「にしん」の天ぷらです。
饅頭の天ぷらは、甘さが控えめで、あっさりとしていて美味しい。
いかの天ぷらは、するめを戻して、天ぷらにしてあるので独特のお味なのですが、これがまた美味しい。
にしんの天ぷらは、身がほくほくとして、干してあるにしんの味が美味しい。
いずれも、普通の天ぷらとは一味違うのですが、これが美味しいんです。

次の目的地は、「石部桜」
大河ドラマ「八重の桜」で、オープニングに登場した桜の木です。

樹齢が推定600年という、エドヒガンザクラで、福島県内で最古クラスの桜の1つです。
会津五桜の中でも、代表格の桜なのだそうです。

本当に満開で綺麗でしたが、花が小さく可憐なので、ソメイヨシノのゴージャス感とは別の清楚な感じの華やかさを感じる桜でした。

昼食に向ったのは、「いとう食堂」
行列必至のお店で、お店に着いたら店の外に7人待ち。 でも、15分ほどで店内に入れました。

当然、「ソースかつ丼」を頂きます。
お肉はめっちゃ肉厚なのに、驚くほどやわらかく、甘みが強めなソースの味わいとマッチして美味しかったです。

ソースかつ丼は、秩父、前橋、高崎、駒ヶ根、なんかで食べてみましたが、トップを争うのは、福井のヨーロッパ軒 と この店 じゃないかと思われました。
両者は、方向性が全く違うので、人によっては大差かも知れませんが、私には双璧と思えました。

さて、この日の主目的地「会津若松城」に向いました。


道路は渋滞気味だし、近くの駐車場は、どこも満車で、待ち行列ができていました。
ので、少し離れた駐車場に車を止め、徒歩で向かいました。



三の丸の南側から二の丸を通って、本丸に入りましたが、三の丸の桜も、二の丸の桜も満開です。
やっぱり、水掘りと石垣が良い造りのお城です。
もちろん本丸の桜も満開で、大変な人出で、あちこちで花見客が盛り上がっておりました。



桜に浮かぶ、赤い瓦屋根の天守閣です。
お城で花見って、良いですよね。

のんびりお花見で時間を使ってしまったので、山城に行く予定を取りやめて、喫茶店で一休みして、帰途に着きました。

会津若松ICから、磐越道に乗り、東北道から圏央道経由で帰ってきました。
上河内SAで、餃子定食を食べ、佐野SAで仮眠取ったら、寝すぎてしまい、帰宅したのは朝方でした (^_^;)


Posted at 2017/04/27 20:54:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2017年04月15日 イイね!
今年もたけのこ食べに行ってきた。先週は、たけのこを食べに行ってきた。

目的地は、千葉県 大多喜町。

横浜新道から、首都高湾岸線に乗り、アクアラインを通過したら、そこからは一般道で、大多喜村に向いました。

いすみ鉄道と並行して走る一般道では、菜の花が綺麗に咲いていました。

鉄道沿線には、撮り鉄の方々が、三脚を据えて、列車が来るのを待っておりましたので、
ちょっと寄って聞いてみたら、「あと10分もせずに列車が来る。」とのこと。

なので、列車と菜の花を撮って見ました。(最初の写真ね)

その後、去年も行った「たけのこ」というお店で、「たけのこ御膳」を頂きました。
今年も、刺身から、煮物、焼き物、揚げ物、味噌汁、ごはんとたけのこづくしを満喫してきました。
今年のたけのこは、えぐ味がほとんど無くて美味しかったです。

そして行ったのは、「大多喜城」。

天正18年(1590)、家康の関東移封に伴って関東に入国した重臣・本多忠勝が上総国大多喜に入って、安房国里見氏のおさえとして築いたお城です。
模擬天守は資料館になっていて、大多喜城の歴史を学ぶことができます。
また、4階から見渡すと、本丸、二の丸の構造がよく分かります。

何年か前にも来ているんですけど、今回も桜が咲いていました。

次に行ったのは、「万木城」
櫓風の展望台があり周囲が見渡せますが、その場所は、主郭ではなく二の郭です。

二の郭の端から奥に入って行くと主郭を見学できました。


その後は、日帰り温泉に浸かって、木更津まで移動して夕食を食べ、
アクアラインを通って、来た道を帰ってきました。

Posted at 2017/04/23 20:11:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2017年04月08日 イイね!
福島で鎌倉時代のお城見てきた先々週、福島に行ってきた。

いろいろあって、投稿が遅くなりました。 (^_^;)

さて、今回の目的は、防塁とお城と円盤餃子。

まずは、海老名ICから圏央道に乗り、東北道に入り、いつものように佐野SAの佐野ラーメンで腹ごしらえをして、さらに北上し、国見ICで降りて目的地へ。

最初の目的地は、「阿津賀志山防塁」。 (最初の写真ね)

文治5年(1189)、奥州平泉の藤原泰衡が源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つべく、築いた防塁です。
一説によると延べ40万人もの人員が動員されたのではないかという未曾有の大工事で作られた、長さ3Kmを超える二重堀で、地元では「二重堀(ふたえぼり)」と呼ばれているのだそうです。

山の中腹部と南端の遺構を見学しつつ散策できます。

堀も土塁も削られてしまって、低く浅くなっているのですが、往時の様子を想像するに、奥州軍の威信をかけて作られた防塁であったであろうことが伺えました。
残念ながら、奥州軍はここを守りきれずに、鎌倉軍に敗退したんですけどね。

ついで見学したのが、「旧奥州街道国見峠長坂」。
奈良時代や平安時代には東山道として使われ、以後も、奥羽地方への主要街道として機能し、江戸時代には奥州街道として参勤交代にも使われたという街道です。
明治10年代の後半に、麓に新道が作られるまで使われていたのだそうです。

古くは奈良時代からずっと主要道だったという街道は、しっかり痕跡を残しており、いろいろな時代に思いをはせると、感慨深いものがありました。

次に向かったのは、「桑折西山城」

防塁で攻防した、文治5年(1189)源頼朝の奥州藤原氏征伐の戦功により伊達郡を賜った伊達氏の始祖 朝宗 が築城した山城です。

お城の中(大手門の内側)まで車で登って行くことができました。
が、3ナンバーセダンで登るのは無謀かもというような未舗装の狭い道で、「車で登れる」という情報を信じて登り始めて、2,3度腹を擦りつつなんとか登り切ることができました。

お城は、とても大きくて、見ごたえたっぷりでした。

次のお城は、「大森城」

南北朝時代に築かれ、伊達氏、蒲生氏、上杉氏と領主が変わり、江戸時代にこの地域が天領となるに至って廃城となったお城だそうです。
伊達時代には、南を攻める拠点として使われ、伊達正宗の片腕であった 片倉(小十郎)景綱が城主だったこともあるのだそうです。

山の尾根に作られた山城で、作りが分かりやすく、現状は公園なので、見学しやすいお城でした。
二の丸には模擬櫓が作られており、登ってみると良い景色でした。

夕食は、念願の円盤餃子を「川島」さんで頂きました。

関東で円盤餃子と言えば、ホワイト餃子が有名ですし、相模原の「ギョウザ萬金」では、美味しい餃子を何度も頂いています。
かたや、福島でも円盤餃子が有名だと聞いて、今回初めて伺い、お店で、焼き餃子を頂きました。
厚めの皮で、焼かれていると言うよりは揚げられている感じで、パリッとした食感です。
中の餡は、ペースト状といってもいいぐらい細かく具材を刻んだものになっており、しっとりふわふわな味わいが良い感じで、ほんのり香る、ニンニクと生姜が良いアクセントになっています。
どこの餃子とも似ていない食感と味わいは、大変美味しかったです。
ちょっと遠すぎるので、何度もリピートするわけには行きませんが、近くに行ったら、また行きたいです。

帰りは、福島飯坂ICから東北道に乗り、仮眠をとりつつ来た道を戻って帰ってきました。

全行程 約770km  燃費計 16.0km/L
Posted at 2017/04/19 21:39:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2017年03月25日 イイね!
愛知県の お城 と 国府、国分寺、一之宮土曜日は、愛知県に行ってきた。

天気も悪くないし、ちょっと盛りだくさんな計画になってしまったので、
気合を入れて、金曜の夕食後に出発しました。

厚木ICから東名に乗り、新東名のPAで朝方仮眠をとって、岡崎SAで朝食をとり、伊勢湾岸道の豊明ICで降りて、刈谷に向いました。

最初のお城は、「刈谷城」

本丸と二の丸の一部が残こされています。
水掘りが広いのが印象的ですが、天文2年(1533)に築城されているので、鉄砲に備えてと水掘りを広くしたと言うよりは、もともとあった池か沼を利用して水掘りにしたのだろうと思われます。

桜祭りの準備が始まっており、出店が用意され始めていました。

次に向かったのは、「沓掛城」

正中年間(1324-26)の築城とのことですので、鎌倉時代に築城されたという、古いお城です。

古いお城だけあって、構造は単純で分かりやすく、かえってお城の雰囲気がよく分かって、お城が楽しめました。

ちなみにこのお城、桶狭間の戦いで戦死した今川義元が最期に泊まった宿。として有名らしいです。
つまり、当日朝はここから出発して、桶狭間まで移動し、休憩していたところで、信長に急襲され戦死したんですね。(桶狭間古戦場公園まで6Kmほどの距離です)

3つ目のお城は、「末森城」
現在は、「城山八幡宮」になっています。

三河へ進出してきた今川氏と対抗するため、織田信秀(信長の父)が天文17(1548)に築城したお城です。
信秀が病死し、信長の弟である信行が城主となったが、信行は信長に謀反を企み、稲生原の合戦で敗北。弘治3年(1557)信行は清洲城にて謀殺された。
末森城は翌年廃城となり、後に、城山八幡宮が作られた。のだそうです。

深い堀と土塁によって守られたお城で、堀の深さと広さが印象的でした。
名古屋の市街地に、これほどの遺構が残っているお城があるのは、凄いですよね。

昼食は、あんかけスパを「からめ亭 本店」で頂きました。
普段のお食事といった味付けのスパゲティーは、美味しかったです。
が、名古屋飯の味付けになじめない他府県の人には、お勧めできないんだろうなぁ。。。

昼食後は、奈良時代を訪ねてまわりました。
最初は、「尾張国分寺」の跡地。

現在は、植木屋さんの土地や畑になっていて、確認できた遺構は、5重の塔の礎石だけでした。
ただ、立派な大きさの礎石を見ながら、往時の5重の塔を想像すると、立派な国分寺であったであろうことが伺えました。

ついでに行ったのが、「現国分寺」

本家国分寺が消失した後、別のお寺に引き継がれたらしいのですが、17世紀になって、釈迦堂(国分寺堂)をこの場所に移築し、明治に入ってから、国分寺を名乗ることになったのだそうです。

次に向かったのは「尾張国府跡」

住宅地の中に、石碑と案内板があるだけでした。
が、奈良時代に尾張国の中心地だったのですから、奈良時代の東海道はここを通っていたのだと思われ、江戸時代の東海道はずっと南を通っていたので、時代ともに尾張国もずいぶん変わったのだと思わされました。

お次は、「尾張国総社「国府宮」」。
現在は、「尾張大國霊神社」という名前です。

御祭神は、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
尾張地方の國霊神で、尾張の地元の神様ですね。
とはいえ、総社なので、いろいろな神様が祀られていました。

最後は、 尾張国一之宮である、「真清田神社」

御祭神は、天火明命(あめのほあかりのみこと)
アマテラスさんのお孫さんにあたる神様だそうです。
一宮市の市名の由来になっているのだそうです。

帰り道は、小牧ICから東名に乗り、新東名-東名と辿って厚木ICまで帰ってきました。
途中、晩飯食べたり、仮眠取ったりしたので、帰り着いたのはAM3時を回っていました。

全行程 約710Km 燃費計 15.2km/L でした。


Posted at 2017/03/30 21:24:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2017年03月20日 イイね!
日本のポンペイ と 群馬の古墳土曜日は、群馬に行ってきた。

お目当ては、日本のポンペイ。
今から1500年ほど前の古墳時代に、榛名山の噴火による火砕流で、埋まってしまった4人の家族が、発掘され、いろいろ調査された結果が、「群馬県立歴史博物館」に展示されている。
しかも、今月3月末まで。 というのを知って急きょ行ってきました。

2017年2月3日放送の歴史秘話ヒストリア 「スクープ!1500年封印された感動メッセージ」で取り上げられた遺跡です。

例によって、圏央道から関越道を使って、高崎市に向います。

最初に行ったのは、「観音山古墳」

6世紀後半(古墳時代後期)の築造と推定され、数多くの副葬品が出土したことで知られているそうです。 (最初の写真ね)

石室があって、覗けるのですが、中には入れませんでした。
 (公開日には中に入れるのだそうです。)

きちんと整備されているので、上まで登って周りを見渡すことができます。

次に向かったのは、「群馬県立歴史博物館」

東国古墳文化展示室にあるのが、
「群馬県古墳総合調査」の結果と日本のポンペイ「金井東裏遺跡調査」の結果の展示です。

その他の常設展示は、
 原始:岩宿遺跡や縄文の工芸技術
 古代:古墳から上野三碑・上野国分寺まで
     先ほど見た「観音山古墳」から出土した土偶が展示されてました。
 中世:中世の戦乱の中でたくましく生きぬいた東国武士
 近世:関東北辺の水陸交通の要衝としての近世上州
 近現代:富岡製糸場からスバルまで
というのがあって、のんびり勉強させてもらいました。

群馬って、日本の歴史の中で重要な地域だったことがよく分かりました。
特に、原始、古代には、関東の中心だったようです。

この後には、「金井東裏遺跡」の現地に行こうと思っていたのですが、
博物館で3時間近くも見物していて、夕方になってしまったので、あきらめました。

高崎市内で、上州豚を夕食に頂いて、来た道を戻って帰ってきました。

Posted at 2017/03/24 18:02:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
プロフィール
aladdin2です。よろしくお願いします。 金曜の夜出て仮眠取りながら移動し、土曜観光して、夕方から仮眠取りながら帰ってくるというパターンで、あちこちで...
みんカラ新規会員登録
ユーザー内検索
<< 2017/4 >>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
リンク・クリップ
タイヤと燃費(総まとめ) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/01/09 11:10:27
ファン
5 人のファンがいます
愛車一覧
トヨタ マークX トヨタ マークX
マークX 250G Sパッケージ に乗っています。 15年10月に、インプレッサ GT ...
過去のブログ
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
QRコード
QRコード
このブログを携帯でご覧になれます
ヘルプ利用規約サイトマップ
©2017 Carview Corporation All Rights Reserved.