過去の訪問記になります m(__)m
2018年9月15日(土)に山形県米沢市に行ってきた。
昨年の11月に東北中央道が、東北道の福島JCTから米沢まで開通し、米沢が近くなったので行きたいと思っていました。
しかも、現時点で、福島大笹生ICから米沢北ICまで無料です。
金曜日の夜出発し、北へ向かうときは恒例になりつつある東北道佐野SAで佐野ラーメンを食べ、
仮眠をとって、午前中に米沢に到着しました。
まずは、米沢駅にほど近い、「
新杵屋 本社工場直売店」さんで、「駅弁 牛肉どまんなか」を購入しまして、米沢城に向かいます。
米沢城の駐車場に車を止め、駅弁を頂きました。
さすがは、全国クラスに有名な駅弁ですので、大変おいしい。
腹ごしらえをして、お城を見に向かいます。
といっても、駐車場がすでに、お城の二の丸の跡地なんですけどね。
本丸の水掘を見ながら、上杉神社の表参道を目指します。
本丸の水掘の外側に、「松岬神社(まつがさきじんじゃ)」があります。
その横には、「上杉鷹山」公の銅像がありました。
そして、「松岬神社」
こちらには、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続、他の方々が祭られています。
そして、「上杉神社」
こちらは、「上杉謙信」公が祭られています。
ここが、米沢城の本丸になります。
その境内に「伊達正宗公生誕の地」という碑がありました。
もともと米沢は、伊達氏8代から伊達氏の領地だったのですが、15代晴宗(政宗のおじいさん)が、米沢を伊達家の本拠としました。
結果、伊達政宗はこの場所で生まれたのですが、1591年小田原遅参を理由に秀吉に岩出山に移されてしまいました。 (会津には蒲生氏が入るのですが、省略)
そのあと1598年に会津120万石の領主として、「上杉景勝」が入りました。その時、米沢はその一部で、米沢城は「直江兼続」が城主でした。
有名な「直江状」を発端として、徳川家康が景勝討伐のため挙兵し、何やかやあって「関ケ原戦い」が起こります。
東軍側だった景勝は、戦後、会津120万石から米沢30万石に削られ、景勝が米沢城の城主となり、以後、明治まで上杉氏が米沢をおさめます。
途中、いろいろあって1664年には更に15万石に削られて財政難に落ちりますが、これを救ったのが「上杉鷹山」公です。
次に向かったのは「上杉伯爵邸」
そして「直江石堤」
景勝が米沢に移封された後に、直江兼続が米沢の治水事業を行った時に作られた堤防の一部が今も残っています。
そして「春日山林泉寺」
上杉家の菩提寺で、越後高田(上越市)にあったお寺ですが、上杉氏が米沢に移封された後に米沢に引っ越して来たお寺です。
従いまして歴代上杉氏のお位牌や奥方様のお位牌が守られており、お参りさせていただくことが出来ました。
上越市の春日山の麓にある林泉寺は、創建当時のお寺ですが本家の林泉寺が引越しした後も、謙信公ゆかりのお寺として、高田藩の歴代藩主が守ってきたお寺です。
最後は「米沢藩主上杉家墓所」
お位牌は林泉寺にあるのですが、お墓はこちらにありました。
夕食は、
「まるぶん」さんで、「米沢牛 牛鍋定食」と 「芋煮」を頂きました。
お値打ちな牛鍋ってことで、お肉は多少歯ごたえがありましたが、さすがは米沢牛を実感できる大変おいしい牛鍋でした。
その後、米沢中央ICから東北中央道に乗り、東北道を帰ってきました。
Posted at 2019/01/09 08:31:05 | |
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