先日秋葉原の模型店に行ってみると、箱がなく袋に入れられた模型の山がありました。
見てみるとどれもかなり古く、ウォーターラインシリーズの艦船模型なんてNo一桁や二桁のもので、昭和40年代製造のものがごろごろしていました。この子たちは40年以上もの間、袋からも出されずにずっと来たのかと思うと同情の念が湧いてしまって、1隻だけ買ってあげることにしました。
愛宕、最上、春雨、村雨、秋月、島風がありましたが、迷った末に選んだのは、
白露型駆逐艦 春雨
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/048/742/046/62d06a6e76.jpg?ct=07ad513bfc93)
でした。お値段は税込400円。そういえば昨日折角洗車したのに、見事に春雨にやられました。
色んな意味で美味しそうな名前ですが、食べ物ではありません。大東亜戦争緒戦から1944年6月まで激戦を繰り広げた駆逐艦です。
緒戦は
軽巡那珂率いる第四水雷戦隊に所属、インド洋方面やガダルカナルで戦い、第三次ソロモン海戦にも参加。いつ撃沈されてもおかしくないほどの死線を何度も潜り抜けましたが、目の前で夕立はじめ何度も姉妹艦が沈んでいき、何度も動けなくなった味方艦を手にかけるなど悲壮な艦歴を送りました。
度重なる空襲の末、1944年6月8日戦没。
生まれ変わった
護衛艦はるさめが、今日の我が国を守ってくれています。
これで3隻目の白露型駆逐艦ですが、白露型の可愛さに萌えてしまい、ほかの姉妹艦も作ろうって気になりました(爆)
流石に昭和40年代の艦船模型は子供のおもちゃに毛が生えた程度の作りなので、あちこちに手を加え、使えるものは何でも使って完成度を高めましたが、かかった時間と言えば4時間程度でした。
艦首側から
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/048/742/047/ee350de04d.jpg?ct=fd1337e98911)
春雨を食べながら春雨を作りました(笑)
舞鶴生まれなので舞鶴海軍工廠グレイを基調としました。
甲板は船体色指定していましたが、先に制作した姉妹艦の
夕立や
時雨同様リノリウム甲板色としました。目に見えて再現度が低すぎる部品は以下の通りで、主砲と短艇と魚雷用のクレーンはピットロード製、25mm三連奏機銃はアオシマ製、魚雷発射管は
重巡古鷹の余りから流用しました。
40年以上たっているのに、意外にもデカールはしっかり生きていました。
前部マストは余りにも雑な再現度だったので、ピットロードのものを加工して取り付けています。
錨も再現されていなかったので自作しています。
艦尾側から
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/048/742/048/a6def29f6a.jpg?ct=fd1337e98911)
不時着水した九五式水上偵察機を後部魚雷用クレーンで引き揚げているという場面を再現してみました。実際に春雨がこんなことをしていたかどうかは定かではありませんが、水上機が帰還すれば必ず引き揚げねばなりませんので、飛ばした巡洋艦や戦艦がこういう場面は珍しいものではなかったそうです。
対潜装備もピットロード製より流用。
右舷側から
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/048/742/051/e035047621.jpg?ct=e55263973e9a)
駆逐艦はよし、この一言に尽きますね。
古いモデルでも、創意工夫次第だと思います。
1隻作ると必ずと言っていいくらい部品が余るので有効活用できました。と言っても今までの分だけでも相当な量の余り部品です。
あえて古いモデルを買って新しい世代の部品をくっつけるという新たな楽しみ方を見つけました。エコだし安くつきます。
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Posted at
2019/04/08 22:43:26