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2017年01月17日 イイね!
伊勢原の神様先週土曜日、神奈川県 伊勢原市の 神社に行ってきた。

初詣は、いつも地元の神社に行っています。
そして、しばらくして、近場で由緒のある神社に行くのも恒例になっています。

神奈川で初詣に行くとなれば、有名どころは 川崎大師、寒川神社、鎌倉八幡宮 でしょうか。

関東のお伊勢さんとして知られているのが、 横浜総鎮守 伊勢山皇大神宮 です。
が、調べてみると、歴史は浅く創建は 1870年(明治3年)、一寒村であった横浜が開港場となったことをうけて作られたのだそうです。

かたや、伊勢原にある「伊勢原大神宮(いせはらだいじんぐう)」

元和6年(1620年)にこの地を開拓した伊勢出身の山田曽右衛門と鎌倉出身の湯浅清左衛門によって伊勢神宮より祭神を勧請し創建。
地名「伊勢原」の由来に深くかかわっている神社だということで行ってみました。

お伊勢さんを勧請しているので、外宮(げくう) には、 豊受姫大神 が祀られており、

内宮(ないくう)には、 天照大御神 が祀られておりました。


次に行ったのは、「比々多神社」 
開基:神武天皇6年(紀元前655年) という嘘くさいくらい古い神社
主祭神は、 豊国主尊、天明玉命、雅日女尊、日本武尊 といずれも日本神話の神様たち

とはいえ、
 「神社の周辺のみならず旧本殿の在った場所や境内からも縄文~奈良時代の遺跡や古墳が大量に発掘されている周辺地域を含めて文化的歴史的にも重要な神社。
 古代より天皇家や将軍家から信奉され、背後に控える大山と大山阿夫利神社を信仰対象とした古代人の聖地を引き継いでいる神社。」
とのことで、縄文時代から続く由緒ある神社だそうです。

実際に参拝させていただきましたら、境内は落ち着きを感じさせる空気に満ちており、歴史を感じることのできる神社でした。
また、14日だったにもかかわらず、参拝者にお屠蘇がふるまわれており、御朱印を頂きましたら、待ち時間に甘酒をふるまっていただきました。

ひさびさにゆったりと初詣を満喫させていただけました。

その後、小田原まで足を延ばして「湘南パンケーキ」で、お洒落なパンケーキを食して帰途に着きました。

Posted at 2017/01/18 22:08:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2016年12月24日 イイね!
甲州武田家滅亡の発端となった 長篠の戦い 24日(土)は、愛知県は新城市に行ってきた。

数年前に長篠城は訪れていたのだが、今回は、長篠の戦いの決戦地である「設楽原」をゆっくり回るつもりで伺いました。

最初に向ったのは、「新城市設楽原歴史資料館」

長篠の戦いをお勉強させてもらいます。

長篠の戦いの背景と結末ですが、簡単にまとめると、、、、
・武田信玄は、1572年頃、甲州だけでなく、信州と駿河国を所領していた。
・信玄は、1572年に、徳川家康が所領していた三河国を攻める。
 この時、長篠城は信玄の城となる。
・信玄は、三方が原の戦いで家康を破り、三河国を手中におさめかけたが、病死してしまう。
 甲州へ武田軍が撤退する間隙を縫って、家康は長篠城を攻め落とす。
・1575年、信玄の家督を継いだ勝頼は、信玄の遺志を継ぐべく、三河に侵攻する。
 同年5月、長篠城を包囲する。 ここから長篠の戦い。
・家康は、勝頼の長篠城攻めに対し、織田信長の援軍を得て、設楽原に布陣。
・家康・信長連合軍は、馬防柵と土塁を築き、背後の鉄砲隊で、武田騎馬軍団を撃退。
・勝頼は、武田24将に数えられる歴戦の兵を多数失う大敗をしてしまう。

◎真田丸のお父ちゃん 真田昌幸は、この戦いに「武藤喜兵衛」として参加していました。
  昌幸には、信綱、昌輝という兄が居たので、武藤家に養子に出ていたのです。
  信綱が真田家を継いでいたのですが、長篠の戦いで、2人の兄が戦死してしまいました。
  結果、お父ちゃんは真田昌幸として、真田家を継ぐことになりました。
  大河ドラマ「真田丸」は、この後の家康が信濃に侵攻するところからはじまりましたね。

それはさておき、まずは、「信玄塚」
「大塚」 

武田軍の戦死者を埋葬したのだそうです。

「小塚」 

こちらは、織田・徳川軍の戦死者を埋葬したのだとか。

「天王山陣所」
内藤昌豊の本陣があり、勝頼が戦地で指揮をした場所です。
「武田勝頼指揮の地の碑」


「内藤昌豊の碑」 


「山県昌景の墓」

このあたりに、山県昌景が、布陣していたようです。
後で出てくる、決戦地や家康の物見塚が見通せます。
意外な近距離に布陣していたことに、驚かされました。

「馬防柵」

もちろん復元です。
信長は、馬防柵を作るための木材を、尾張からの行軍の際に足軽に運ばせたのだそうです。
武田騎馬軍団の脅威に対して用意周到に臨んだのだと、思わされます。

「決戦地の碑」

近くにある、「家康 物見塚」

その裏手にあるのが、「家康本陣跡」である八剱神社



最後は、「織田信長戦地本陣跡」

家康の陣からすると、はるか後方に陣を張っていたのですね。
残念ながら、ここから設楽原を見通すことはできませんでした。
往時は、木が無くて見通せていたのでしょうね。

この日は、一般道を使って茶臼山公園まで車で行って、そこから登りましたが、
新東名高速道路の設楽原PA(下り)からも登ってこられます。

これ以外にも、途中で、あちこちの碑やらお墓やらを巡って歩いたのですが、長くなるので省略。

昼も過ぎて、お腹が空いたのでお食事。
「こんたく長篠」の焼き肉レストランで、「鳳来牛」を頂きます。

産地のJAさんがやっているお店とのことで、お値段以上のお肉で、
久々に、上質な国産牛を堪能させていただきました。

次は、すぐ近くの「長篠城」
鳥居強右衛門(すねえもん)の立て看板が迎えてくれますが、

ここの見所は、深い堀と土塁です。

2方を川で削られた崖に守られているので、のこりの2方を深い堀と土塁で固めたお城です。

時間前後しますが、途中で立ち寄った「道の駅 もっくる新城」にこんな旗が、

来年の大河ドラマゆかりの地なんですね。

長篠城を出た後は、一般道を使って浜松に向ったので、
まさに 直虎ゆかりの井伊谷を通過したのですが、
あちこちに、旗やら看板やらが沢山立っており、早くも大河ドラマ色になっておりました。


浜松でショッピングして、夕食を頂き、帰途に着きました。

前日の名古屋も含めた、走行距離 約720km  燃費計 14.4km/L
一般路をそれなりに走ったので、燃費もそれなり。
Posted at 2016/12/29 22:53:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2016年12月23日 イイね!
名古屋飯 満喫じゃー23日(金)は、名古屋に行ってきた。

本当なら、名古屋周辺のお城めぐりの予定だったのだが、
前日の土砂降りの結果として地面がぐちゃぐちゃで、とても回る気になれず。

ということで、名古屋飯 満喫ツアーになりました。

名古屋飯の最初は、「天むす」。
いつもの「千寿」さんで、テイクアウトします。
まだ温かい 天むす をほおばると、絶妙な味のバランスに満たされて、
「今日もご飯を頂ける幸せ」を感じるんですよね。

腹ごなしに向ったのは「鶴舞公園」

名古屋地区では、知っている人は知っている聖地ですよね。
聖地の凄さをしばし味わってきました。

お次は、 「味噌煮込みうどん」を 「岩正 手打うどん店」さんで頂きました。
八丁味噌で煮込まれたうどんは、濃いめの味ですがとても美味しい。
ご飯も注文して、一緒に食べるのが、美味しくてお気に入り。

続いて、 「御器所八幡宮(ごきそはちまんぐう)」を参拝しました。

主祭神は「品陀和気命(ほむたわけのみこと、応神天皇)」だそうです。

HPによれば、「創立年代不詳と伝えられています。一説には五十四代帝であらせられる第54代帝、仁明天皇にんみょうてんのう(在位天長10年(833年)より 嘉祥3年(850年))勅願社とされ、熱田神宮鬼門きもん方位の守護として鎮座されたとも伝えられています。」
もともとは、この地域の総社であり、江戸時代に八幡宮になったのだそうです。
ということで、神様が多数祭られておりました。

そして行ったのは、「星が丘テラス」
ちょっとお買いもの と 一休み。

ここで、美味しいコーヒーを頂けました。
お店は、「MORGAN COFFEE 星が丘店」

注文を聞いてから、その1杯分だけ豆を挽き、丁寧に基本を守り時間をかけて落してくれます。
ペーパードリップですが、店員さんは、ちゃんと修行したらしいことが伺えます。
ストレートのマンデリンを頂きましたが、雑味が無く美味しく頂けました。

「星が丘テラス クリスマスイルミネーション」も見てきました。

椙山女学園大学の学生さんが製作した、PP(ポリプロピレン)ハウスが並んでいます。
それぞれの中や外には、人の影が有ってドラマを演じています。
ほっこりするイルミでした。

名古屋飯の最後は、「手羽先」。
「風来坊 星ヶ丘店」で大量にテイクアウトしました(^_^)
スーパーでゲットしたお惣菜やサラダなんと一緒に、宿で頂きました。

ってことで、「天むす」「味噌煮込みうどん」「手羽先」という名古屋飯の巨頭を満喫した一日でした。
名古屋には、「味噌トンカツ」「ひつまぶし」「台湾ラーメン」「あんかけスパ」・・・と美味しいものが沢山あるんですけど、一日じゃ無理ですしね(^_^;)

翌日の設楽原・長篠につづく、、、
Posted at 2016/12/27 23:51:21 | コメント(1) | ドライブ | 旅行/地域
2016年12月17日 イイね!
三河国で奈良時代を感じてきた。土曜日、愛知県 豊川市に行ってきた。

豊川市は、 奈良時代には 三河国の国府があって、総社、国分寺、国分尼寺が建立されていました。
現在は、三河国分尼寺の一部が復元されているというので、行ってきました。

厚木ICから東名乗に乗り、新東名を経由して、豊川ICで降りました。

豊川といえば、豊川稲荷が有名ですね。

今回は、門前で定番の稲荷寿司を購入するためだけに、立ち寄りました。
 「門前そば 山彦」さんの 「稲荷寿司」を購入。

最初に向ったのは、主目的地 「三河国分尼寺」

まずは、「三河天平の里資料館」で、概要のお勉強。
復元されているのは、国分尼寺なのですが、国分寺や、国府も発掘調査が行われており、出土品なんかが展示されておりました。

でもって、隣接している「三河国分尼寺跡史跡公園」に行きました。

復元されていたのは、 中門 。

写真は、金堂の土台

敷地としては、国分寺と比べて狭いのですが、敷石や 金堂の土台などが復元されていて、往時の様子をうかがい知ることができます。

次に行ったのは、 「三河国分寺跡」

こちらは、発掘調査されたものの、埋め戻されていて、よく分からなかったのですが、
あちこちにある立て看板を見ながら回ったら、広くて規模の大きなお寺であったことが想像されました。

「八幡神社」が、国分寺跡の隣にありました。
ご祭神は「品陀和気命(ほむたわけのみこと、応神天皇)だそうです。

三河天平の里資料館で、「7世紀半ばに、大分県の宇佐八幡宮から勧請された社」だと知り、国分寺より前に有ったという歴史のある神社なので、お参りしてきました。

続いて向ったのは、「三河總社」

豊川市観光協会のHPによれば、
「大化二年(646)の改新の詔以来、大宝元年(701)の大宝律令までの間に日本は、国家体制と地方行政組織を整えました。
 この頃に穂の国(今の東三河)が西三河(当時の三河国)と一国になり、三河国となりその三河国庁がこの総社の東側に置かれました。」
ということですので、古い順番でいうと、八幡神社<三河總社<三河国府<国分寺=国分尼寺となりそうですね。

そして、「三河国府跡」

現在は、「曹源寺」がありますが、往時の面影をのこす遺跡は有りませんでした。

このあと、一般道を使って、浜松に向いました。

途中立ち寄ったのは、「道の駅 潮見坂」

そして、「新居関所史料館」を見学。

この建物は、江戸時代から現存しているのだそうで、現存の関所建物としては日本唯一だそうです。
「新居関所」は、日本四大関所の一つで、残り3つは、「天下の険」=「箱根」、関東・信濃・北陸の分岐点「碓氷」、木曽路の「福島」なのだそうです。


夕食は、浜松餃子をいつもの「喜慕里 (キボリ)」さんで頂き、
「RAKU SPA Cafe 浜松」でお風呂に入ってのんびりして、帰宅しました。


走行距離 約520km  燃費計 15.3km/L
寒くなったせいか、思ったより燃費は伸びない。

Posted at 2016/12/21 20:45:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2016年12月10日 イイね!
大河ドラマの里 上田に行ってきた土曜日、長野県は上田市に行ってきた。

大河ドラマ真田丸の真田家ゆかりの地です。

例によって、海老名ICから圏央道-関越道-上信越道を辿って、上田菅平ICへ。

最初に向うのは、砥石・米山城です。
登城口はいくつか有るようなのですが、砥石城駐車場からがまっすぐ登る道を選びました。

本格的な山城らしいので、足元だけは登山靴で武装して登り始めました。
登り始めてすぐに有るのが模擬門。

往時こんなところに門があったとは思えませんが、山城気分を盛り上げてくれます。

急な山道を登って行くと、砥石城と米山城の分岐にぶつかります。
最初に向ったのは、「砥石城」。

さらに、登って 「本城」

多くの曲輪を持つ本格的な山城でした。 空堀もなかなか良いです。

天文19年(1550年)9月に甲斐の武田晴信(信玄)が、北信濃の村上義清を攻めて、この砥石城で大敗したという砥石崩れ(といしくずれ)で有名なお城なのだそうです。
とはいえ、大河ドラマ真田丸で登場したので、その方が記憶に新しい(^_^;)
第一次上田合戦では、信幸(お兄ちゃん)がこのお城に詰めていて、上田城から敗走する徳川勢に追い打ちをかけました。
第二次上田合戦では、信繁(幸村)が、信幸にこのお城を渡し、信幸がこのお城を守ることで、真田家直接対決を避けました。

さらに進むと「枡形城」

一番高いところにあるので、本丸として使用されていた時期もあるのだそうです。

来た道を戻って、「米山城」に登りました。

砥石城、本城、枡形城を合わせて砥石城で、米山城は砥石城の支城だと思っていたのですが、
最近は、砥石城、本城、枡形城に米山城を含めて、砥石城という扱いになっているようです。
 (現地の案内板より)
いずれにしても、山の尾根を巧みに利用した要害になっており、真田昌幸(お父ちゃん)が、上田城ができた後にも、大切に守ってきたお城であったことが良く分かります。

登山靴を履いていて良かったと思う場所が何か所もあるような険しい道を登らなければならない山城でしたが、久々に本格山城を満喫できました。

上田駅の駐車場に車を止め、少し遅い昼食。
「上田からあげセンター」のから揚げ定食。

いくつ食べてもくどさを感じない美味しいから揚げです。

次に向かったのは、「上田城」

河岸段丘の上に造られた櫓が、駐車場に停めるとすぐ見えるのが良いです。


本丸に、鎮座しているのが「真田神社」

神社のHPによれば、「真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していました。」
ということで、江戸時代に上田藩を治めていた松平氏を祭る神社として明治時代に造られ、大戦後(昭和)に、歴代城主である、真田氏、仙石氏が、合祀されたのだそうです。

ん? 今気が付いたけど、歴代城主で真田と言えば、昌幸(お父ちゃん)だけじゃん。
境内に、大きな信繁(幸村)の兜があるから、信繁も祭られているんだと思っていたのだが、、、、

上田城内を散策して、東虎口櫓門を出たところにある「真田丸ドラマ館」に向います。

「東虎口櫓門」

門の右側の石垣に積まれている大きな石が「真田石」

「真田丸ドラマ館」

中は撮影禁止なのですが、この鎧兜(信繁の衣装)だけは、撮影出来ました。


その後、「地蔵温泉十福の湯」で、温泉に入って一眠りし、帰途に着きました。

走行距離 約490km  燃費計 14.7km/L(先週からの通算)
先週から、燃費は向上したので、まあまあかな。

Posted at 2016/12/15 21:21:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
プロフィール
「@shellie.may 湘南楽しめたようで、良かったです(^_^)  神奈川県内は、いっつも渋滞。  地元民は諦めてますわ。 お洒落なカレーなら「珊瑚礁」がお勧めですよ♪」
何シテル?   01/16 12:23
aladdin2です。よろしくお願いします。 金曜の夜出て仮眠取りながら移動し、土曜観光して、夕方から仮眠取りながら帰ってくるというパターンで、あちこちで...
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